忘れられた図書室とタイトルのない本達

痛みによって意識が呼び起こされた。


寝すぎた時特有の頭痛と凝り固まった体、倦怠感。
察するに随分長いこと寝ていたようだ。

重い体を起こして辺りを見渡す。見覚えのないような、どこか懐かしさを感じるような風景が広がっている。ここはどこだろうか。

見たところ、ここは小部屋のようだ。
生活感はなく窓もカーテンも閉じられ薄暗く、空気はこもりきり深く息を吸うだけで少し陰鬱な気持ちになる。

はっきりしない頭で何を見るでもなく部屋を眺めていると、この部屋には本が多いことに気が付いた。本は部屋中無造作に積み上げられ、すっかり埃を被っていた。少し視線を横にやると本棚もあった。壁に沿うように配置された空の本棚達はなんとなく手持無沙汰で散らばった本を恨めしく眺めているようだった。


どうやらこの部屋の主は本を棚から引っ張り出したあげく片付けもせずに長い間放置するようなだらしない人間なのだろう。本を何だと思っているのか。少しの軽蔑を覚える。

立ち上がってみる。どうもこの部屋自体はそれほど広くなく、自分以外の気配もないようだ。
今まで自分がここで長い間寝ていたこと、誰にも起こされなかったこと、自分以外に誰も見当たらないことから鑑みるにこの部屋の主は恐らく自分なのだろう。

部屋の主に向けた侮蔑の感情が、それほど時間を置かずそのまま自分に帰ってきてしまった。思わず苦笑する。


ここは自室であり、そして長い間放置され散らかっている。
寝る前自分が何をしていたのか、何者だったのか、これから何をするつもりだったのか。すっかり思い出せないことも気になったが、とりあえず目の前に広がる混沌に対処してからゆっくり考えるでも遅くはないだろう。この部屋に自分のすべきことが示された物がでてくるかもしれないし、時間をつぶしている間に誰かが部屋に尋ねてくるかもしれないし、体を動かしてるうちに思い出すかもしれない。
そうだ。思い出した。僕は考えるより先に体が動くタイプだった。


散らばっている本を手に取ってみる。好きな漫画の第三巻だ。読んでみたい衝動をなんとか抑えつつ同じ漫画を部屋中回り拾い集め、数字の小さい順に並べて本棚に収めていく。

部屋を回り、乱雑に置かれた本の中から目的の物を取り出す作業を続けるうちにあることに気が付いた。この部屋の主は随分と自分と本の趣味が合うようだ。
いや、それもそのはずこの部屋の主は僕だ。なぜか思い出せないだけでこの部屋の本は全て僕が買ったものだ。

それとなく積み上げられた本のうちの一冊を手に取って読んでみる。
すると驚いた。その本の内容を思い出すとともに、その本を買った当時の自分も思い出していった。
この本を買った当時の世間の流行。この本を買うためのお金の出自。そのとき自分は何を考えていたのか。何が好きで何が嫌いで、何が欲しくて、何がいらなかったのか。

本を手に取るたびにいくつも思い出していった。

本の表紙に刻まれた数字が何十と続いている本。話が進むたびに友人知人とその先についてあれこれ言葉を交わしたこと。3巻で完結してしまった漫画本。いわゆる打ち切りにあったわけだが、当時の自分は好きで応援していたこと。数字が刻まれることなく1冊で完結した本。世間的に全く知名度がなくとも、自分は好きで何度も読み返したこと。

そうか。ここにあるのは本だが、本だけじゃない。
記憶だ。本を買った人物の確かな歴史が、この部屋にはこの本達にはあるのだ。

この部屋の本が持つ特別な意味に思いを巡らせていると、奇妙なものを見つけた。それもまた本だが、他の散らばっているものとは少し様子が違った。

その本にはタイトルがなかった。表紙も無地で手に取って開いてみるまで内容を推察することが全く敵わないようだった。


はて最初にこの部屋を回って本を片付けているときこんなもの目にしただろうかと、こんなよくわからないものを購入したことがあるだろうかと手に取って読んでみる。

その本はなにか話の途中から始まっていた。どうやらこの本はシリーズ物で、そのうちの一冊のようだった。
途中から始まっているためうまく内容は掴めないが、まま読み進めていくと、この本の趣旨がわかってきた。

