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雑司が谷散人の街道遊歩 0641

中山道 1日目-15 2018.12.29

国道17号は新河岸川を渡る志村橋へ。
新河岸川は江戸期の江戸~川越間の舟運ルート。
かつて国道17号を都心から北上してきた都電41系統の終点が志村橋。

新河岸川

荒川を渡る戸田橋が近づくと、地名は船渡。
文字通り、戸田の渡しに因む地名。
バス停の船渡町は旧町名で、今は板橋区船渡。

船渡

戸田橋手前で国道17号から右へ分かれる中山道旧道。
すぐに荒川の土手に突き当たる。
明治8年の戸田橋架橋まで、荒川を渡したのは戸田の渡し。
渡船は天正年間からあったといわれ、江戸期に入って中山道の渡船場として整備されたという。

荒川

戸田の渡しに代わる初代戸田橋の架橋は、明治8年。
2代目は大正元年、3代目は昭和7年。
この時は鋼製のカンチレバートラス橋で、日本一斬新で美しい橋といわれた。
今の橋は4代目で、昭和52年完成。

戸田橋

戸田橋で荒川を渡る。
かつての荒川の流路は、戸田橋の前後で大きなU字形の蛇行をしており、浮間公園や舟渡水辺公園がその名残りの流路跡を示している。
大正から昭和にかけての大規模な河川改修で、今のようななだらかな流路となった。

荒川

戸田橋を渡ると、埼玉県戸田市。
橋とつながる国道17号は、曲尺手高架橋。
曲尺手は中山道による地名だろうか。
橋から下流方向へ少し進むと、戸田の渡しからの中山道旧道が姿を現わすが、この先の川岸から下前にかけて、確かに旧道は鉤の手状に折れ曲がっている。
これより埼玉県。

曲尺手高架橋

川岸1丁目の住宅街を北へ向かう、中山道旧道。

川岸1丁目

川岸2丁目で国道17号に合流した中山道は、下前歩道橋へ。
このあたりで再度国道の東側に旧道が分かれたと思われるが、今は道が消滅している。
下前はかつての下戸田前新田の省略地名。
国道の標識を見ると、高崎まであと91キロ。
先は長いが、当面は埼玉県内の街道歩きをじっくり楽しみたい。

下前

この後、JR戸田公園駅に出て中山道の旅1日目を終了。

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