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omoriをプレイした感想

自分は物語の主人公に対してこういった嫌悪感を覚えたのは初めてでした。

正確にはいわゆるなろう小説の異世界転生俺tuee系の作品の主人公に対しての嫌悪感を覚えることはしょっちゅうで、それを自覚しているから極力視界から排しているわけですが。

主人公であるomoriに好意を感じて応援して前途を案じていながらも嫌悪感を覚えたのは初めてでした。

omoriの姉のマリさんはomoriの旅先にいて回復とセーブをしてくれます。いわゆるお助けキャラでゲームのシステム上そうなっているだけ、NPCだからそうなのだと。そういうものだと深く考えていませんでしたが、そうではなかったときは驚きました。このゲームは全体を通じて不自然さや違和感を与えるのが上手いと思いました。
また、作中の人物がそういった違和感に突っ込むことはほとんどないのでプレイヤーが自分の感性の普通さを信じて違和感を見つけ、うっすらとあらわになる不気味さやグロテスクさに戦慄するのが楽しみの一つなのかとも思いました。語ればキリがありませんが。

ゲームをプレイして、どのプレイヤーもそうだと思うけど結構早い段階でomoriが少年時代の世界は空想なのだと気づきました。

最初は何も考えずにそういう世界だのだと受け止めてプレイしていました。
が、シナリオを進めると場面が変わり時間が経過して舞台が未来?現代?に飛び、名前こそ違うもののomoriと似た容姿をした引きこもりの少年が出てきたときは彼はomoriなのだと感覚的にわかりました。
出会った友人であるケルも容姿も正確も少年時代の世界で出会った彼の面影を感じさせていましたしね。

この時はomori少年時代(以後少年時代)は過去を象徴した夢の世界で、過去に対して働きかけて恐怖を克服することで未来のomoriの生活に改善を促していくストーリーラインなのかと思っていました。
タオルケットをもう一度に似てるって話以外は事前に情報を入れていなかったので。

でもストーリーを進めていくと未来で克服した恐怖が過去の夢の世界に反映されてるシーンがありました。
これはどういうことなのか。

実際は逆で少年時代の世界はomoriの過去が反映されていることには間違いないが、時間軸は過去ではなく現在進行形の現実逃避の世界だった。

察しがいい人は初めから気がついていたかもしれませんが。

自分はomoriが現実に向き合うために協力していたつもりだったのにomoriが現実逃避するのに協力していたことがわかった時は本当に驚きました。
それと同時に激しく嫌悪しました。こんなに気のいい友人たちを、頼れる姉の存在を歪めて幼い姿にとどめて一番心地良かった関係のままにし自分の空想に付き合わせていることに、本当に嫌悪しました。

もちろん擁護できる部分はあってomoriは3〜4年ほど引きこもっていて、最後に見た彼女らの姿がそれなのだから、現代の姿や性格が反映されていないのは当たり前だし、姉が頼れる姉の姿をしているのはomoriの心からの願望なのだと思うし、当時の関係が非常に良好なのは現代の周囲の反応から十分すぎるほど伺えたわけですし。
空想ではあっても嘘ではなかったと思います。

でも理屈はわかるけど、納得はできないというか擁護しきれない。

姉を死なせてしまったこと、姉を死なせてしまったことから逃避し続けたこと、友人に秘密を背負わせ続けたこと、当人の心情を思えば多少の擁護こそできても、もっと早くなんとかすべきだったと考えてしまいます。

ま、その「なんとかする」が今回の物語になっているわけですが。

omoriは本当はずっと変わるきっかけが欲しかったんだとは思います。
バジルを探して会いに行く空想の世界を何度も繰り返していることは語られているし、現代で恐怖を克服したからこそ空想の世界でも先に進むことができた。もちろん空想の中だけでも恐怖を克服した描写もあったので、ずっと機会を求めていたことはわかります。そのきっかけが今回はomoriの引っ越しだったことも

これはちょっとメタ的というかな個人的な感想ですが、今回の悲劇が仮に用意されていた選択肢であっても自分(プレイヤー)が選んだものであれば自分ごととして受け入れられたけど、自分の預かり知らぬところで犯した過去の罪が発覚してからは完全に他人として見るようになっていった。なんなんだこいつは。本当に気持ちが悪いと思いました。

