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土地の利用状況、ここも耕作放棄地?

今日の仕事は市町堺の山奥の現場。数分歩けば隣の市、最寄りの集落から歩けば1時間はかかる。倒木がある写真の地目(登記されている土地の利用状況)は「田」である。確かに山を削って平らにした跡がうかがえる。70代の地元のガイド役の方もここで農業がされていたとは聞いたことが無いという。と言うことは両親や祖父母の時代でもここで農業はしていないということなのだ。ざっと100年以上?裏を返せば百何年か以上の昔、こんな山奥までも昔の人は米を作っていたことに驚く。

こんな山奥に苗や肥料を運び、世話をし、収穫し、運び出す。すべて人力または牛馬を頼ってだろうが、歩くのすらままならない地形なので牛馬も人も運べる量は限定されると考えられる。

しかし中世まで日本は米がお金だった。今でいう企業の格付けや時価総額みたいなものは藩の石高すなわち米の収量であらわされ、繁栄の指標とされてきた。そう思うとこんな山奥まで田を切り開いた人はベンチャー精神あふれる起業家なのか?はたまたブラックな経営者(領主様)に無理強いされた哀れな農民なのか?下山しながら想像は膨らむばかりだった!

70代のお世話役も農業を営まれ、こんな山奥までガイドをされるバイタリティ溢れる方々!近くには「日本の棚田百選」もあるおいしい米どころ。僕もここのお米で炊くご飯に、特にこの新米の時期のごはんは、マジでヤバい!!なのにこの辺りでも耕作放棄地の問題で頭を悩ませておられる。「今は条件のいい下の平地でも農業離れで困っとるのに、昔の人はこんなところまで耕すとは驚くなぁ」と。。。

本当にこの半世紀で世の中の営みは変わってしまったと、山の中の農地で考えさせられてしまった。何をって?今ですらこんなに変化が激しいのに、次の50年に向かってついて生きていけるだろうかと?

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