春日のカミの降り立つすがた

特別展 春日大社――千年の秘宝@東京国立博物館(2017.1.17ー3.12)

春日のカミの降り立つすがた
「鹿島物忌」かしまのものいみ、とは茨城県の鹿島神宮に特有の神職の名称で、女性が独身のまま、ただひとり老いて命が尽きるまで終身務めるものでした。
真夜中に本殿の奥に出入して神の託宣を受けるわけですが、伊勢神宮などでは中世にその伝統が途絶えてしまった斎宮や斎院と呼ばれた、神の嫁となり生涯身を捧げるような女性祭祀者の姿がここでは明治維新まで残っていたのです。
鹿島に祀られるタケミカヅチノミコト(武甕槌命)という神は、まことに強力な武神です。隣の香取神宮に祀られるフツヌシノミコト(経津主命)ともども、古代大和朝廷の東北征服最前線基地を守護する神であり、軍事に特化されたような特殊な神で、このような強い神威をこの世の人間社会と繋ぐにはかなり特殊な祭祀と、鹿島という日の昇る海に開けた力のある場所が必要だったのでしょう。
いや、なにゆえ鹿島の話などをしているのかというと、春日大社の核心は鹿島と香取の神様だからなのです。
春日大社には本殿が4つあり、まずタケミカヅチノミコトを祀る社殿、次にフツヌシノミコト、そして藤原氏の祖神であるアマコヤネノミコト(天児屋根命)、さらにアマコヤネノミコトの妻である比売神と続きます。つまり「春日大社」という総称の下には祀られた「春日大明神」という全体の神格を表わすレイヤーがあり、その下にはこの4柱に加えアマコヤネノミコトの子を祀る若宮を加えた個々のレイヤーが存在するということになります。
実は、これに加えて中世に至りますと、日本の神様というものは様々な仏菩薩が神の姿を借りて現われたのだ、といった考え方が強くなり、お隣の興福寺が同じ藤原氏の氏寺であるということもあって春日大社運営の実権を握って、春日信仰のスタイルはより複雑になりました。
さて、こういうややこしい信仰世界を整理するのにふさわしいのが、曼荼羅という宗教的ヴィジュアル・コミュニケーションの手法です。曼荼羅と言えば密教のそれが有名ですが、この展覧会では〈第3章 春日信仰をめぐる美的世界〉のスペースに優美な風景画のようないわゆる《春日宮曼荼羅》という絵画が多数展示されており、描かれた御蓋山上の虚空に浮かぶ仏たちと彼らが見おろす整然とした社寺の姿が春日信仰のリアルな姿を伝えてくれます。
これら曼荼羅を見ますと、今では失われてしまった春日社の東西ふたつの巨大な五重塔が興福寺と社地を繋ぐ場所に描かれており、興福寺の仏教世界と春日社の神祇世界をなだらかに一体化する役割を果たしていたように見えます。藤原忠実と鳥羽院がそれぞれ寄進した塔はまぎれもない仏教建築ですが、それらが描かれた美しい曼荼羅を見ていますと、当時の神への供養の形態と、春日野に広がっていた総合宗教都市ともいうべき古都の実像を俯瞰することができるのです。

春日のカミの降り立つすがた

鹿島立神影図 南北朝~室町時代・14~15世紀 春日大社蔵

重奏する神宝たち
話は遡りますが、曼荼羅の中心となる御蓋山に降り立ったタケミカヅチノミコトの鹿島からの乗り物は、長距離移動にちょっと無理があるようにも思えますけれども、まあ名前からして仕方ないのか、鹿、でした。現在外国人観光客にも大人気である奈良公園の鹿たちのご先祖となるわけですが、本展のプロローグはその神鹿をモチーフとした作品群で構成されています。これが可愛らしさと神々しさの絶妙なブレンドで、《春日鹿曼荼羅》という一群の絵画は日本の動物絵画としてもいちジャンルを成しそうな魅力を湛えています。
まあ乗ってきた神様と鹿が一緒に描かれた《鹿島立神影図》というジャンルもあるのですが、これらは実際に描いてみるとどうにも両者のスケール感がちぐはぐになってしまうようで神威を感じにくいのか、やはり鹿のみが描かれる「鹿曼荼羅」型のものが多いようです。この図様は本展で初めて接する方も多いかと思いますが、神鹿を立体化させた南北朝時代の《春日神鹿御正体》という金銀銅を組み合わせたまことに精緻な金属工芸品などは、再現された姿の思わぬ高貴さに圧倒されることでしょう。

