いざ出雲王国 Vo.5-神魂神社 熊野大社の蛇-

神魂神社(かもすじんじゃ)

3日目。朝一番で松江駅に向かった。
荷物をロッカーに預け、駅前のバス乗り場から神魂神社へ向かった。
この時は「風土紀の丘入り口」というバス停で下車した。バス停からは10分ぐらい歩くと神魂神社に着いた。道中は古代出雲の里の名残を感じられるような懐かしい感じの風景が残っている田舎道であった。

苔が生き生きしていて木漏れ日も心地よい。自然が美しい神社だ。


石段も一段一段手で積み重ねてあり、本殿までの段の縦幅が大きかった。

この神社はかなり興味深い神社だった。行ってみてよかったと思う。
というのは、まず本殿が現存する最古大社造りで出雲大社より古い社殿になっている。そのためか、社殿は風雪に耐えた神錆びた雰囲気があった。

神魂神社は、古く“大庭”と言われていたそうだ。
現にこの神社が鎮座するのは松江市大庭町。現在にもその名が刻まれている。この大庭とは宮中の前の広い庭を意味する。つまり、この土地には大きな王宮があったのではないかということである。古代出雲王国を考察する上で、欠かせない場所なのである。
他にも、面白いお話が伝わっている。天穂日命(あめのほひのみこと)が高天原からやってきた際に乗って来たという古い鉄窯が祀られているのである。鉄ということなので、渡来人が伝えた鉄の技術を教えたという解釈もできれば、最早それUFOじゃんという解釈もできる。

また、個人的に一番惹かれたのがこの“荒神様”である。

1日目の揖屋神社でも見かけた藁蛇である。他の神社では木に巻き付けられた状態であったが、この神社では、柵に封じられるように祀られていた。結界の形も独特で面白い。後に記述する八重垣神社の佐久佐女の森にもこれと似た結界が張られていた。

たまたま居合わせた観光客のご老人が言っていたのだが
「これが最初の鳥居の形なんだよ」と言っておられた。確かにそんな雰囲気がある。古代では紙の紙垂の部分が葉が挟まれていたのかもしれないなと想像したり、なるほど興味深い考察である。
荒神様の裏に穴が掘られていて、どうやら防空壕のようなのだが、ご老人によると「出雲大社まで続いているとも言われている」とのことだった。そうだったらロマンがあるな・・・。

出雲大社との関連といえば「火継式」という神事だ。熊野大社でおこした火を出雲大社に持ち帰る儀式があるのだが、その火を運ぶ際の中継地点が神魂神社となる。(正直なところ、神魂神社と出雲大社はかなりの距離がある。そんな訳で、様々な観点から見ても謎なことが多く、歴史に埋もれていったもの、という言葉が似合いそうで、何かありそうな神社なのである。

熊野大社への道中

神魂神社に来る際に降りたバス停からバスに乗り、さらに奥へと進んでいく。八雲バスターミナルというバス停で一度降りて、さらにコンパクトバスに乗り換える必要がある。コンパクトなローカルバスではICカードは使えないので、小銭が入り用になるのでご注意を。ここでの乗り継ぎ待ち時間が発生する場合は、近くにコンビニがあるので、活用するとよい。

熊野大社

神社前のバス停で降りると松の参道があり、川を橋で渡ると神社がある。
禊の意味合いがありそうな川だ。

名前からして、和歌山の熊野本宮大社と関係がある神社なのだろうと思っていたが、この神社には八咫烏の紋もなければ、体感としてみても和歌山で感じた熊野の気配がしない。熊野本宮大社とは、全く別の系統の神社なのかもしれない。山奥の方ではあるが、境内は広く、舞殿もあったりして、都会にある町の神社と同じような雰囲気があり、人の気配がある神社である。



個人的に一番心地よかったのが、御神水が湧いていた場所である。
なんと言っていいか分からないが、静謐で穏やかな雰囲気が漂っていた。

鑽火殿という建物で「火継式」に使う火を燧臼と燧杵でおこすとのことだ。屋根は藁葺きで壁には檜の皮が使われていて、面白い作りをしていた。出雲風土記に熊野大社の名前が載っていたので、かなりの古社だろう。現在では出雲大社が有名になっているが、古代出雲ではかなり栄えた場所だったのかもしれない。

まさかのお見送り

熊野大社の松の参道を歩いてバス停に行く時のことだ。
個人的にかなり衝撃的であった。

えっ・・・

えっ・・・・!?


松の木の間から蛇が顔を出していた。木肌と皮のわずかな隙間に暮らしているらしい。まさかお見送りしてもらえるほど歓迎されていたとは・・驚いた。ヘビは都会暮らしをしていると滅多に遭遇しない上に神社で遭遇したことはないのでとても嬉しい。この地に住む人たちの暮らしを引き続きお守りください・・・🙏😌✨

八重垣神社

時間があったので、一度松江の駅まで戻り、バスで八重垣神社にも足を伸ばした。

この神社には一度訪れたことがあったのだが、境内の奥にある佐久佐女の森の雰囲気はこの神社にしかない。

奥には鏡の池があって、ヤマタノオロチ伝説の神話の舞台になっている。本当に神話の世界観そのままという空気感が漂っている場所なのだ。紙と硬貨を浮かべる縁結びの占いが人気で、若い女の子達やカップルが平日でもいっぱい居た。

松江の町

最終日は松江のルートインに宿泊。
松江城を遠目で見たり、宍道湖に沈む夕日もバッチリ撮影してきた。

松江の老舗、レストラン西洋軒で夕飯を食べたのだが、これが超絶美味しかったので、オススメだ。

出雲の旅を終えて

出雲をじっくり巡るという趣旨のもと遂行されたこの旅だが、
やはり一番印象に残っているのは“藁蛇”の文化だ。
出雲といえばヤマタノオロチ伝説など蛇に何かと縁がある。
しめ縄の原型とも思える文化が未だに残っていて、現在にも伝承されているのが興味深い。熊野大社で目撃した蛇も相まって印象深いものとなった。


島根県立古代出雲博物館で見た大量の銅剣など、太古の昔にこの地に息づいていた文明も感じることができた。これだけの力を持った王国がすんなりと他所から来た勢力に国を譲ることはなかったと思うので、実際には争いはあったことだろうと思う。それでも完全に歴史から消し去られることが無く、現在にこうして出雲王国の片鱗が各地に残っていることは素直にすごいことだと思う。松江に住んでいた小泉八雲が出雲大社に(当時は杵築大社という名)訪れた探訪記が「日本の面影」という書籍に載っているのだが、初めて出雲大社の本殿に昇殿が許された外国人であると記載されていた。
つまり、誰もかれも立ち入れる場所ではなく、昔から聖域として守り続けた人たちが居て今に続いている。とても気が遠くなるほどこの場所が守られている。どの神社でも思うが、とても尊いことだと思う。
まだまだ私たちが知らない古代史がひっそり神社などに継承されていると思うとわくわくする。美保神社など、島根には興味深い神社がたくさんあるので、またの機会に巡りたい。


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