心ない言葉にみんなが傷ついている?

心ない言葉って何の心がないんだ?

Goo辞書の野郎で調べたら、思慮がないとか、他人に対して思いやりがないことって書いてあった。

でも例文を見ると、『心ない観光客が残したごみ』って書いてある。


その観光客は心がないのか?

そのゴミのせいでみんなが迷惑するとか、カラスがやってきてさらに場所を荒らすだとか、そういう想像力が足らないのではないか?


つまり、心がないのではなくて、頭がないのでは?




すみません、心ない発言でした。


誹謗中傷だとかそういういわゆる『心ない発言』も想像力が足らないのではないかな、とも思う。これを書いたら嫌がる人が居るのではないか、だとかそういったものだ。


しかし、その『心』が同情や綺麗事であったならばどうだろうか?


何十年も行方不明の子を探す保護者の方に「いや、もう死んどるやろ」とは言えない。心ないからね。

ただ、何十年も行方不明の人が見つかる保証もないので、「頑張ってください!」とか「見つかりますよ!」とも言いづらい(私は)。綺麗事にしか聞こえない。

心ない言葉はやめようとみんなが言うが、そのせいで現実を見ることなく理想だけを追いかけたり慢心する人間にもなりたくない。

そこで一つ提案がある。『心ない言葉』と言うが、正直『心ない』かどうかを決めるのは受け取った側だったりする。なので、『心ない言葉』をやめるのではなく、『心ない言葉』に耐性をつけなければならないと思う。

先ほど言ったように『心ない』は想像力がないということなので、もしあなたが『心ない言葉』を受け取ったら「コイツ、想像力ないんだな」と思えば良い。

そして『心ない言葉』の中には改善点が存在することもあるので、その時は

「あ、こいつ阿呆やな、そんな言葉を感情に任せて打たなければ自分が改善されることもないのに、改善してさらに良い自分になってやるわ阿呆」

と思えば『心ない言葉』なんてものは屁でもなくなる。

最後に『心ない言葉』を打つ皆様に一言。

きみ、想像力ないでしょ?聞いてる?詰め込み教育の敗者さん?







すみません、心ない言葉でした。