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違いを感じてちゃんとみつめること

島野:ゲトを始めるまえとあとで、ブラジルに対するイメージや世界観が変わったことはありますか。しばらく苦い経験ばかり積み重ねてるじゃないですか。ゲトをさかいに変わったようなことはあるんですか。

マッチ:やっぱりミナスジェライスのときよりはバイーアのほうがよかったです。ゲトというより環境が大きかったかな。これをしたらこう返されるのかとか、言いたいことをちゃんと言わないと好きなようにされるっていうのは苦い経験があったからこそ知れたことで、つぎに行きやすくなったというのはありますね。ゲトでよかったことといえば、カポエイラをするうえでの目的がはっきりしたことです。

島野:ビジョンが明確になった。

マッチ:そうですね。それまではカポエイラって自分のなかでは格闘技で、強くなりたいとか、アクロバットのかっこよさとか、それぐらいのとらえかたでしかなかった。ゲトを始めてからはあきらかに、カポエイラによってどのように人を教育していくかということを意識しはじめました。

島野:カポエイラを通じて生活のなかに取りこんだものってなんですか。

マッチ:なんていうかブラジルって、なんとかねじこんでいく力がすごいんですよね。うまくいかないことがあっても、日本ではすぐにあきらめてしまうところを、しがみついてでも必死になんとかする方法をみつけだしたり、壁にぶつかってもぶつかってやめないで、なんとかすりぬけるとか。よく「お金より友だち」ってむこうのひとが言うんですよね。たとえば友だちのコネクションを使って入学する、あらゆるコネクションを使ってでもそこにいきつく、目的を達成しようとする力。コネというと聞こえは悪いんですけど、その関係性も持ちうる力のひとつなんですよね。ああいうのは強さでもあるし、学んでいかなきゃと思いますね。

島野:ひとそのものの強さがちがいますよね。個々の強さというか。そういうことを感じるのは、たとえば日本なら会社で決裁権のある人間までたどりつかないと話にならないものが、現場が全部判断してしまうようなことがある。たとえば僕のブラジルでの体験だと、ブラジルのちょっといいコンサート会場で、現場でさらに良い席がある場合に、日本だと現場で判断できずに責任者を呼ばないと相談さえできない。でもブラジルだと往々にして現場のスタッフとの交渉次第によっては個人の判断ですんなり入れてしまうようなことがあって。現場独自で判断するんですよね。僕はそれがすごい好きなんですけど。

マッチ:ありますね。僕も奥さんといっしょにコンサートに行ったんですけど、バイーアのカンポグランジにある、けっこういい劇場、なんでしたっけ…

島野:コンシャ アクスチカ(conxa acustica)ですかね。スリバチ型で底が舞台になってる、屋外の大きな劇場。

マッチ:そう、それです。日常生活ではあたりまえのように短パンを履いてたので、短パンのまま奥さんといっしょに会場に入ろうとしたら、警備員に短パンじゃ入れないって止められたんです。絶対入れられないって。ブラジルって場所によってドレスコードが厳しいのかって、そのときはじめて知って困ってたんです。でも「君と彼女のズボンを履き替えればいけるんじゃないか」って、警備員が(笑)女の人は短パンでもいいらしい。トイレで奥さんとズボンを交換して、僕は奥さんのパツパツな長ズボンを履いて戻ったら、警備員がこう、親指立てて(笑)通してくれるんですね。ありますよね、そういうの。

島野:すごい提案力ですね(笑)

マッチ:ダメとはいうけど、ちゃんと提案を…現場の力っすね(笑)

島野:その提案ははじめて聞いた(笑)

マッチ:日本ならあきらめてたかもしれないし、警備員もそんなこと言ってくれないですよね。

島野:ズボン替えろって…(笑)

マッチ:もう僕すごいパッツパツでもっこりしたまま行ったんですよね(笑)そのほうがよくないと思うけど(笑)

島野:おもしろい!(笑)たしかにすごい粘り強く交渉すると折れてくれますよね。ああ、もういいって(笑)

マッチ:前々回のブラジルでシャパーダに行ったとき、長距離バスに乗るのにパスポートを忘れちゃったんですね。もうこういうときはブラジル人を見習って粘らないとダメだと思って、乗せてくれ!乗せない!って係員とずっと押し問答して、お願いしますお願いしますって粘ったんですけど、白人の係員の人は聞いてくれない。でも黒人の荷物係の人が、もう乗せてやれよって言ってくれて、乗せてもらうことができたんです。ああよかった、ありがとう!ってその人に言ったら、「金くれ、乗せてやったから財布見せろ」って。そこからお金ガバアってとられて。財布ごとじゃなかったけど、スリのとり方ですね(笑)乗れてよかったんですけど。何回ブラジルに行っても失敗するときは失敗しますね。

