見世物からの深化

『日本国宝展』@東京国立博物館(2014.10.15ー12.7)

いや、なにしろ国宝です。紹介もへったくれもあったものじゃないのでは。うむ、その通り。行った。見た。感動した。それで結構――ですよね。

国の宝物、というからには、もちろん多様なジャンルがあるわけですが、世の雑多なものどもをいろいろと吟味して、その上澄みのような部分、お宝を百科事典のように分類して見せてくれるのが、そもそも「展覧会」が行われる「博物館」というものの基本的な機能でした。
いや、少々場違いなお話を始めるようですが、簡単にいうと、博物館というもの――細かくいえば日本最初の「博物館」たる東京国立博物館というものは、優れたもの、国の宝のようなものを蒐めて見せてくれる展覧会である「博覧会」を開催するために上野に建てられたようなものです。明治初期にできあがってゆくこの日本初の博物館の当初の名称は、そのため「博覧会事務局」という、なんだかトボけたものでした。

国宝のゆくえ
博覧会とは、当然ですが、お祭りのようなニュアンスを感じる言葉です。対して、「国宝」にはなにか見る者をして厳粛な気分たらしめる語感がじわじわ感じられますね。どう考えても国宝の重さの方が「博覧会」を上回るわけですが、日本においては博覧会や博物館の方が先にできあがり、明治も末になってから国宝制度が成立するという、本末顛倒ともいえる流れを見せます。
が、しかし。この折の「国宝」の定義は「古社寺の保有するもの」になっており、廃仏毀釈や乱暴な祭祀統合で財の流出を招いた社寺の傷を癒やすというニュアンスのほうが強かったのです。工芸や文書などまで含む、現在私たちが考えるような国宝の趣き、文化財の重さを共有するには、昭和4年の国宝保存法制定を待たねばなりませんでした。その後戦後になって旧国宝は重要文化財という新たなカテゴリーに包含され、さらにもう一度、新制度としての国宝という突出した「たからもの」が指定されます。
国宝は、どうも定義あやふやなまま、日本人の心のなかで成長してきたようなのです。
ところで「日本国宝展」という、ヘタな講釈(当コラムのような!)は許されぬ横綱級のタイトルが付された展覧会は戦後になって3回開催されていますが、わたしはこの3回の国宝展の開催に、敗戦後の日本人の上り坂基調の自己確認のような趣きを感じます。
ひとつには、そのタイミング。第1回は1960年、高度成長時代を迎えるひとびとの上げ潮気分に見合う開催。第2回は1990年、バブル景気絶好調を迎えようという上げ潮気分に見合う開催。第3回は2000年、バブル崩壊後の惨憺たる社会状況が、一転してIT景気でイケイケムード、なんとかなるんじゃないかという上げ潮気分に見合う開催。
この3回の展覧会は、私たちの持っているこんな立派なお宝、というざっくりした「たからもの感」で選ばれた国宝を平行して分類し並べる、いわば真っ当な博覧会としての国宝展でした。それが世相にもぴったりと寄り添っており、なかなか時宜を得た企画となっていたわけです。

見世物からの深化
時は流れ、時代は移り、この国には様々なことが起こりました。
近年の様々な災厄は、いちいち挙げるまでもありません。
今回の国宝展には、〈祈り、信じる力〉という副題が付されています。
かつての国宝展が上げ潮に力強さを与えるような、国民に自信を植え付けるようなニュアンスがあったとすれば、今回の展観には、長い衰退期に入ったこの国を見はるかすような、回顧と鎮魂という観点が感じられます。ただ宝物を分類して博覧会方式で並べるのではなく、こういう軸を導入したところに、開催者の展示への意志、国宝というものに新たな価値を見ようという意志を感じ取ることができます。
現代美術に限らず、古美術を扱っても、人間の行いというものはその時代の雰囲気をどこかに反映するものでしょう。さらには意識するや否やにかかわらず、私たちは見ているものに何らかの生活感情のようなものを投影することと思います。今回の展観の静かな流れをゆっくり歩きながら観ていると、この時代に国宝を観るのは、このやり方がふさわしかったのだな、と腑に落ちます。展示する側と観る私たちの双方が各々のやり方で素朴に宝物を愛でていればよかった時代はもう、終わりを告げてしまったのかもしれません。

では、どのようにこのたびの展覧会を観るべきでしょうか
もちろん、冒頭で述べたように、どうだっていい、ともいえるのです。
ただわたしが思うのは、日本最高の祈りの場所が会場内のそこここに再現されているのだなあ、という、まあ当たり前の事実についても考えてみてはどうかな、ということです。
仏や神の似姿を作ろうとするのは、信仰の素朴な欲求として理解できるところですが、さてその姿の基準を作り上げ、現実に量産するに至るまでにはどれほどの知的・技術的プロセスを要するか。それをゼロから立ち上げることを考えると、まさに気が遠くなります。
特におそらく今回、祈りの対象として集められた仏画の規模とレベルは、なかなか今後も同時に観られるものではなかろうと思います。
特に前期に展示された《仏涅槃図》(金剛峯寺蔵)と後期展示の《阿弥陀聖衆来迎図》(有志八幡講蔵)の揃い踏みには、両者の圧倒的なスケール感も相まって、自然となにものかへの鎮魂の思いを抱かせます。

見世物からの深化

《仏涅槃図》

見世物からの深化_2

《阿弥陀聖衆来迎図》

各々の祈りへ
この国の歴史の中で、様々な時代に生きた人々が祈りの造形に込めた思いはどのようなものか。今回の展観では、そこに自分を重ねてみてはいかがでしょうか。
日本美術はやはり、先にご紹介した明治期の国宝定義を持ち出すまでもなく、宗教美術の大きな流れの中でその過半が成立してきました。形式や技法を論じるのもまことに貴重なことですが、やはり私たち素人には、それが寺社において機能している姿を思い浮かべて鑑賞するのが、素朴ながらも正しい姿でしょう。
つまり、自分が祈る対象を発見してみる、という姿勢で今回の広い会場を歩いてみてはいかがでしょうか。今回掲げられている仏画の数々は、日本人が考え得るほとけの似姿としては、最高のものが集められたように思います(国宝ですからね!)。誰しもひとりぐらいは、記憶のなかに、祈るに足る思いをお持ちの対象があることでしょう。それをこの仏画に託してご覧になってみてはいかがかな、と思います。

そして最後はその思いの対象を、京都の三千院からやってきた美しい黄金色の仏像、《観音菩薩坐像》がこちらに身を乗り出すように差し出している蓮台に、ちょこんと乗っけて帰るのがよろしい。展覧会に引っぱり出される仏像からは、俗に魂を抜くという祭儀が施されますが、まあそれはこの際よろしいでしょう。
さて、次の国宝展にはいつ開催され、そのとき時代はどのような姿を見せているでしょうか。いや、その前に自分がどうなっているか心配しなければいけませんけれども。

各々の祈りへ

《観音菩薩坐像》

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