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チャート読み会近代中国史レビュー 1

こんにちは、ziziです。 西洋占星術のホロスコープチャートをすでに読める方に向けて、人前で声に出して読む練習として、zoomで歴史上の人物のチャート読み会を行っております。
2022年は中世ヨーロッパを中心に13~14世紀の<前回の風の時代>の人物を、
2023年からは中国近現代史の人物のチャート読み会を行ってきました。
現代東アジア情勢にもつながってくるこの時代。
noteではチャート読み会の様子や、扱ったチャートから特に面白かった特性、人物、時代との掛け合わせなどをレビューしていきます。

中国近代史読み会で扱ってる時代は1840年代のアヘン戦争以降、冥王星は牡羊座の後半に入ったあたりです。
当時の清王朝では、元々外国との貿易は中国南部の広州1港に限られていたが、イギリスとのアヘン戦争、フランスとのアロー戦争に負けると、
アモイ,福州,上海,寧波、さらに南京,漢口(武漢),天津など10港を開港させられ、治外法権の租界ができ、海外の資本や文化が流入。
また中国人の海外移民が公認され、南北戦争・奴隷解放後の米国などに労働力として多くの人が渡り、北米の華僑コミュニティができていくのもこの時代です。
1894年 日清戦争に敗北し、日本への台湾の割譲、旅順の租借を認め、
1900年までの間に中国各地で列強の利権獲得競争が激化。朝廷では幕僚により近代政治制度への改革運動が起こるも、西太后ら保守派により弾圧されてしまう。
1900年 朝廷は、義和団の乱という民衆の排外主義運動に乗じて、各国に宣戦布告するも敗北。列強の中国での駐兵権を認め、賠償金支払いのために徴税権を担保に取られ、これ以降、半植民地化が進んでいく。
北京の朝廷は立憲君主制への改革に乗り出すも、中国の南部では革命で清朝を倒し、共和国の樹立を求める運動が起こる・・
という感じで、1911年に辛亥革命が起こるのですが、

第一回で扱った人物は辛亥革命の1年前、1910年生まれ、
水星期 1920年代 中国国民党、中国共産党成立 軍閥同士の内戦状態
金星期 1927年  国民党の蒋介石政権成立(南京)
太陽期 1932~45年 満州事変→日中戦争
火星期 1945~50年 国共内戦 中華人民共和国成立、中華民国の台湾遷都
木星期 1950~60年代 両岸危機&(中国:文化大革命、台湾:戒厳令開始)
土星期 1970年代 米中国交回復(ニクソンショック)、米台国交断絶
と、激動の時代を経て1988年に亡くなった政治家を扱いました。


第1回で扱った政治家。巳の刻まで分かってるのでAM10:00で出したチャート

チャートルーラーが海王星→月→木星→金星で回り、感受性が強く、弱きを助ける的な理想を持つ。
月は時刻により少しずれるかもしれないが、太陽・木星・月のyodとなり、太陽が木星・月の共同目的のために働く。
木星はIC・4Hで天秤座。人との交流で発展、縁の結び目となる。家訓、イデオロギーが強い家。家系、特に母の影響をマインドセットに持っている。少し仲間や身内びいきかも?
月は射手座、自由で向上心が高く、外国や哲学に縁あり。ドラゴンテイル合で母の影響の強さがここにも。
月と木星のセクスタイルは人から可愛がられそう、楽天家、信念が個人的ポリシーになる、私生活がポリシーに則ったものになりそう。
牡牛座の太陽は、芯が強く粘り強い、コツコツ実績を積み上げ社会的地位を築く、モノとしての成果を求める傾向。建設に適性。良い状態を維持したい欲求。メジャーアスペクトがないので、我が道を行きたいタイプ。
自分の信念を打ち出し人を導くことで、コツコツ社会的地位を築いて行きそうな人。

水星は牡牛座で自分の意見を曲げない、幼少期は口が重そう。
ドラゴンヘッドと合で、声が大衆に届く、考えが大衆を動かす。
天王星とトラインで、常識にとらわれない独自の思考、より良い社会にするにはどうすべきか考えている。
7Hの天王星なら風変わりな結婚、自由で独立した人間関係。
魚座の金星はアセンダントの海王星とトライン、感性が豊かで直感が鋭く、自己犠牲的。愛情深く、共感力が高い。アイデンティティの不安定さ。
読み会では、人気で目立ち、マスコット的に可愛がられるが、そこから脱却したいのでは?という意見も出ました。
また木星とのクインデチレは自分の信念のために人を動かす。木星の支配星が金星なので自分の利益のために人を動かすところもあるのでは、という意見も出ました。
火星は双子座で冥王星と合。極端な行動、凶暴。徹底的に極限までやる。手段を選ばない。秘密、裏権力、人がやりそうにないところに踏み込む。双子座なので動きたい、スピーディー、知りたい、情報重視、マルチタスク。辛辣なことを言う。土星とセクスタイルなのでこれらが野心や目的達成のために使われる。行動管理。効率的な行動。無理な状況ほど燃える。忍耐力がありタフ。限界に対して凄まじい努力でうち破る。
土星は牡羊座でアクセルとブレーキを同時に踏むような感じでリーダーシップをとりたいが苦手そう。一人親方タイプ。最終的には先駆者的な役割。天王星とスクエアで、理想と現実の葛藤、新旧対立。後継ぎだとしても親と同じことはやりたくない。山羊座の天王星は組織を作り変えていく。
また土星天王星のスクエアは政治家に多いアスペクトだそうです。

