2024/03/21

私のぼやけた目には大抵光が眩しく映るので、昼過ぎの電車に揺られながら、駅のホームの内包した光がコンクリートを介して反射した魚の鱗のように、照らされて、今日もまぶたを下ろす。春が苦手になったのは、いつも置いていかれる方だと気づいてからだ。イヤホンの中にはmol-74と今でも桜で埋まった用水路が流れている。雨のように降り注ぐ桜色。歩道橋の上で踊るように歩く。いつも良い匂いがしていたパン屋さん。走馬灯のように、すべてが過去になることに気づく時、大抵わたしは壊れるために生きている。サブカルとして消費されるには眩しすぎた。こういう気持ちをこの先何度も味わうのかもしれないし、もう二度と味わうことはできないのかもしれない。長い青春だった。結局私は空っぽだった。それでも大切に思える人がいるのは、幸せということだ。春からひとりで東京で暮らす。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?