涅槃背面像

 高校生だったある日、ふすま戸を開けると涅槃像の背面が目に入りました。
 より正確に言うと、自慰行為に耽る父親ではない男性を見たのです。涅槃は私に背を向けた形ではあれ下半身は裸体であり、私の眼前に映っていたモニターが、性行為をしている女性をはっきりと映しておりましたので、自慰行為をしていたのだと考えて問題ないでしょう。

【涅槃】ねはん
 仏教  一切の煩悩(ぼんのう)から解脱(げだつ)した、不生不滅の高い境地。転じて、釈迦(しゃか)や聖者の死。入滅。「―に入る」 出典:Goo国語辞典

 自慰という行為自体は悪いことだとは思いませんし、母の妊娠中に生じる己の性欲を消尽させるためにはきわめて妥当な手段かと思われます。他の女を連れ込んでいたというわけでもありません。倫理的に問題があったとすれば、未成年に己の自慰行為を見せてしまったというゾーニングの甘さでしょうか。まあふすま戸を開けたのは私ですから、ここでやりあっても仕方がありません。相殺しておきましょう。むしろ性欲という煩悩から解脱し、高い境地へ至ろうとしていたところをお邪魔してしまったな、という申し訳なさと憐みの感情すら抱きます。
 問題は、「バラすか?」という点でした。バラしません。
 我が家脱出TAS決行中の私にとって、会話は必要最低限のもので大丈夫なのです。母には下手に報告して揶揄ったりなどしようものなら、「なんでそれを私に言うの?」などと、神経を逆なでしてしまうかもしれませんから。母は、父親ではない男と性欲を消尽させるようなことをした結果として、母は父親ではない男と性欲を消尽させるようなことができない状態になっていたのです。
 みなさんは妊婦の乳房って見たことありますか?グロテスクですよね。私もあります。風呂上がりの母と洗面所で鉢合わせたことがありました。突き出した下腹の上に乳房がだらしなく垂れ下がっています。それははちきれんばかりに膨張していて、毛細血管が浮き出して奇妙な紋様を描き出しています。また、乳輪は8cmシングルCDと見紛うほど肥大化し、色は黒ずみ、紫がかってさえいたように記憶しております。 
 元々幼少期より出産は鼻からスイカが出るくらい痛いという話を繰り返し聞かされて、「チャイルド・フリー」という言葉を知るより早くその立場に立っておりましたが、その際改めて「私は子供を作らないぞ」と決意を固めました。
 思春期の弟にも報告するべきか頭を悩ませました。しかし、弟とて姉から父親ではない男が自慰行為に及んでいた旨を報告されて「だから何?」と思うでしょう。災の火種はそっと吹き消すに限ります。エロ本に出てくるエロい姉が、もし同じこと言っててもドキドキしないだろうし。むしろハラハラするんじゃないでしょうか。トリッキーな脇役といった塩梅ですね。
 皆様、自由になさったらよいと思います。周囲でそういう旨の報告を受ければ、普通におめでたいと思います。私は、乳輪が左右それぞれ8cmになってまで、欲しくはないかな。一通りの性教育は受けたと思うのですが、妊娠中の妊婦の乳輪がどういう変化をするのか、について教わったと記憶しておりません。全然性には興味がありました。なんなら自意識の高さが一周して「性教育で高得点を叩き出すのは恥ずかしい」とまで思っていたため、わざと誤答をした記憶さえあります。「思春期には(  )の周りに毛が生える かっこの中に入る言葉を答えなさい」性器と書くべきところを、お尻と答えたのを覚えています。けれどもやはり妊婦の乳輪については存じ上げません。サボってたか、普通に忘れていたんでしょうか。自然の摂理に抗うアタクシ、を実行する、金も学も女性としての魅力もない、逆張りヒステリー子供部屋おばさんの言い分だと思っていただいて結構です。


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