島野:もうぜんぜん違いますよね、世界が。

マッチ:若いときには日本で生きてきた世界観で、物があって車があって、ちゃんとした会社に勤めるっていうのが幸せとしか思ってなかったんですけど、車もない、物もいっぱいあるわけじゃないけど、物に囲まれるんじゃなく、好きなことに囲まれているっていうことが、人生の豊かさなのかなって、ブラジルへ行って考えが変わりました。

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島野:マッチくんはそういうことをゲトやカポエイラで教えたりするんですか。

マッチ:そうですね…自分がいま好きなことで生きてるように、そういうふうにして生きれるよっていう、自分自身がいい題材になるかなとは思っています。物じゃなくて、人間関係や好きなことを大事にして生きていく。でも日本で生きていくには、好きなことをどうマネタイズしていくかというビジネスの視野をもって取り組まないと、次につながらないなと感じています。広げながらも、文化は守りつつ、でも発展させたり…つぎの若い世代の子たちがカポエイラで生きたいと思えるようにしていきたいですね。でもそれも若い子たちといっしょに考えればいいかなと思うんですけど。

島野:台湾で太鼓を教えにいくと、ギャラをもらうわけじゃないんですけど、そこにいるあいだの食べることと寝ることにはぜんぜん苦労しないんですよね。朝から夜までサンバヘギをやって、ご飯がちゃんと出てきて、俺はこれをずっとやってたら、べつに日本に帰らなくても生きていけるんじゃないかなっていう変な錯覚をおぼえる。自分が知っているものとはべつの経済システムがあるんじゃないかと、たまに考えるんです。ブラジルでも僕は居候していて、お金をもらうわけじゃないけど、そこで仕事をいろいろ手伝って、豪勢なご飯が出てきて、寝る場所もあって。これはお金がなくても僕は生きていけるんじゃないんだろうかっていう…

マッチ:そうですね。幸せな時間を過ごしてますもんね。

島野:そうなんですよ。そのあいだいっさいお金を使わないんです。日本の、とくに東京なんかの都市圏内ではありえないことですよ。海外に招待されて、居場所をつくってもらって、そのかわりに自分の力を出す。僕であればサンバヘギを教えるという、自分の能力を提供することで紙幣の交換が発生しない。僕は能力を提供するから、それ以外のことをちょうだいっていうことが成り立ったら、お金はいらないんじゃないかと。お金がないことへの一種の不安はあるんですけど、なくても生きていけるんじゃないかということを、ブラジルと台湾では思うときがあるんですよね。日本では絶対にないですけど。それはマッチくんがいう、好きなことで好きなひとに囲まれるってことに近いのかな。

マッチ:若いときにそういう違う価値感の国で生活できてよかったなと思います。

島野:マッチくんが経験したことのなかから、大事なものはなにかを伝えられるといちばんいいですよね。

マッチ:そうですね。でもこういうことは、レッスンのなかでたまに話すこともありますけど、しっかりまとめて話すことはないので、この対談というかたちで引きだしてもらえるのはありがたいです。

島野:カポエイラをやっているときに、ジョーゴや音楽、その歌詞のなかにブラジルのことが想像できるイメージはなんとなくあると思うのですが、実際むこうに行かないとまったくわからないことがいっぱいあるじゃないですか。ジョーゴのなかでもマリーシア(malicia:相手をあざむく巧妙さ)やマランドラジェン(malandragem:ずる賢さ)のような、技のなかでの騙し騙されというニュアンスは理解できても、ジョーゴのなかでの狭い意味合いでしかわからない。マッチくんのように実際に苦い思い出だったり失敗だったり、逆に助けられるありがたみも経験したりして、はじめてその言葉の本当のニュアンスを知るんじゃないのかな。体感するからこそ、それを活かして自分がどう生きていくかにまで及ぶというか。四角四面にカポエイラやジョーゴをただやるだけというのは、やっぱりもったいない気はしますよね。ジャンやマッチくんはカポエイラが生活と密接に結びついていて、カポエイラそのものをコミュニケーションのひとつとしていて、そういう大事なことがブラジルに行くと一発でわかるんですよね。日本にいるだけでどこまで理解できるのかは、けっこう難しいと思うんですが、マッチくんがいう、大切なのはモノじゃなくてコトだという想いは伝わってほしいですね。

