ぜんざいとしる子って・・・
釈然としない。
「世界が終わっちゃったらしょうがないじゃない」
そう親が言ったのは、正月に帰省した時にテレビでSEKAI NO OWARIがでていたのを見たからだった。紅白のあいみょんには無反応なのに。変な名前!くらい言えよ。
確かに最近は何かにつけてグループ名や作品のタイトルが長かったり、文章になっていたりするものが増えている気がする。それでも釈然としないのは、あいみょんだけではなく、北島三郎にも嵐にも星野源にはそのツッコミがおこなわれないことだ。
北島で三郎って・・・とか星野なのに源とかというツッコミは全く入らない。それはそうだ、別におかしなところはないから。ではなぜセカオワは突っ込まれたのか。「ずっと真夜中でいいのに。」とか、「神様、僕は気づいてしまった」をみたらツッコんだのだろうか。
名前という形式が持つ意味を体現するのは本人だ。一方これが文章になると、名前がもつ意味がクローズアップされるような気がする。その名前が持つ世界観というか体現するものをその本人だけでなく名前自身が持つようになって強い印象を与えるのだろうか。
では、ぱいぱいでか美やろくでなし子やまんしゅうきつこはどうなのかというと、よくわからない。あえてツッコまないかもしれない。
結構深入りしてしまいそうなことを考え始めてしまったと気が付いたので、今日はここまでにしよう。
チョコ棒を買うのに使わせてもらいます('ω')