どうやら主人公であるこの冴えない男の冴えない人生を題材にした物語のようだった。
話に起伏は少なく、主人公の男に魅力もなく、なんとも退屈な物語だった。
なぜこんなものがこの部屋に?この部屋の主は趣味が悪いな。そもそもなぜこんな面白みのないものが装本され出版されているのだろう。こんなものは1冊でも発売されれば御の字の即打ち切りものだろう。

ほとんど流し読みでページを開いていく。やはり退屈だ。たまに話が盛り上がるときもあるが、わざわざ特筆するほどでもない、ありきたりなものだ。
かなり冷ややか見ていたが、読み進めていくうちにこの冴えない魅力のない男がなんだか嫌いになれないというか他人とは思えなくなっていた。
僕もまた冴えない男だ。冴えない主人公に共感する場面が多く。次第に主人公を応援したり感情移入したりするシーンが増えていた。

この本を読んでいくうちに思い出すこともあった。僕はこの本を知っている。
いや、正確にはこの本自体は読んだことがないが、この物語のことならどこかで聞いたことがある。たしかこの本の前後にこんなことがあったはずだ。

記憶を辿りながら視線を部屋にやると、この本と同じようにタイトルがなく、著者の情報もなく表紙も無地な本が部屋にいくつかあることに気が付いた。確かに先ほど部屋を片づけていときには、それらは存在しなかったはずなのだが。

無地の本を手に取り読んでみる。そうだこの物語にはこんな出来事があった。次の本を読む。げ、記憶にはなかったが、この主人公はとんでもないことをしていた。思わずこの主人公に自分を重ねていた僕は自己嫌悪してしまう。なんだか今日は自己嫌悪してばかりだ。

本を読むたびに記憶がよみがえり、記憶がよみがえるたびに次の本が見つかる。
そうして見つかる本を棚にしまっていくうちに部屋中の本はすっかり収納されてしまった。

もう取りこぼしはないはずなのだが、おかしなことが一つある。
この無地の本は物語の途中で終わっている。続きを綴られた形跡がない。

この部屋の主、そう僕は一度買った漫画はなんであれ完結まで本を買うタイプのはずだ。本棚に揃えられた本達がそう物語っている。それなのになぜ、この無地の本だけは続きがないのか?

本には通常、創刊日が記載されているはずだ。いつこの物語の続きが途絶えてしまったのか確認してみよう。

無地の本の中で一番新しい物の最終ページを開いてみる。創刊日は201X年。
201X年?それはいつなのだろう。散らばった本を片付けていっても部屋の主、つまり僕の過去については思い出せても今が何年なのか、現在に関する記憶は全く思い出せなかった。

手掛かりを求め辺りを見渡してみるとカレンダーが目についた。少し角が曲がり素材が傷んだそれはこの部屋の時間が201X年であることを示していた。


本当にそうなのか?この本が創刊されてから1年も経過してないのにこの部屋にはこんなに埃が積り、カレンダーそのものに時間の経過を感じさせるほどの劣化が生まれるのだろうか?


時計に目をやる。
時計は自分の仕事を忘れたのか、その秒針は動くことをやめていた。

止まっている。この部屋は、この部屋の中だけが時間が止まっているようだった。


なぜ?いったいなぜ?
思考がまとまらない。空気がこもりきっているからか頭の回転がどうやら鈍くなっているようだった。
窓を開けて換気しよう。気分転換しよう。

そう思い立ち窓を開ける。

すると凍てつくような風が部屋に吹き込み、その風に呼びかけられるようにカレンダーは揺れ、時計の秒針は再び時を刻み始めた。

そうか。完全に思い出した。
無地の本の著者を。この部屋の正体を。何故時が止まっているのか。外には何があるのか。今がいつなのか。何故窓を開けたら再び時が動き出したのか。


この部屋の主の気持ちや祈りが風に乗って届いた気がした。そうだ。僕も同じ気持ちだ。


外へ出るのだ。


窓から吹き抜ける風の冷たさから察するに今は冬なのだろう。
今外に出たら凍えてしまうかもしれない。


でもきっと大丈夫だろう。


部屋を片付け終わり、全てを思い出した今の僕ならこの寒さに耐えられないほどではないだろう。
余りにも風が強いようなら物陰に身を隠し、風が通り過ぎるまで体をじっと縮こませていよう。
道中火があればそこで暖を取ろう。誰かの部屋があれば、もし可能なら少しそこに上がらせてもらってもいいだろう。


何でもいいから外に出よう。


本の続きを探しに行こう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?