終わりなきパリ

《終わりなきパリ》、そしてポエジー:アルベルト・ジャコメッティとパリの版画@東京大学駒場美術博物館(2014.4.26-6.29)

まず、ほとんどの方がとりたてて何のご用事もないことでしょう。駒場の東京大学キャンパスのお話。ここに東大があることをご存じない方もいらっしゃるようです。そう、東大といえば、本郷の赤門ですから。

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井の頭線の駒場東大前駅は、駅を出ると何も考えることなくいつの間にかキャンパスに導かれる作りになっているのですが、門を入って大半の学生が向かう方向とは反対側、右手に歩いてゆくと、篤実な古典的デザインの建物が見えてきます。東京大学駒場博物館。なかなかいかめしい名称ですが、かつてここに存在した旧制第一高等学校の図書館を改装した、自然科学博物館と美術博物館併設の、ごく小ぶりの館です。
旧制一高は現在の東大教養学部の前身にあたりますが、現在の本郷・東大農学部の場所で開校し、その後しばらくして駒場に移転しました。この一高の遺産の上に駒場キャンパスは成立しているのですが、もはやその記憶は当時のままの正門と、この博物館の建物から辿れるのみです。
足を踏み入れると、かつての図書館建築らしい、背の高いアーチに囲まれた聖堂のような空間が現れます。とはいえほんの数分で歩き終わるようなこの小空間に、想像の翼が拡がるような大きな都市空間を封じ込めた展覧会が開かれているのでした。

ジャコメッティとは誰か
スイスを旅する人は、100スイス・フラン札に両替した際、青い紙幣の模様の向こうからじっとこちらを見つめる、不思議な顔つきの男と対峙することになります。紙幣にまでデザインされる男、ジャコメッティは、パリに育てられ、世界的な芸術家となったスイス人でした。
シュルレアリスム運動の渦の中で自らの彫刻芸術を確立した彼は、戦争を挟んで作風を一変させ、晩年の針のような人物の作品は彫刻の限界のような姿を見せています。その時期に彼は版画や絵画など多方向にその芸術性を発揮するのですが、このたび展示されているリトグラフ作品シリーズ《終わりなきパリ》は、そのような彼を育て完成させた、パリという都市そのものを主人公とした私小説といえるかもしれません。描かれる様々な場面は、彼の生きる何気ない空間がそのまま「芸術の首都」の相貌を備えてしまうような、不可思議な美しさに満ちています。
ジャコメッティの作品の周囲を離れてみると、今回の展示空間をそぞろ歩く者はさらにパリそのものの内部に導かれます。
かつてのパリ万博の記憶をよみがえらせる雑誌や、エッフェル塔の詳細な記録などさまざまな書籍があるかと思えば、アンドレ・ブルトンの『シュルレアリスム宣言』の初版、ミロやゴーギャンのカタログ、マネやボナールのリトグラフ、シャルロット・ペリアンの安楽椅子などなど――時代も芸術思潮もつき混ぜた混沌から、パリの雑踏をよみがえらせる展示の回廊。ひとつひとつの作品がそれぞれ独特の力を持ったものには違いありませんが、この輻輳にこそ都市の生命力をまざまざと感じさせる企画者の意図があるように思えます。
そしてその混沌のなかから、さらに一つの光が見えてきます。ル・コルビュジエの版画作品です。

ジャコメッティとは誰か

コルビュジエのもうひとつの貌
いうまでもなく、ル・コルビュジエは20世紀を代表する建築家のひとりとしてご存知でしょうが、逆にいえばわれわれはそれ以上のことをほぼ知りません。彼もまた、パリという街が創りあげた総合芸術家でした。
コルビュジエは生涯にわたって絵を描き続けましたが、正規の建築教育を受けたことがなく、学校といえば時計職人のための装飾美術学校に通ったのみで、むしろ絵描きが建築家になったという方が正しいのかもしれません。パリという大海に絵描きとして投げ出された彼は創作の一方で建築論の論陣を張り、一気にモダニズム建築の代表者の位置に駆け上がりますが、その当時の絵画は、やはり彼の建築同様禁欲的で覚醒的なものでした。パリという街を理性的な計画で再編成しようとする彼の『ヴォアザン計画』などには、結局この街が建築という領域においても彼の創造に様々なインスピレーションを与えたことが見て取れます。
今回の展示においては、彼の晩年の版画作品が大きく取り上げられています。それはまたわたしたちの意表をつくもので、それまでつくり上げてきた建築と建築論に見られる理知的な要素は影を潜め、自由で官能的な、奔放な律動に満ちています。あくまで直線的ならざるその形態の自由さには、代表作のひとつであるあの《ロンシャンの礼拝堂》を想起する方もいるかもしれません。パリの呪縛から放たれた後の地中海地方への沈潜を反映したようなこの晩年の作品のきらめきを前にすると、これもまたパリという街の反語的な創造への寄与なのかもしれないと思わざるを得ません。

さて、そしてこの狭い(失礼!)展示の空間につめ込まれた都市の想像力の、最後のハイライトをご紹介しましょう。

極小空間のなかの巨大妄想装置
ハイライトと申し上げたものの、実は今回の展示物に入っているものではありません。
その作品は、マルセル・デュシャンの通称《大ガラス》です。正式には《彼女の独身者たちによって裸にされた花嫁、さえも》というこの大きな作品の、それもレプリカです。なぜこんなとんでもない作品のレプリカがここにあるのか。その理由とともにこの作品の意義を説くには紙幅も資格も足りず――というところですが、常設展示されているこの作品をジャコメッティの大量のリトグラフが取り巻く姿はまさに壮観としか申し様がなく、いったい自分はどこで何を見ているのか、人影も少ないひっそりとしたこの館内、妖しい気分にすら陥りそうです。広いキャンパスの一角にたたずむこの静謐な歴史性に満ちた空間と、前衛そのもののこの作品の共存。喧騒に満ちた渋谷から電車で数分の場所でこの得難い経験を経たからには、観覧者はパリ以上に数奇な、現在の東京という都市空間の不可思議さにも思考が至ることになるでしょう。

極小空間のなかの巨大妄想装置

終わりなきパリ


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