お腹を空かせてご飯が炊けるのを待っているような

寒の戻り。
ここ数ヶ月、天気予報で幾度か耳にした言葉。立春から4月にかけて、一時的に異常に寒くなる現象のことである。桜が開花する時期のものは、'' 花冷え"とも言うそうな。

確かに、寒い。
真冬の底冷えこそ感じないけれども、寒い。
ちなみに昨日と一昨日の朝には、駐車場の車たちにうっすら雪が積もっていた。
そこまで冬景色に戻らずとも…と、白いものが降りて来た、灰色の空を仰ぐ。
(これは持論なのだけれども、人の気分というものは、その日の空の色と同化する傾向がある気がする。)

数週間前は、暖かい日が何日か続いた。
気温も20度近くあったはず。
それがここ数日の寒さといったら。

この寒の戻りのために、冬物のコートやセーターなども、クリーニングに出すのにはまだ踏み切れない。ブーツも、完全にしまいきれない。
この春になりきれていない、何とも言えないもどかしさ。 春に、焦らされている…!

私自身は雪国生まれ、雪国育ち、現在も雪国で暮らしているものだから、雪には慣れっこだ。でも、決して寒さに強いわけではない。心はあの、春のぽっかぽかの、地球上の全ての生き物を抱きしめてくれるような暖かさを切望している。

天候や気候はどうにもできないのはわかっているけれども、つい嘆きたくなる。

そんなとき、ふと、先日友人から届いた手紙を思い出した。その手紙には、こう書かれてあった。

「じきに桜の季節だね。今年は(例年に比べて)雪が多かったから、いつもの年よりもワクワクします。」

そうだ、寒い時期があるからこそ、暖かいことに喜びを感じるのだ。
寒さが厳しいほど、その喜びは大きい。同様に、あれだけ雪で真っ白だった世界に、桜をはじめ色とりどりの花が咲くのもまた、楽しみな気持ちが膨らむ。

「雪が多かったぶん桜が咲くのが楽しみ」という友人の美しい感性は、嘆きそうな私の頭を優しく撫でてくれたようだった。

お腹をぺこぺこに空かせて、ご飯が炊けるのを待っているような。あの子と会える休日に向かって、日々の仕事に励むような。
春を待つということは、そんな、日常的な自分にとっての喜びやわくわくを待っている感覚と似ている。

今日は雨。
この雨が冬の名残を洗い流して、春を連れて来てくれますように。

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