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人生も歴史も結構なりゆき その2

僕はサーフィンが好きなので、離岸流をよく利用している。リガンリュウという言葉の響きがいかにも恐ろしく、なんだか悪者みたいな感じがすると思うのだが、ただの海の流れだ。大きな流れは黒潮、親潮など海に流れがある事は小学校ですでに学んでいることで、過剰に恐れる事ではないのだが毎年命を落とす報道があるたびにハッとさせられ、そして悲しくなる。

偉そうに言っても酷い目にあったこともある。ものすごい海流で漕いでも漕いでも5m先の友達のところへたどり着けず、体力尽きてやめたとたんあっちゅー間にビーチ横の岬の裏まで流された経験がある。なんとか自力で浜までたどり着いたが、アドバイスに耳を貸さず後から入った人は海上保安庁のお世話になったと聞く。

本当に何事も思うようにはならない。それならば思うようにならない前提で自分が感じる流れをつかむように生きることがこれからは大切なのではないかと思う。大事なのは過去の栄光にしがみつかないこと。経験は自分のスキルにはなるが、時代の動きが激しいのでそのスキルにしがみつくとあっちゅー間に想像をもしない困ったところまで流されて涙を流す羽目になるのかもしれない・・・と思う。

吉田松陰はそういう意味では流れは読んだがつかめず流されたように思う。もちろん僕のような酔っ払いがここでどうこう言えるよう方ではないのだが、同県人のよしみで話を進めようと思う。松陰さんゴメンナサイ。。。

ものすごく自分に厳しく、塾生にも厳しく、曲がったことが嫌いなので、政府の取り調べにも本当の自分の考えを言って島流しになってしまった。僕としては柔軟な対応をしてほとぼり冷まして日本のかじ取りをしなおしたら、また変わった近代国家になったのではないかと思う。逆にこの不器用さが松下村塾の塾生を心から揺さぶり、ド田舎の日本を近代国家に導いたともいえる。レーニンも同じかもね。ただ後継はえらい差があると思うが、あんまり言うとロシアの人に怒られるかもしれないやめとくけど。

タレレバでうんちくを語るのは楽しいが、結局今があるのは過去のその時最良であると判断した結果であることを、ますは受け入れよう。その結果を踏まえて次の判断をするしかない。あの時ああしていれば・・・、年齢とともにそう思うことはますます増えるが、結局判断が未熟でやっちまっているのだ。決してバカなことをしたわけではない。最良の選択の結果を受け入れ、これからもやるしかないのだ。

ついさっきも去年窓口対応した内容を思い出すのに、2時間かかったりしてしまってもだ。悲しいがこれも僕の実力なのだ、と理解しながら明日からも生き行こうと思う。

ゴメンナサイ、ホントウニトリトメモナクナッテシマッタ。。。

ファイト一発!だね。

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