杉浦康平_脈動する本_デザインの手法と哲学

杉浦康平・脈動する本:デザインの手法と哲学@武蔵野美術大学美術館(2011.10.21ー12.17)

始まりの「本」 杉浦デザインという創世記
グラフィック・デザインの世界において杉浦康平の名は現在まったく揺るぎのない位置にあり、今回の展観は功成り名遂げた彼の大回顧展:書籍装丁・造本の部(一部CD等もありますが)、という意味合いを持っています。もとよりその業績の核心部分は書籍に関わることでこそ生まれたと言ってさしつえないわけですから、この数百冊に及ぶ展示は杉浦デザインそのものの誕生と完成を俯瞰する貴重な体験の場を提供しているということになります。
さて、デザイン体験――とでもいうものがあるとすれば、かつて書店の店頭で遭遇する杉浦デザインとは、ひとつの特異なそういう体験であったかもしれません。現在では彼の弟子、孫弟子、あるいはそのエピゴーネンの仕事も含めてしまえば、極言するなら杉浦的なるものはほとんどすべての書籍装丁の背景にそのエッセンスを潜ませているといっても決して過言ではないと思いますが、彼が登場した60年代から70年代にかけて、その造本する書籍のスタイルは他の書籍と存在の文法を異にするのではないかとも思えるほどの隔絶ぶりを見せていました。書籍を成立させている条件の過半がその造本にあるかのような転倒した価値観がそこには窺え、不思議な危うさで絶妙の仕上がりを見せていたのです。

始まりの「本」 杉浦デザインという創世記

建造されるテキストの棲家
ここで「造本」という言葉を使いましたが、この言葉が彼の仕事をあるいは象徴的に表しているかもしれません。つまり彼の仕事は本を「装」するのではなく、一旦テキストの内部に深く入り込み、根本的に全体を書物として設計し直すところにその核心があるのです。内容にふさわしいイントロダクションの姿が理念として設定され、ロジックの結果としてのデザインが導き出されると、その理念が具体的に高度な設計として現前します。あくまでデザインは理念の具現であるため、ゆるぎのないものとしてたち現れます。
このことは、彼の出自が建築学科であることにも当然関わってくるでしょう。画家やイラストレーターの手にかかる装丁とは、手法が違うというよりも、造りだそうとするモノが違うのです。杉浦康平の手にかかる書籍は、テキストを材料とした建築の一種であり、理念の構築物なのです。建築物に玄関があり、リビングがあり、寝室があり、あるいは排水を伴う設備があるように、彼の関わる書籍には部分が全体と照応するように書籍に必要な要素が配置されています。

建造されるテキストの棲家

ページネーションの核心
このような言い方をすると、あるいは一方でそのデザインが理念の規矩の堅苦しい説明に終始するかのような印象を与えるかもしれません。しかしながら彼には一方で自身「吹き寄せデザイン」という言葉で説明するような不思議な緩みを見せる技もあり、そのゆらぎにこそ実は追随者を許さぬ秘密があるようにも思えます。計算され尽くしたデザインの詰めの部分に残された余剰、いや余情でもいいでしょう、そこに感性を刺激する「タメ」のスペースがあります。杉浦デザインにはしばしば、ふとした空白が挿入されることがありますが、それは純粋に空白でもあり、同時に何かを主張する、意味に満ちたものでもあります。

ページネーションの核心

DTP革命の見果てぬ正夢
また「計算」というタームから考えると、現在のPC利用によるデジタル・ネイティブなグラフィック・デザインと彼のデザイン思想が非常に親和性が高いことは一種皮肉なことかもしれません。複雑な組版フォーマットと重層的な図版の駆使、さらに細かなテキスト作業によるその仕事は、緻密な要求に応えられる彼の周囲の優秀な写植業者、製版技術者、編集者たちのアナログな情熱に支えられていましたが、いまでは机上で瞬時に(疑似的には)その環境が与えられます。当然ながら杉浦グラフィズムの表層だけをなぞる作業もコピーアンド・ペーストで簡単に行えるとなれば、その結果はもはや、いうまでもないことでしょう。

DTP革命の見果てぬ正夢

そして特異点は原点になった
デザイン体験――というほどのものではありませんが、個人的なことを述べると、かつて70年代から80年代に彼がディレクションした「遊」や「エピステーメー」という雑誌に書店で日常的に出会った体験が、グラフィカルな形象をすべてを捉える基準のひとつになっていることを折々に感じます。それだけに現在のデジタル環境で形成されるフォーマットならざるフォーマットの蔓延には、やはり心の底では疑義を感じざるを得ないのですが、ここからは杉浦康平を巡る思考の道筋が多岐に分かれて発生し、異論の種も撒かれることでしょう。
ともかくも、テキストが表現できること以上に書物全体が意味を包含してしまうという事態を圧倒的に見せつけられる、この驚くべきデザインの宴を体験しないで本年を終えるわけにはいかないでしょう。最寄り駅から冬枯れの美しき玉川上水を散策して、行くべし行くべし。

そして特異点は原点になった

杉浦康平・脈動する本 デザインの手法と哲学


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