ぼくの伯父さんの授業。
先日、自前のウェブ・サイトで行なった『くらしのたより』特集のため大々的な資料の整理を試みたところ、フランスの映画監督ジャック・タチ JACQUES TATI についての、本国の評論書を発掘した。
アルバム『くらしのたより』を発表した約20年前、ぼくは大学の人文学部に在籍し、彼の作品に込められたフランス社会への批評性について研究していた。
発掘したものは、そのために取り寄せた参考資料だったのだが、当時、必死に翻訳しながら読み解いていたことが、いまではまるで信じられない(フランス語、すっかり忘れてしまった)。
大学にはドゥヴォさんというフランス人の先生がいて(レコードや楽器類の買い過ぎで慢性的に金欠だったぼくに、頻繁に食事をご馳走してくれた)、彼は『のんき大将脱線の巻 Jour de fête』『ぼくの伯父さんの休暇 Les Vacances de M. Hulot』『ぼくの伯父さん Mon Oncle』『プレイタイム Play Time』『トラフィック Trafic』といったタチ作品を、封切り時にリアルタイムで(もちろん本国で)観ていた。
大学生のぼくは、ほとんど通学せずに自宅で録音をしているか、レコード屋もしくはリサイクルショップにいるかのいずれかだったが、時折、ドゥヴォさんに電話で呼び出されて、大学構内のベンチに座ってふたりで話をしたり、彼の研究室でタチ作品をVHSで観たりした(ビールか赤ワインを飲みながら)。顔を出さないぼくのことを気にかけてくれていたのだと思う。
それ自体が楽しい思い出だけれど、鑑賞時、のべつ幕なしに添えられる彼の副音声がまた傑作だった。ある瞬間、フレーム内にタチが忍ばせた、フランス社会に対する無数の風刺や批評を、一時停止して仔細に解説してくれたのだ。時代背景や舞台となっている土地の地域性などを踏まえて。
あのような体験は、望んでもなかなか出来ないもの。ここ日本ではタチの作品は<モダン>で<かわいい>ものとして認知されがちだけれど、本質を知ってしまうとその面白味は百倍増では足りないほどに膨張するし、狂気に触れて(面白すぎるのに)笑えなくなったりする。
観察せよ、批評せよ、そして娯楽に変えよ、の精神はドゥヴォさんとタチ作品に練磨してもらった。
ここだけの話、その恩義を<冗談伯爵>という名前に込めて、いまの活動に至っている。