マッチ:でもけっきょく僕はブラジルに住んでいたときもお金を稼いでいたわけじゃないのでただの旅行者であって、実際に向こうでお金を稼いで生活するとなると大変です。給料もとても安いですし、日本にくらべればもちろん不便な点がいっぱいありますよね。バスひとつとっても、1回1回停まらないし、行き先は教えてくれないし、止めたくてもめっちゃ早いから止まってくれないし。すごい目を凝らしてないとどこにいくかわからないし、いつも小銭を用意しとかないとおつりに困るとか、とにかくめんどくさい…

島野:なんというか不便さと人間味って比例する部分があって、便利さが進むとコミュニケーションでさえも、たとえばZOOMでこうしてコミュニケーションできるような環境ができることは便利なんですけど、どんどん希薄になっていくじゃないですか。直接コンタクトしないから。あたりまえの話なんですけど、ひととの本質的なつながりが薄くなる。でもバスが止まらないわ、小銭がないわっていうと「小銭ねえよ」「なんでバス止まんねえんだよ」とか「来ねえよ」っていうコミュニケーションが発生するじゃないですか、いろいろと。

マッチ:不便さを共有することで優しさを多く感じますもんね。たとえば「なんのバスを待ってるの」って聞かれて、このバスですって答えたら「じゃあ止めてあげるよ」って、こんなひとなかなか日本にはいないですよね。

島野:サンパウロではそういうことはなかったんですけど、サルバドールで印象的だったのが、バスに乗って立ってると、座ってるひとが荷物を持ってくれる(笑)

マッチ:あれびっくりですよね。

島野:俺はあの習慣が大好きなんですけど、なんでなのとも思う(笑)

マッチ:あれはなんか優しさを感じますよね。

島野:おもしろいですよね。老若男女問わず、持つからちょうだいって。自分も座ったときにやってみたけど、ふつうに預けてくるんですよね。不便さのなかではそういうコミュニケーションをせざるを得ないじゃないですか。そこがすごくいいなと思う。だから変に発展しないでほしいっていうのは、そこで生活していないからこそ言えるおごりみたいなものなんだけど。

マッチ:たしかに。不便だとそこにコミュニケーションが生まれるんですね。

島野:カポエイラはそういうところから生みだされている背景ももっていて、そこがおもしろいところでもあるんですよね。

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マッチ:ブラジルってとにかく音楽がすごい、音楽のパワーが。ライブに行くとそのアーティストが歌うよりも大きい声で、観客がみんなサビの部分を歌うんですよね。

島野:あれはすごいですよね。ぼくもいつも思う。正直あまり上手ではないんだけどね、お客さんのほうは(笑)でもすごくいいよね。あれこそアーティスト冥利に尽きるというか。

マッチ:そのエネルギーこそ、ああこれがライブか!っていうかんじがしますね。音楽とかダンスって日本だと若いひとがやるイメージがあるんですけど、むこうは年をとってもぜんぜん変わらずに音楽だろうとダンスだろうとひとつのことをやり続ける。それをやることに対して、「ああ若いね」なんていわれない。べつにあたりまえのことというか。それは生きる豊かさだから、年なんか気にすることじゃないというか。

島野:まさにそれは僕も感じることで、ブラジルも台湾も年齢の幅を感じさせないんですよ。カポエイラはそれを打破するひとつのきっかけになると思っています。マッチくんはいま保育園や高校でカポエイラを教えていると言ってたじゃないですか。大人だけのクラス、50代以上を対象に教えることはないんですか。

マッチ:それはまだないですね。たしかにそれもあったらいいですね。

島野:僕ら以降の年はだんだん動けなくなってくるじゃないですか。アクロバティックなことはできないけど、そうじゃなく楽しめる動きを取りいれたクラスがあればいいなと思ったんですよ。

