__メタボリズムの未来都市展_戦後日本_今甦る復興の夢とビジョン_

『メタボリズムの未来都市展』@森美術館(2011.9.17ー2012.1.15)

「建築運動」という思想
もし建築というものがある種の芸術的な創作活動であり、建築物がその結果としての作品であるならば、建築とは実に奇妙なジャンルであるといえましょう。この創作活動において、創作者は構想と設計に徹し、原則として作品の制作に関わることはないからです。さらに建築という芸術——いや、領域と言い換えておきましょう——を複雑にしているのは、この領域には必ず発注者と、彼らが希望する「目的」があるということです。
以上はこの領域について繰り返し語られることであり、いまさらとりたてて指摘するまでもないことですが、ここに「建築運動」というタームを持ち込むと、事態はなかなか複雑になってきます。
創作者としての建築家は、実際の施工には手を下しません。となれば、厳密に言うならばその「出来」に全面的な責任を負うわけではありません。施工者の質、発注者の「芸術ならざる」目的が、純粋創作としての建築領域を浸食します。もとより、建築とはそういうものだ、という「そもそも論」をここから展開することは可能ですが、制約を外した純粋な建築領域を仮想すると、そこには「建築運動」の不思議な世界が見えてきます。そしてそこにはそもそも論から届く射程とは反対の論理が透徹しているようにも見えるのです。

建築家たちが夢見た理想の都市像「メタボリズム」
前置きが長くなりましたが、そのような運動の最も近来のもののひとつが、この「メタボリズム」ということになるでしょう。戦後日本の建築界をリードすることとなった丹下健三の影響のもと、大髙正人、槇文彦、菊竹清訓、黒川紀章らが結成した「メタボリズム・グループ」に磯崎新や大谷幸夫が賛同して始まったこの運動は、日本から発信した独自の建築運動ということになります。
その核心は語義どおりに「生成と成長」というきわめて抽象的な概念に求められますが、その誕生の背景は、大戦によって失われた国土の無秩序な復興過程に新しい建築の論理を全面的に関与させたいという若き建築家たちの欲望に求められるでしょう。今回の展示会場に繰り返し現れる壮大な都市計画の数々には、発注者も措定せず、細かな使用目的も示されない壮大な「運動」が記述されます。『新宿計画』『渋谷計画』などと名付けられた各プロジェクトは、詳細に観察すると、それぞれ特にその場所である必要のないものばかりであり、ともするとスケール感を無視した都市ユニットの成長が前提とされていたりします。

建築家たちが夢見た理想の都市像「メタボリズム」

「戦後」をひもとく、あまりにも壮大な手がかり
しかしながら、その「夢の場所」を描く若き巨匠たちの堂々たる衒いのない手つきには、羨望を覚えざるを得ません。もちろん現在の疲弊しきったこの国を生きる私たちには、ある種の違和感がつきまとうのも事実です。
すべての「運動」の持つ自己懐疑の薄さ、戦前の「大東亜記念営造計画」から直線的に結びつくそのテクノロジー的連続性など、その違和感の根元の要素について考えつつ展示会場をゆっくり巡るにつれ、伝統と革新、破壊と復興という当時の建築家が直面した逃れ得ない問題に挑むひとつの回答としての雄弁かつ明快な運動の姿と共に、もはや建築という領域が何物かの全体計画を担う器ではなくなっていく過程を今回の展観は浮き彫りにしているようにも思えるのです。

「戦後」をひもとく、あまりにも壮大な手がかり

いまふたたび、くっきりと浮かび上がるまぼろし
計算された展示物の展開と配置、単なる模型の羅列に終わらない工夫された展示は、この種の展観ではかつてなかったような成功を見せています。それだけに、この運動が70年万博に向かって高揚し、またそれを機会にまぼろしのように消え去って過程がくっきりと浮かび上がります。
丹下健三によって広島平和記念公園計画に刻印されたストレートな鎮魂のメッセージに始まる展示を、現在の日本の状況に重ね合わせず見ることは困難ですらありますが、果たしてその先に広がる壮大な夢の展示と建築家たちの苦闘の痕跡には、中途半端に破壊された国土の再建を生きる私たちと共有しうる体験、あるいは課題、あるいはその回答へのヒントがあるでしょうか。むろん結論は、観覧者の立場により様々であるように思えます。
——ともかくも、この展観は戦後社会をまるごとある問題意識から総括したといってよいほどに大仕掛であり、たとえ徒手空拳で訪れた観覧者であろうとも、問いと共に何事かの確実な成果を持ち帰れる手厚い展示がなされています。まさに必見の展覧会といえるでしょう。

いまふたたび、くっきりと浮かび上がるまぼろし

「建築運動」という思想 (1)



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