こんな人物と見受けられます。
この人は蒋介石の息子の蒋経国で、蒋介石の死後の台湾で総統をつとめた人物です。業績としては、70年代の建設や重工業への転換による経済成長、80年代の戒厳令解除などが評価される一方、冷戦中・戒厳令時代に「白色テロ」と呼ばれている苛烈な赤狩り・弾圧で多くの冤罪を生み出したとして悪評を受ける人物でもあります。
(この時点でとても、チャートらしさが・・・w)

彼の生涯を見ていきますと、
彼は上海の近く、条約で開港した浙江省の寧波生まれ。生まれた当時、父は日本に軍事留学中で、熱心な仏教徒の母と祖母に育てられる。父母は父が15歳のとき祖母が村の商人の娘と縁談をまとめての結婚だった。夫と姑に孝行を尽くすタイプの母だったが、父は帰るたびに母に暴力を振るっており、経国は母をかばった。
1911年、辛亥革命で清朝が倒れ中華民国が成立すると、父は孫文を追い日本から帰国。家には帰らず革命に奔走。父は帰ってこないが教育熱心で、学堂に通わせ、手紙で訓示を行ったり、古典書を送りつける。四書・孟子・曾国藩の家訓などを読んで学習。
と言う感じでまさに、母からの影響を受けながらも父からは手紙で指導を受け伝統的な中国の価値観を勉強をさせられる幼少期でした。

12歳で祖母が亡くなると父は母と離婚。見聞を広めるため上海の学校に転校させられ、西洋式の近代教育を受ける。父は孫文が政府を立てた広州へ行ったため、事実上上海で弟と二人暮らし。
1925年5/30 上海で大規模な反帝国主義デモが起きると、学生デモを組織し参加したため、中学を退学処分となる。父により北京の教育家の元に送られるも、北京で共産主義者たちと出会い、ソ連への留学を決意する。3月に孫文は亡くなっていたが当時「連ソ・容共・扶助農工」政策が掲げられ、中国の革命家人材を育成するモスクワ中山大学ができていたため、1期生として留学。同級生には共産党の鄧小平、のちに日中国交正常化に貢献する廖承志などがいた。
ここでトロツキーの思想に心酔し勉学に励むが、父・蒋介石が上海で反共クーデターを起こすと、父への絶縁状をロシアの新聞に載せ、全世界へ配信される。卒業後は帰国を許されずレニングラードの軍政学院で軍事と政治統制組織の方法論を学ぶが、スターリンの人質同然となり、また中国共産党員からもいじめを受け苦難の生活を余儀なくされる。

モスクワの電気工場の工員、貧しい農村で農業、駅で荷運び人、鉱山での砂金取りなどの仕事に就くが、知識のない村人のために土地の賃貸借交渉、農機具の購入、税務などを代行し信頼を得ると、農村ソビエトの副主席に選ばれる。この過程で大衆運動の真髄を身につけたり、貧しい農民や労働者との生活で政府が責任をもって分配するべきという経済観念を持つ。また青少年への教育・訓練・思想教育の大切さを体験。
その後エカテリンブルクの重機工場で技師として働き、副工場長に抜擢される。旋盤工のファイナと恋仲になり、1935年に結婚。年末には長男が誕生した。

しかしその翌年にはスターリンの大粛清が始まり、工場をクビになり妻の収入に頼る生活に。さらに年末には父が中国で拘禁される。
1937年 長女が誕生。中国で日中戦争の激化に伴い第二次国共合作が成立すると、突然厚遇され、帰国を許される。妻子を伴い帰国。当時、父・蒋介石は宋家の三姉妹でお馴染みの宋美齢と再婚しており、新しいお母さんだと紹介したが、経国はこの人は私の母ではないと言い、故郷の生母の元で暮らすこととなった。
中国語を再勉強、思想検査をされ、孫文の三民主義、王陽明の哲学、曾国藩の家訓を再学習させられる。
と言うことで、36~37年はトランジットの天王星が太陽にかかり、土星が金星にかかり、冥王星が土星にかかり、ネイタル火星冥王星の合にはトランジットのノードとソーラーアークのノードがかかります。
人生の目的や縁の変わり目、劇的な変化がある年でした。