マッチ:ほんとにそうですね。考えておきます。それは仕事の幅にも広がるし。

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島野:カポエイラのいろんな動画を観ていたときに、車椅子でやっている子や、障がいのある子が参加している動画を観たんですよ。彼らが動かせる体の範囲でカポエイラをいっしょにやれるって素晴らしいことだと思いました。年齢差も個人差も打破できるものになるんじゃないですか。もちろんそれぞれのひとたちに合った教え方があると思います。体の成長の仕方や年齢に応じたやり方があるけど、世代や体の自由に関係なく、みんなでホーダで集まって、できることをやってそれぞれが楽しめる方法を、ブラジル人はよく理解している。うまい区別の仕方をするし、いっしょになったときの楽しみ方もよくわかっている。台湾もそうで、年齢観でいえば目上のひとを敬うというのは日本と同じなんですけど、年齢を越えていっしょになにかをやるときの壁がまったくないんですよね。僕も台湾に行くときは安心して10代の子たちとふつうにキャッキャできるような空気があるというか。日本ではなんか、こっちは気後れするし、年下のほうも身構えるようなかんじがあるんですよね。「そんないい年こいて」って言われそうな。日本には見えない壁があちこちにあるんですけど、ブラジルには日本みたいな敬語の文化がそれほどない。目上に対するリスペクトはちゃんとあるんだけど、日本のような〇〇でございますとか、〇〇でいらっしゃいます、みたいな変な言い回しはしない。言い方を変えることでそのリスペクトを表現するなんてことはほとんどなくて、もっとフレンドリーだし、世代間の壁がないから、いつまでもダンスでもカポエイラでも音楽でも、おじいちゃんであろうがおばあちゃんであろうがいっしょになって楽しんで、若者もノリで巻きこむような、そういう社会がほんとに素敵なんですよね。

マッチ:いいですね、ほんと。

島野:だからカポエイラが日本でその壁を破るひとつのポイントになればいいなと思います。

マッチ:僕は10代の生徒と接しているとき、教えることもあれば、教えてもらったりもして、つねに自分が教える側に立つとは限らないと思っています。カポエイラをすることで年齢差によって全部こっちが上というスタンスから変わっていけるかもしれないですね。よく生徒の子たちを車で送迎をするんですけど、そのとき指導についてやショウについて、カポエイラを広げていくことについてなど彼や彼女たちから聞いたりして。アイデアをもらっています。みんなそれぞれいいアイデアをもってるんですよ。

島野:そこを根本から変えられたらいいですよね。

マッチ:年上の人のスタンスが重要かなと。年下には全部こっちが教えるもの、こっちが上というふうに思ってたら、やっぱりそれは変えられないですもんね。

島野:社会自体がそういう考え方を変えていかないと、むずかしいし育っていかないんじゃないかと思います。

マッチ:時代においていかれる。

島野:マッチくんのまわりには若い子がいっぱいいるじゃないですか。10代の子とか、もっと小さい子も。そのなかでこの感覚はよくない、古いみたいなことを感じることはあるんですか。

マッチ:そうですね…高校生や大学生の子たちに、もっと年下の子を教えさせたりもするんですよ。その教えかたをみてると、怒ることで押し付けるような教えかたはしない。まず教えられてきた環境からしてちがうんですよね。自分たちが学校や部活でこれをやれ、ああしろって一方的に怒られてやらされてきたのとちがって、理論的に理解して育ってきた世代なんです。彼らの教えかたはどう理解させるかを考えて子どもたちに伝えている。本来はどう理解させるかを考えるなんて基本的であたりまえのことなんですけどね。あとはやっぱり、さっきもいったように新しいツールの使いかたは教わることしかない。とにかく彼らはつねに新しいものを検索して探しています。

島野:情報の取得の仕方があきらかに僕らとはちがうアクセスをもってますよね。勉強になります。

マッチ:最近いろんなSNSをやってみてるんですけど、TwitterとTikTok、Facebookをバズらせることができて。

島野:あれおもしろいですね。

マッチ:TikTokでバズったとき、若い世代はやっぱり、まずカポエイラを知らないということに気づかされました。カポエイラをやっている動画をそのまま流してもぜんぜん反応はないので、アイデアで惹きつけて本編のYouTubeであったり、サイトのほうにきてもらえたらいいと思って、生徒にバズらせかたを聞いています。僕がカポエイラを始めるきっかけとなったDA PUMPをテレビでチラッとみたときのように、きっかけとして若いひとたちにみてもらえたらいい。それとあかりちゃんが優勝したから(2021年1月世界大会優勝 舘あかりhttp://www.asahi.com/area/ishikawa/articles/MTW20210507180830003.html
)新聞とテレビにたくさん出してもらっていて、新聞とテレビはぼくら以上の世代のひとたちに見てもらうために重要だと思いますし、双方で知ってもらえたらいいですね。

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ゲトカポエイラ公式サイト
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続く

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