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朝、目が覚めてスマホのアプリを開くと、SNSのタイムラインでこのような投稿が流れてきた。

この時期に不安をただただツイートする、もしくは何も発信しないアーティストってどうなの? オレはとりあえずそういう奴は信用しないね。

以上、一部抜粋。
親しい訳ではないが、かつて仕事を通じて接点のあった人による投稿。発作的に、その人のアカウントはミュートしてしまった(追記:その後、元に戻した)。

アーティストは、アーティストである前に人間だ。
活動以外にも労働がある場合には、労働者だ。
家族がある場合には、その構成員だ。

もしかしたら、ずっと以前からひどく落ち込んで不安定になっているかもしれない。
いままさに何かを発信しようと努めている最中だったが、じぶん自身や家族の、きょう、あすの命を繋ぐことを優先しているのかもしれない。

いま、発信ができているアーティストは、結局は余裕があるのではないだろうか。
発信のために犠牲にできる、余った時間。余った金。余った力。

その余裕が、世間を明るく幸せに照らしたり、あるいは、世の問題点を浮き彫りにするよう用いられているならば、そのこと自体は素晴らしい、とは思う。
だがーー<この時期>という言い回しを借りるならばーーこの時期、それを享受した人が、そんな物言いをしてしまってはいかがなものか。

いつだって、すべてを包みこんでしまえるようなイメージが大切だ。

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