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泳いで遊ぶ。残酷な遊び。

音楽家とホテルマン(深夜のフロント業務)の両輪で生計を立てながらくらすようになり、丸3年が経とうとしている。

ダブルワーク、なんて横文字で流せば格好がつくほど、様になった生活はじっさいにはできていないが、多くの方のご理解を賜りながら、ことしの春も軽快に幕開け、るつもりだった。

広島駅南口から徒歩7分ほど、京橋川のほとりに立つコンクリート打ちっぱなしのビルが、ぼくの勤め先「ホテル・フレックス Hotel FLEX」だ(↑ 写真中央)。

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ここ数日は、滞在されているお客さまはわずかで、チェックインなし。一日の売り上げがコインランドリー用の洗剤代50円のみ、なんて日も出てきた。
国が、あるいは各自治体が自粛要請を出して以降、予約のキャンセルにもいっそうの拍車がかかってきた。足元にも当然のごとく、影響は大きく及んでいる。

じぶんには6歳の頃から、暇があれば世間の空気や社会のうごめきを観察して、それを脳内で詩(poem)的に変換し、抽象的なイメージへ昇華させ、そのイメージのプールで<泳いで遊ぶ>癖があって、それがいまだに抜けない。

痛い奴だと思うだろう。だからそれは滅多にそのままでは発露させない。その代わりに、脳内プールの中の液体をこんどは蒸留させて、詞(lyric)を紡いでは商売にしていたりするのだ。

お、フロントに併設されたカフェ・スペース用のBGMとして誰かが選曲したiPodから、mei eharaの「戻らない」が流れてきた。

話が散らかってしまったが。

皮肉なことだが、見えざる者(物)たちは社会の動きを止め、人間で遊んでいるようだ。彼ら(それら)が生きていくための、感情のない、残酷な遊びだ。
同時に、彼ら(それら)は人間に、思索の機会を与えているとも思えてくる。

いまが狂ってる、という時、いままでは狂っていなかったといえるのか。
「負けるな」という者も多いが、そもそも勝負ごとなのか。

冷静になって少し考えればわかることを、高いところから「戦争だ」「勝負だ」と焚きつけている人々のことを、人間観察(社会見学)歴35年のぼくは見逃さない。

ホテルぜんたいとして、あるいは、ホテルに勤務するひとりの人間としての、さいきんの具体的な行動については、次回、触れてみたい。

冗談伯爵のレコーディングも、ひとつの佳境を迎えつつあるのか。
そのことも含め、音楽活動の報告もいくつか、追ってできそうだ。

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