さて、鹿に乗ってはるばる茨城から奈良にやってきたタケミカヅチノミコトは、先にご紹介しましたように征服戦争の最前線に立つ純然たる武神です。「神影図」に描かれる彼は太い直刀を左腰に佩びていますが、刀剣が武の象徴であるなら、この神は当然そのあたりの寄進を大いに好むでしょう。〈第4章 奉納された武具〉としてまとめられた一角は、本展のハイライトともいえる圧倒的な迫力の空間となっています。「毛抜形太刀」とか「兵庫鎖太刀」とは古典文学にもしばしばその呼称が現れる古い刀剣の形態ですが、その最高峰の国宝類がまさにごろごろと並んでいます。刀装も刀身も実に妖しいばかりの美しさで、久しぶりに豪奢さにくらくらするような思いをいたしましたが、なかでも《金地螺鈿毛抜形太刀》という古神宝などは、金無垢の細かな金具類に鞘の竹と雀と猫(!)の螺鈿細工が映え、こういうものを生み出す経済・文化・歴史的背景について夢想を巡らしているとすぐ閉館の時間がやって来そうな優品中の優品。――いや、ところがどっこい、この後にはまだまだ甲冑類がどーんと控えているのです。
その代表が、ちょっとどうかしているのではないかと思えるほどの、鮮烈にして過剰な金属工芸デザインを誇示する《赤糸縅大鎧(竹虎雀飾)》と、対象的に総合的質感と高貴なシックさで勝負する《赤糸縅大鎧(梅鶯飾)》という甲冑2領。藤原氏の氏神であるという背景からもたらされる優美さと、武神の好む荒々しい自己顕示の勢いをかけ合わせると、かくも呆れるほど強烈な美が生み出されるものか。本展のキーヴィジュアルとなっていることでも了解されるように、このふたつの甲冑は春日大社の神宝の象徴といえるかもしれません。武具という実際は陰惨で寒々しい用途のための道具を飾り立てる、いわば背徳的な美。刀剣も含め殺戮の具を贅を尽くして飾り立てるこれらの美術品は、鹿島で荒ぶることを終え、古都に鎮座した武神の姿そのもののようにも思えます。

一昨年、春日大社は20年ぶりの式年造替を迎えました。造替の作業中、折あって140年ぶりに特別公開された本殿内部の後殿を拝観することができました。さすがに特別な雰囲気で、今回会場に一部特別に実物大で再現されている第二殿の部分はその反対側の部分となりますが、森厳としたその姿をよく伝えています。
「平安の正倉院」とは、この社の神宝類を表わす表現です。他の古社にない豪奢さと歴史資料の豊富さは、やはり政権の中枢にあった藤原氏の関与と財力の賜物であり、かつ南都が騒乱に巻き込まれても武神の神威を恐れて誰もこの神域を侵さなかったということが大きいのでしょう。
その呆れるほどの物量には信仰の場所が絶えることなく維持されていることの迫力を感じますし、実際に後殿からなだらかに傾斜する御蓋山の山林の暗がりを覗くと、足元に降りてくる山の霊気に信仰の実体が生きていることを感じます。
とはいえ鹿島の物忌とは程遠い一観光客にさほどありがたい体験はいただけないわけで、さっさと順番の入れ替えで後殿を後にしました。ただ、実はこの後殿に春日信仰の謎のひとつが隠されているのですが――おっと、紙数が尽きたようです。こういうお話はまたいずれ、というやつですね。

重奏する神宝たち

国宝 赤糸威大鎧(竹虎雀飾) 鎌倉~南北朝時代・13~14世紀 春日大社蔵

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