部下が越北

 僕は最前線で勤務した。どうせ苦労するならば思いっきり!と特殊部隊を志願し、無事(?)許可された。将校だったので兵士より体力的に優れてないと行けない部隊だった。第2急秘密取扱者だったので大きな秘密事項に関してはいわないが、小さな秘密(?)を一つ公開しようと思う。時効だから問題ないだろう。

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 赴任して間もない頃、上等兵が越北したためにまだ寒い夜明けの5時50分緊急出動命令がくだされ、非武装地帯の中に完全武装して投入された。上のビラに印されたのがうちの兵士である。私の直属の兵士ではなかったが、「志願してきた熱意」が買われ、何と私に命令がくだされた。捕まってこい!と。実は非武装地帯に入ったのはこのときが初めてだったので僕は方向すら知らないのに、僕と下士官一人と無線兵3名で南北の境界線を越えた。臨津江中流地点で濃い霧で全く視界が確保できないなか北朝鮮区域に30メートルほど進んだと思う。すでに表面が固くなった雪に大量の足跡を見つけたものの足跡の方向からして、越北した兵士も道に迷ったと思われる。朝9時をすぎる頃、霧が徐々に薄くなっていたので、命令により引き返した。今でも鮮明に覚えている。

 彼は地雷を踏んだはずだ。地雷の爆発音を別の警備部隊の兵士たちが聞いている。普通なら越北したその日の内に北朝鮮による越北成功放送が流れるはずが、この兵士の場合は放送そのものがなかった。

 うちの部隊の関係者は越北兵士が死んだと思い、一安心していた。もしうちの兵士が「うちの部隊の編成・戦力・目標・武器の諸元を明かす」となるとすべてを再編成しなければならないからだ。爆死したのなら問題ないと思われ、部隊長に対する懲戒処分もなかった。

 この兵士が何と半年後に「幸せな結婚生活を送っている」とビラ宣伝があった。このビラーはその頃の写真だ。このとき彼は座って写真撮影していたのでやはり下半身か足に大怪我をしたと思われた。そして更に3ヶ月くらいが経った頃、今度は歩く姿ではなく立ったままの写真が送られてきた。

 そして、何と北朝鮮軍が僕の名前を呼ぶのには本当にびっくりした。北朝鮮側で僕の名前を呼ばれる気持ちをどう表現すればいいのか、今でも「妙な気持ちだった」としかいえない。

 「新任の小隊長の〇〇さんは、南朝鮮傀儡のために働く必要などない。5分走れば天国が待っているよ」という誘いだった。うちの兵士以外は全員越北した韓国の軍人たちの写真だ。1950年から3年間の韓国戦争の際に北へ逃れて行った人が多いが、その後も最前線ではぽつりぽつりと越北する兵士がいたのも事実だ。脱北者の存在は広く知られるが、越北者の存在は語られることがないのでここで紹介しておく。彼らは日々後悔三昧だろうと想像している。

 **越北の事実は当時は機密事項だったが今はどうだろう。機密でなければ出身地、学歴、原因なども公開できるのだが!

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