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Inner Peace

例年に比べて雨の日が多いように感じていたが
不思議と何週間も前から雨の心配はしていなかった。
変な確信があった。
当日が楽しみで、夜明けよりもだいぶ前に目が覚める。
新聞配達のカブの音や、カラスよりも早い。
週末の騒がしさが過ぎた後の
何も通らない、わずかな静寂で朝を待つ。

エレベーターで一気に昇っていく時の
あの解放感と高揚感を
もう少し味わっていたいといつも思う。
みんなが無言になって上を見上げる瞬間も好きだ。
普段はもっと賑やかで、音をなかなか拾いにくいけれど
エスカレーター周辺から流れてくる音にも
しっかり耳を澄ますことができた。
とても贅沢な時間と空間に、つい顔がほころぶ。

気候も最適だった。
風はとにかく爽やかで
適度に雲があるので日差しはそこまでキツくない。
遠景まで見える。
時折陽が差し込み、初夏の太陽を感じることもできる。

各々が自分と向き合っている様子が
どことなく伝わってくる。
思い思いに歩いたり、座ったり、寝転がったり。
昨秋のとても居心地の良かったギャラリーをふと思い出す。
あの時と同じような安心感をここでも感じる。

鳥が一羽、飛んでいることに気付く。
力強い羽ばたきではなく
翼をただ真っすぐに広げて、風に身を任せている。
大きくゆっくり旋回している。とても気持ち良さそうだ。
風の動きの一瞬一瞬を感じて
それ自体を楽しんでいるように見える。
もし人が同様の心地良さを感じるとしたら
どのような状態の時だろうか。

自分が今まで気を張っていたことに改めて気づく。
目を閉じてゆっくりと呼吸に意識を向ける。
思考が凪になっていく。
一方で、感覚は微細なものまで捉えるようになる。
特に音は顕著だ。
私の場合は意識が深くなっていくと
金属っぽい高音に敏感になる。
また、持続音の中に溶け込んでいくような感覚になるので
パルス音は普段よりかなり大きく感じる。
人の知覚は面白い。

いつだったか
おひとり様も楽しめるといいなと思っていて
それがこうして叶ったことや
ほぼ真下と言ってもいいほどすぐ近くで
昨年、瞑想を習ったことが繋がっているようで
(帰る時に毎回屋上を見上げては心の中で挨拶していた)
この偶然の不可思議さもプレゼントしてくれた気がした。

没入した時間を経た後も屋内で
ひとりゆっくりと雲を眺めていた。
本当に水蒸気なんだと思った。冷たい湯気。
一瞬たりとも同じ形をとどめず
何もない空から雲の糸が紡がれていくのを見ていた。
音と同じように、風も人には見えない波なんだろう。

心地良さの中には
しっとりとして温かい、柔らかな甘さが確かにある。

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