大学生失格

 最近岩波文庫から出ている『風姿花伝』を読んだ。

 この比の稽古は、ただ、指をさして人に笑はるるとも、それをば顧みず、内にては、聲の届かん調子にて、宵・暁の聲を使ひ、心中には、願力を起して、一期の堺ここなりと、生涯にかけて能を捨てぬより他は、稽古あるべからず。ここにて捨つれば、そのまま能は止まるべし。

 これは風姿花伝第一、「年々稽古條々」の章にある文で、十七・十八歳からの稽古の心得をまとめていたものの一部だ。読んだとき、そこで何か躓いたように文章に目を止めて、どこか暗い気持ちに襲われてしまったのを、後に再び思い出した。十七十八といえば、普通世間からは青春の真っ盛り、人生における一つの山場のように捉えられているけれども、どうも世阿弥にとって、そして能の世界にとって、この年齢は忍耐の時期に相当するらしいことが見て取れる。青年は声変りをし、体のつくりも微妙に変化するので、童の時分にあったような瑞々しさは失われ、今まで積み重ねてきた訓練様式が通用しなくなる。そういういわば生理的な要因で上のようなことを述べているのも事実なのだが、もっと一般的に、青春という辛辣で奇妙な一時期を享受している我々に時代を超えて共鳴する何かがある。そんなことを考えた。
 物心ついたときから僕は音楽が好きだった。祖父の家にまるでインテリアの一部みたく放置されたピアノをいじりだしたのが恐らく始まりだが、ほんの幼稚な気まぐれが15年以上を経た今でさえ続いているというわけだ。もはや弾く人が僕しかいないので、祖父の家から僕の家にピアノが移され、毎日に触れられる環境が整った。僕の今までの人生の大部分はピアノと共にあったといっても過言ではない。弾ける音楽のレパートリーも増えたし、それなりの成績も残すことができた。断っておくが、何も僕はピアニストになりたかったのだ、などというつもりはない。独力で音楽家になるのは、とくに形式のある程度固まっているようなクラシック界隈では非常に難しい。ほぼ世襲みたいなものであり、運でほぼすべてが決まってしまう幼少期の環境のことをとやかく言ってもしょうがないのは百も承知だ。ピアノの前に座っているだけで、僕には十分だったのだ。でも大学に入ってから、厳密には受験への意識が芽生え始めたころだろうが、環境は急変した。突然「自然科学の追求」が重大なテーマとして眼前に躍り出た。いざ大学に入って物理学の本を開くと、使われている数学がわからないので、数学書に手を出すようになる。すると数学の面白さも徐々にわかってくる。こういう塩梅で学部1年の貴重な時期をすっかり数学の勉強にあててしまった。最初の希望は薄れることなく物理学科に進学したけれど、1年次に深入りしていた数学の世界はそれほど役には立たなかった。ちょっと考えれば簡単なことなのに、学部2年で習う物理学と数学の間にはどこか微妙な、そして埋めがたい溝があることに気が付くのが遅れ、かなり戸惑ったし、苦しい思いもした。
 「昔を思い出す」というとき、たいていの場合どんな出来事があったとか、自分はどんな振る舞いをしたかを皆思い出しているが、自分がその時どういう思想を基礎に構えており、どういう論理思考回路にそっていたのかを、つまり自分を内側からたどることは困難だ。だからどの時点からということは断言できないのけれど、一つの憂鬱が頭をもたげるようになってきた。新しいことをいくらでも吸収する環境が用意されているのは大学の価値だが、ぼろぼろと零れ落ちていく過去がないわけではない。そして今持っている思想を勝手に過去に延長して、「あの時からこの方法で頑張っていればもっと先へ行けたのに」と無意味な後悔をする。物理学への招待を受けてから三年もたっていないのに、もっと昔から物理と向き合っていればと、物理に必要なのは物理数学であって数学ではなかったことに早く気づいていればと、月並みな愚痴を呟くうちに日は暮れていく。日々は変転していき、僕はその背中をついていくふりをしていて、実は振り回されているだけだったのだ。現代を生きる私達にとって、十七・十八あたりから環境は激変する運命にある。そして変転していく環境の中で、日頃持っている観念や思想は絶えず更新されていく。今まで重ねてきた自分の姿に重大な変化が現れ、どこか自身の制御が覚束ない生活になる。熱心な大学生ほどアイデンティティを獲得しようとする試みが裏目に出て、実はアイデンティティを破壊している。僕は自分が熱心なのだと主張したいわけではないのは確かだが、同時に中途半端な根性だけ据えて2年を経た今、それを「破壊」と解釈している愚かな人間になり下がっただけなのかもしれない。自然科学への煮え切らない興味の陰に、昔楽しく弾いていたピアノが此方を覗いている。一時期これほど半端にしか自然科学に携われないのなら、いっそ昔から音楽に集中していれば、と考えたこともある。お気づきだと思うが、この考えも先と同様、ナンセンスだ。こんな拙い考えを抱いていれば、昔の自分が僕を嘲るような憐れむようなまなざしで見つめてくるに違いないのだ。そしてこの感傷も当然、月並みなのだ。
 自然科学を強みにすることも難しいし、音楽で食べていくことも難しい。「選択と集中」、よろしい。なんとも残酷な言葉だ。眼前にどうしようもなく横たわる現実と、その前で無力に悶えることしかできない自分が嫌になって、逃避行動のように文庫本を読み漁っていた時期がある。上の『風姿花伝』は、そのとき読んだ本の一つだが、ここではデカルトの『方法序説』についても話しておきたい。デカルトの天才といわれる所以は、単に早熟であったことだけではないのだ。この本の中には、こんな一節がある。(第一部より引用)