中国では政治か工業をやりたいと言い、父に政治の道を選ばれる。
軍閥が跋扈する江西省贛南に派遣され行政改革に邁進。衣・食・住・文化・職を保証することを目標に掲げ、兵士の養成、行政機能回復、阿片・賭博・売春の撲滅を開始し、教育や女性の職業訓練を行い、識字率が大幅に上がる。ソ連の農村や工場で働いた経験を生かし、農業組合を作り生産性向上、生協を作り商人の暴利を処罰、演劇や新聞で政策のPRを行う。
経国の政策は民衆の支持を集めるものの、やってることがソ連式なので国民党内には敵を作った。この間に自派の幹部となる人材を養成。
1939年に日本軍の爆撃により母が死去。
日本軍の侵攻により国民政府が重慶へ疎開すると、中央幹部学校の教育長に就任し、自派の人材を大量に連れていき中央での影響力を増すが、そのために敵視する者も多く現れた。
日本軍の撤退後は外蒙古・満州の帰属、権益についてスターリンと交渉。
国共内戦が本格化すると政府の通貨改革のため、上海へ。当時インフレがありえないレベルになっており、物価統制を行うも、蒋介石を長年支えていた財閥や宋美齢の反対に合い、経済は混乱。市民は物資買い占めの大パニックとなり、政策は失敗した。
大陸で国民党への反発が強まると父の側近として補佐をするようになる。

1949年台湾へ撤退。以降、中国との小競り合いが続く中、国防部政治部主任を任され、諜報機関の元締めとして、共産党のスパイの摘発などを行う諜報員を人材育成。また軍の人事権を掌握、幹部学校の校長となり軍・党・政府・マスコミ・教育界に自派の卒業生を送り、青年に対する反共キャンペーンなどの思想教育を行う団体を設立。この間にスパイだけでなく沢山の一般人の冤罪も生み、政敵を追放した。(12H冥王星と合の火星期よ・・・)
アメリカから退職金を援助するので軍人を削減するよう要請を受けると、退役軍人に公共事業を任せるよう転換。台湾の3000m級の中央山脈を貫く、東西横貫公路の建設など公共事業を行い、現場に出向き一緒に建設作業を行う。彼らはのちに支持基盤となる。

1963年には米国務省・CIAの招待でケネディ大統領を訪問。
1965年にはジョンソン大統領を訪問。核兵器供与の見返りにベトナム戦争への台湾軍の派兵を要請されるが交渉は決裂。
台湾行政を担ってきた陳誠が亡くなり、蒋経国の後継が確定。
1969年には父が事故に遭い、毎日病床に通い報告。行政院副院長となり行政の実権、経済政策を掌握した。万年国会となっていた議会の補欠選挙を行う。
1970年、台湾は大陸への攻撃を停止。渡米しニクソン大統領と会談。
滞在先のホテルで台湾独立派の青年に狙撃されるが、狙撃犯の友人だった李登輝の農政の才能を見出し登用する。
国際政治では中華民国は国連から追放され中華人民共和国が常任理事国となる。

1972年に行政院長(首相)になると議会の議員定数増加選挙、李登輝など台湾出身者の入閣を増やし、経済建設のための大規模な投資「十大建設」プロジェクトを開始。桃園空港、鉄道の電化、港湾、高速道路、鉄鋼業や造船、石油化学コンビナート、原発などの建設や重化学工業への転換を図った。
以降台湾経済は発展し、台湾の国際的地位を高めることに成功。(この頃中国は文革で衰退)
経国はジャンパー姿の地方視察によって民衆の心をつかみ、民に親しむ指導者像が定着。(アセン蟹海王星・魚金星トラインを発揮しマスコット的存在になる)
一方、青年による雑誌の政治的言論を抑圧。

1975年に父が亡くなると憲法の規定に基づき厳家淦を総統に昇格させ、政界への意欲と影響力を持つ義母・宋美齢を牽制。
1977年選挙での大敗にショックを受けるとともに、不正選挙に抗議した民衆が警察署を焼き討ちにする事件も発生。
1978年に総統に当選するがこの頃には糖尿病が重度に悪化していた。
1979年には「美麗島事件」で民主派のデモを弾圧。これには米ケネディ議員からも圧力がかかり世界に知れ渡る。
米国が中国と国交回復し台湾と断交。米国で台湾関係法が成立し武器売却が復活したが、援助を受け続けるためには民主化を進めなくてはならなくなった。
1980年代には選挙で民主派候補者が続々当選。病状も悪化し一時寝たきりとなり三男の補佐を受ける。中国側の平和統一に向けた呼びかけは無視していたが民間交流は止められず、1985年に香港を通じた中国との間接貿易を公認。また世襲を行わないと宣言。翌年には次男、弟、宋美齢などを遠ざけ、政治活動規制法を改正し新党結成を認める。心臓ペースメーカーの手術。
1987年7/15には38年間続いた史上最長の戒厳令を解除し、また大陸への親族訪問も解禁。
1988年1月、報道の部分自由化を認め、2週間後にこの世を去った。
戒厳令解除の時のトランジットはノード軸と水星・海王星のグランドクロスができており、そのノード軸のドラゴンテイルが経国のIC天秤座木星と合。民衆の夢や声の広がりを受けるとも読め、趣深い。


こんな感じで参加者の皆様でチャートを読みながら、人生と歴史を追っていく2時間くらいの勉強会を開催しております。
ご興味のある方はぜひご参加ください。ネイタルが読める方なら歴史に詳しくなくても参加OK。チャートを声に出して読む練習をしたい方も歓迎です!

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