日本女性・韓国女性の、日韓カップル?

 最近、ドラマの影響なのだろうか?日韓カップルが増えているように思える。教え子の中でも、日本人男性と結婚したカップルが数組いる。韓国人男子学生がと日本人女性と結婚した例は教え子の中に一人だけいる。彼は卒業後に仕事中に出会った女性と結婚している。有名芸能人の中でも韓国系女性と結婚して話題となっていた例もあった。探せば結構あるだろう。今回は彼ら国際カップルが背負った文化について書いてみたい。

 まずは事例報告。もちろん、僕の知っている範囲に限る報告だが、多少広げても大差なくいえるのではないかと思う。結論的にいうと、日本留学中に知り合って結婚した韓国人女子は全員離婚した。中には心を傷が深すぎるのか離婚後韓国に戻らず子供を連れてカナダに行ってしまった子もいる。韓国人夫と日本人嫁の方は子供に思い問題を抱えながらも、今の所問題なく暮らしているようだ。某大学の先生(日本)はハワイで知り合った韓国系女性と結婚した。すでに15年ほど経っていて離婚には至ってないが、幸せに暮らしているようには全く見えない。彼が奥様(韓国系女性)同伴で私を訪ねてきたことがある。「挨拶に伺いますから!」といつもの大音量の電話があった後、なかなか姿を見せなかった。ターミナルからタクシーに乗れば基本料金で来れる距離。5分もあれば十分なはず。しかし、1時間待っても姿を表さなかった。どこかで昼食をとったり買い物でも楽しみながら来るのかなと思っていたら、約1時間半後に研究室に現れた。しかも私の前で大声で奥さんを叱っていた。この先生も変わり者ではあるけれど、ここまで非常識とは思っていなかった。

 5分の距離を移動するのにこんなに時間がかかった訳を聞いて僕は仰天した。最も暑い8月の炎天下の真昼の時間帯に、上り坂を歩いてきたというのだ。なぜ?と聞くと「こいつ(奥さん)がタクシーの乗りたいというから歩いてきた!」という答えだった。空港に着いてからもレンタカーを一切使わず、バスを乗り継いて会いに来たという。30分ほどの滞在だったが、奥様は相当怯えている様子だった。全く異論も唱えず始終無口だった。別れの挨拶もほぼ無口だった。なんとも後味の悪い邂逅だったが強く印象に残っている。しかし、夫婦関係については一言も交わしてないが、大学教員の夫の不満が何でどういう性質ものなのか僕はわかるような気がする。

 「家族」という言葉は日本語ではなかった。明治期に新調した作った外来の概念なのだ。正式な法律用語として「今でいう血縁集団的」な意味として初めて用いられたのが1904年で、軍隊の必要上、用いられるのが初出だ。明治維新後に編纂された英和辞書群には全く出てこない。つまり「家族」とは全く新しい発明だったのだ。「家族」が日本で発明され、韓国と中国に伝わったもので、韓国ではかの李承晩が1904年から6年間の投獄中に作った英語辞書のFamilyの訳語にも「家族」はみられない。今日、当たり前のように「韓国の伝統的な家族主義」云々というのは全くの虚像に過ぎない。

 明治期には国家を大きな「家」(イエ)に見立て、天皇を家長とする「家(イエ)制度」があった。家長はイエを監督する権限を持ち、家の構成員は家長の強い管理下におかれているというイメージだ。イエの構成員が個性を発揮するのはご法度で、イエは一つの意見集団のような組織であった。今でも日本人が自分の意見を持たず(持っていても主張せず)、集団の意見を自分の意見として取り入れることはイエ制度の名残である。イエの秩序を乱すことは固く禁じられ、全構成員は「イエのロジックに合わせる」ことが強く求められる。日本はこのような社会なのだ。

 つまり、長年イエ原理を基本とする日本において、男性も女性も「集団に意向に合わせる」意識が体に染み込んでいる社会なのだ。だいぶ飛ばすことになるが、家(イエ)制度が制度として禁じられてすでに久しい。しかし、日本人の意識の中に遺伝子のように「集団」(イエ)に合わせようとする志向が強く見られるのは否定できない。みなさんも思い当たる節が大いにあろう。

 というわけで、日韓のカップルの話に適用すると、日本人女性は自分を「合わせよう」とする思考が強く働く。対照的に、韓国人女性には「自分の主張を伏せ、合わせよう」とする意識がほとんど働かないといえる。このような文化的な構造の差により、日本人の夫は韓国人妻に「合わせてくれるはず」と無意識的に期待し、日本人嫁は「当然のごとく合わせようと努力」するのだ。もちろん、同じ日本人の中でも個人差はあるだろうが、今僕が述べているのは文化論から「そういえる」という話だ。

 周りを見てみよう。韓国人夫と日本人嫁の組み合わせの方が、その逆の組み合わせよりうまくいくのはこのような文化の認識の差が伏流しているからなのだ、と僕は強く信じている。日韓カップルを目指しているのなら、勉強と覚悟が必要だろう。文化を変えるというのはお母さんを取り替えるくらい難しい作業だということを忘れないでほしい。みんなの幸せのために!!!


 

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