 私は子供のころから文字による学問で養われてきた。そして、それによって人生に有益なすべてのことについて、明晰で確実な知識を獲得できると時効かされていたので、これを習得すべくこの上ない願望をもっていた。けれども、それを終了すれば、学者の列に加えられる習わしとなっている学問の全課程を終えるや、わたしはまったく意見を変えてしまった。というのは、多くの疑いと誤りに悩まされている自分に気が付き、勉学に努めながらもますます自分の無知を思い知らされたという以外、何も得ることがなかったように思えたからだ。
 (中略)
 以上の理由で、ほかの誰についてもわたしを基にして判断する自由、先に人々がわたしに期待させたような学説はこの世に一つもないのだと考える自由を、わたしは選びとったのである。

 知識を獲得しようと奮闘し、できるだけ多くを自分のものとすることは、ちょっと優秀な人であればだれでもできるが、その中にある虚偽や欺瞞を的確につかんで自分の意識の範疇内から斥け、主体的に行動することを選択する、こういう大胆さは天才しか持ちえない。以後彼はフレッシュな学説を開拓し、同時に慎重さを失わない、学者としての模範のような活動を生涯にわたり続けていく。デカルトの生き生きとした姿をこの本から思い浮かべてみる時間は非常に楽しかったし、また得るものも多かった。僕は大学で勉強したことを捨てる勇気もないし、そんなことをすれば破滅が待ち受けていることもちゃんと理解している。けれど、「主体的に考えること」は、訓練を重ねて徐々に身に着けていくべきだ、それを痛感した。受動的ではだめだ、能動的に考える訓練をしろと中高でも言われ続けてきたが、頭でその言葉を記憶するのと、心の底から理解することには雲泥の差がある。でも主体的に動くには、絶対的にインプットが必要だ。『思考の生理学』のなかで外山滋比古さんは同じようなことを取り上げている。彼は「忘れる力」に着眼点を置いて、頭のリソースを創造的行為に、つまりアウトプットに割いていくことを力説している。でも僕は弱冠二十歳、青二才なので、まだ何が捨てるべき知識で、何を残しておくべきなのかはよくわからない。僕の考えは、豊富なインプットを基にようやく能動的行動ができるということだ。一般的にその人の生活の輪郭はアウトプットで形成されている。知識それ自体に一途になるのではなく、この輪郭を豊かにしていこう。自分で考え、創造していく工夫をしていこう。これが今の僕の抱いている、抽象的だが一番大きな思想だ。
 デカルトは他にもいろいろな歩み方を提案している。たとえば、どれが正しい進路なのか確たる証拠がないとき、道をある方向に決めたら、わき目を振らずまっすぐ行くこと。森の中で迷ったとき、あれこれと方向転換するよりも、まっすぐな道を進んだほうがどこかにたどり着ける可能性が大きくなることを引き合いに出している。でも人生において、森は一つだけではないはずだ。今僕は猛烈に進路に迷っているけれど、この迷子の状態は所詮大学スケールで、長い目で見たらもっと大変な規模の森が待ち受けているのかもしれない。でも今のうちに指針を定めておくことは決して無駄ではないはずだ。とりあえず、今は素粒子方面に進もうかと考えている。ひたすら素粒子を勉強してみて、そこに何があるか見極めてみる。今後の生活の指針に何か重要なことを見出せるに違いない、僕はそう信じている。
 風姿花伝第一、「年々稽古條々」二十四、五(年齢のことだ)の文章に、”この比の花こそ初心と申す比なる”とある。『風姿花伝』は、能における聖典である以上に、優れた芸術論の書であると言わねばならないだろう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?