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ユーリー・ノルシュテイン「アオサギとツル」のツルとアオサギ

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 ユーリー・ノルシュテイン監督「アオサギとツル」は、自意識の高い男女の愚かさと、映像の世界観の美しさが混ぜ合わさって、浅慮な心に映る真理(ことわり)の美しさに涙が流れる、情緒が刺激される作品です。個人的にはデートのシチュエーションに合う、おすすめな短編映画です。
 アオサギとツルは、本心では相手と結婚することをやぶさかではないと思っていても、いざ相手から求婚されると、気のない振りをして全く結婚するつもりがない素振りをしてしまう男女です。
 二人がお互いのプロポーズ断ってしまうのは、少しでも自分の理想に近づけて結婚話しを進めたいからで、自分達ですら自分の願望に振り回されて困ってしまいます。
 アオサギは、ツルと結婚した未来を想像して、自分のステータスに浮かれてしまう、尊厳を気にするタイプで、ツルは、物を考える前に言葉や行動が先行してしまう、その場の感情に身を任せてしまう性格です。
 アオサギもツルもそれぞれ自分の暮らしを持っている、独立した者同士ですが、相手に安く思われたくない気持ちから、駆け引きの根性を纏ってしまい、心の繋がりで完全勝利を欲する似た者同士になってしまいます。
 負けを認めたくない者同士の渡り合いは、本来の願望をかなえる欲求に、勝負に勝ち越したい欲望が勝ってしまい、同じ土俵に立つ両者共に自分の心を見失って、鏡写しの相手の心も見失います。
 その場の自分の直観を信じて譲らない男女は、良く言えば若々しい春の蕾ですが、長い目で見ると、理に敵わない性格は、年を重ねても周囲から信頼を得ることができず、若さと共に人生の花を失うリスクを負っています。
 アオサギの願望は、ツルがアオサギの思うようにならないと叶いませんし、ツルの願望も、アオサギがツルの思うようにならなければ叶いません。他人がいなければ叶わない願望を、胸の内で育んでしまうのも若さ故でしょうが、そんなアオサギとツルは違う場所で同じ花火を見て同じ気持ちに帰着します。
 ツルとアオサギが花火を見て感じた情感は、二人の物語を追って花火をみる映画の鑑賞者の心にも響きます。ユーリー・ノルシュテインが二人の物語のために用意した花火は、揺るぎないコンセプトと、映画の美しさが極まっている、見る人の心に焼きつく映像です。花火の美しさは偉大で、反省に懲りないアオサギとツルに愛着が芽生えてしまいますし、いつまでも相変わらずな両者こそ運命の相手と思い、最後まで決着しないまますっきりした気持ちで映画を見終えてしまいます。映像の満足が、物語の満足になる映画の理屈におさまらない良さと、フィルムが火薬に焼かれる一瞬を、一生忘れない作品です。

「ユーリー・ノルシュテイン「アオサギとツル」のツルとアオサギ」完

©2023陣野薫


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