それと同時にこのomoriに対する嫌悪は自己嫌悪にも近いところがあると考えました。
自分を投影していたomoriの過去の罪に向き合わない姿勢に対して嫌悪感を覚える、非難の言葉を向けたくなるのは自分自身が自分の過去や現在の行いに対して向き合わない自分を隠すためだと思います。
本当なら自己嫌悪し、omoriがそうしたように自分も過去と現在に向き合い痛みを伴って精算しなければならないのだと思います。
でもそれが怖くてできないからomoriに感情を向けている。ような気がします。

ここから少し文章が散らかります。すみません。整理できません。

人は誰だって過ちを犯すというけど、それは個人差や程度があるだろう。

精算しないで抱え続けることにも意味がある気がする。これは精算しないための言い訳だろうか?
もう何年も経過しているにも関わらずその過ちや不義理、そのころの自分という存在は一向に軽くもならず記憶からも薄れず、誰にも話せない。当時の関係者にも申し開きもしてない。(できない)
永遠に自分の中に残り続けている

ちょっとは忘れてきてるな
出来事としては残ってるけど彩度や感情は失ってる
輪郭は残ってる 情報は残ってる でも徐々に忘れてる気がする
このまま忘れるのだろうか 忘れたほうが楽になれるけど覚えていないとまた繰り返してしまうかもしれない

一部のエンディングではomoriは罪の意識から逃れられず自殺することを選びますが、本当にどこまでも自分勝手なのかと思わせられるほどにキャラクターに思い入れが生まれるこのゲームは賞賛に値すると思います。
残された人間のことを考えればそんなこと出来ないのはomori自身わかってるはずなのに。
自分は本当に必要で結果責任が取れるなら悪事でも自殺でも自由だと思っていたけど少し考えが変わりそうです。みんなも自殺をはじめとした自傷行為は控えようね。責任なんか取れやしないんだよ。責任が取れればいいという話でもない。

この物語は一番いいエンディングを選んだとしても、事実は何も変わらない。過去は変わらない。
姉を死なせてしまった過去も、姉を死なせてしまったことで起きた様々な出来事も何も変わらない。それでも前を向いて少しでもこれからの人生を良い方に導いていく。

とりあえずグッドエンディングをクリアしたときはそう考えました。手放しにめでたしめでたしと言えなくてもまあ良かったのかなと。
でもグッドエンディング(通常ルート)の後にバッドエンド(引きこもりルート)を遊んで印象が変わりました。

現実の問題は何も解決してないのに空想の世界では何事もなく、穏やかな世界が永延に続いていく。
グッドエンディングでは多くの代償を払って現実を生き始めて、とりあえず前向きに生きていけるようになったのにバッドエンドでは問題から目を背けくだらない茶番が永延に続いていく。プレイヤーとして操作させられる。

前向きになれるのがよかったのではなく、永遠に茶番が続くのが恐ろしいのだと。
人生が麻痺し停滞して死ぬまで茶番になるのは絶対に避けなければならなかったと思いました。
現実に向きあって、前向きになれなかったとしても茶番を生きるよりかはマシだと。

自分は悲劇の物語とか好きです。なんならポルノとして捉えている節さえあるし、主人公は限界いっぱいまで苦しめられるべきだと思っていましたが今回は違いました。今回は本当に考えさせられました。

主人公が苦しめられるのではなく、主人公が周囲の人間を苦しめていました。
自分は今回人を苦しめる、人を頼り迷惑をかける苦しみを味わいました。思っていたのとは違う苦しみで本当にキツかったです。

あといくら友達って言ってもなんかのきっかけで全然連絡とらなくなるよなあと改めて実感
少し寂しくなった

このゲームを自分を見直すきっかけにしたいと思います。

あとオーブリーちゃんが可愛すぎると思います。
でもomoriの脳内のオーブリーちゃんだからなあ
現実のツッパリ(死語)オーブリーちゃんも好きだよ

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