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卒論を獄中に入れたい!

中﨑クルス

私は大学4年である。卒業に必要な単位を取るための卒業論文を書いていた。「現代アナキズム研究におけるバクーニン受容」というタイトルの文章である。ざっくり言うと、アナキズム史に確実に存在するミハイル・バクーニンという「異端」の、アナキズムにおける意義と、現代でアナキストとして旺盛にアナキズム思想について執筆活動を続けている栗原康を批判的に評価した文章である。

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さて、話は変わって、自称・室伏良平氏(以下自称氏)との関係である。自称氏とは、数年前の高円寺で会った。「界隈」に出入りしているうちに何となく仲が良くなった。お互いTwitterが好きなこともあり、お互いの些細なツイートに「クソリプ」を送りあう仲になった。国際超芸術祭なごやトリエンナーレ中に発生した「水=ガソリン事件」以降、自身のアカウントが「プロパガンダ」用となった自称氏は、タイムラインで私のツイートを見かけるや否や間髪入れずに、個人的に繋がっているLINEアカウント宛に「〇〇(この部分は私が呟いた内容の抜粋or全部が入る)系クルス」というクソリプ(リプ?)を送りつけるという奇妙な事態となった。当然それだけで終わるわけでもなく、ほぼ毎日のように何らかの雑談をする関係であった。
その際に、私の卒論の話にもなった。その時、自称氏から「界隈的な論文をアカデミー系に出すとどう評価されるのか気になる」と疑問を呈された。なるほど確かにそうかもしれないと思いながら、卒論を粛々と進めた。11月前半の話であった。

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卒論執筆は想像以上に難航した。随時自称氏には卒論を見せていたが、そうこうしているうちに、ある朝、自称氏は「警察が来た」というメッセージをLINEに残し、逮捕されてしまった。
その後、紆余曲折あり、自称・救援会の立ち上げに関わり、活動を始めることとなった。
逮捕後から起訴まで(いわゆるヨンパチ――警察留置の48時間――、検察送致後24時間、その後起訴前勾留10日間×2)の23日間は、面会禁止がついていたため、自称氏と面会をすることができなかった(正確には留置は21日間であった)。
起訴が確定すると、面会禁止が解ける。救援会は自称氏(併せて、同じく救援対象者の飯塚(仮)さん)の面会を開始した。

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中京在住の支援者から先に面会が始まった。遠く離れた東京からはそう簡単に面会には行けない。もっとも、そもそも私は卒論を書いているのであって、名古屋に行くのは到底できない(たしかに卒論を書いているのならそっちに集中し、救援活動をするなというのはある。しかし、日頃やりとりをしている仲の人間が支援を必要としている状況を見過ごすわけにはいかなった)。
救援会内で打ち合わせた結果、私の面会日程は12月17日となった。12月16日が卒論の最終提出日であった。
私は、作りたてほやほやの卒論を、獄中の自称氏に差し入れしたいと思った。

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さて、場所は名古屋駅からほど近い愛知県警中村署にうつる。ここに自称氏が勾留されている。面会申込書に記入し、手続きをする。
その手続きの際に、差し入れ物品はないかと聞かれた。その質問を待っていたとばかりに卒論を留置管理課の担当権力に手渡す。しかし、その担当権力は困惑した顔をする。それはそうだ。少し待つように言い残し、奥に消える。数分後帰ってきた権力は「中には入る」とはいう。しかし続けて「荷物になるだけで、房の中では読めない」という。つまり、荷物になるだけで、自称氏が読むことはできない、という。ナンセンスな話である(替わりに『チェンソーマン』を差し入れた。自称氏には喜んでもらえたようだ)。
しかし、差し入れは公刊物に限るとは知っていた。なので、このような反応をされることも織り込み済みであった。ただ、ここで引き下がるわけにはいかない。なんとしてでも、卒論を自称氏に見せたい!

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飯塚(仮)さんの支援のため行動を共にしていたなりゆき救援会(当時)の酒井徹氏に自称氏面会と差し入れのことを話したところ、手紙として入れたらどうだ、とアドバイスをもらった。なるほどその手があったか。たしかに酒井徹氏は自称氏面会の際に、手紙を差し入れていた。しかし、その手紙は、留置管理課の担当権力による、文字通りの検閲があったが、ほとんど読んでるのか読んでないのかの状態であった。

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面会を終え、自宅に帰り、「手紙」としての体裁を整える作業をする。まず、タイトルページ上部に[手紙]と明記する。さらに、誰に向けての手紙かが分かるように「自称・室伏さんさあ」と呼びかけることも忘れない。


タイトルの直前に、カギカッコを入れる。これで、カギカッコ以降は「室伏さんさあ、」との呼びかけの具体的な内容であることが明示される。

本文自体は33ページあるが、封筒で送る都合上、厚くなるといけない。なので、1/3の分量である11ページ、2章の終わりで一旦打ち止めにしておく。
2.10の部分で呼びかけの具体的な内容が終わり、最後にどう思うか、という旨記載し、さりげなく返事を求める。
さらに、3章の最初の部分が、手紙の部分として余っているので「追伸」としてみた。


最後に、署名を書き、誰からの手紙か、ということも忘れない(もちろん追伸を閉じることも)。


ここで、公刊物の差し入れの時の注意を思い出した。公刊物といえども、何かしらの書き込みがある場合は、差し入れできないのである。この理屈を今回の「手紙」に適用すると、そもそもの印刷部分が「公刊物」の扱いで、私が「手紙」として体裁を整えた部分が「書き込み」に該当してしまうおそれがある。

なので、急遽「手紙」として体裁を整えた部分を印刷することにした。これにより、この「書き込み」も立派な印刷物として「手紙」の一つとして成立したことになる。



(共に、上がコピー、下が原本)


準備は全て完了した。あとは封筒に入れて、投函するのみである。



数日後、返送されてきた。嘘でしょ。


よく見たら、料金不足であった。しまった!最後の最後でボロが出た。



46円を追加して、投函する。権力がちゃんと「これは手紙なんだな」と分かるよう配慮して、丁寧に[手紙在中]と記載したせいで、10円切手を貼る場所がだいぶ適当になってしまった。再度投函。

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数日後、面会に行った救援会のメンバーから、この「手紙」は無事に届き、獄中で読んでいるという報告が届いた。やったね!

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いかがだっただろうか。

留置場は「代用監獄」として重大な問題を抱えている。その状況下で「中」にいる人と意思疎通を交わすのは、弁護士か権力でない限り、難しいのが現状だ。しかし、私は、そのような状況下で、中にいる人との意思疎通を諦めないで欲しいと願う。日夜闘っている、全ての人に、何かしらの参考になれば幸いである。




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