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調停者の独白 ―NINE INCH NAILS『The Fragile』論―

トレント・レズナー。90年代以降のポピュラーミュージック史に大文字で刻まれるべきプロジェクト、NINE INCH NAILSの首謀者にしてコンポーザー。彼は誰よりも調停することの魔力に憑りつかれた男だった。トレントは自らの支配力の限界に挑戦するかのように、相反する対立項を大胆にも取り込み、一つの完成された構築物として提示することをとにかく好んだ。実験性/大衆性。アコースティック/エレクトリック。ノイズ/音楽。バンドでの演奏/一人での制作。野蛮さ/計算高さ。ヘヴィネス/アンビエンス。絶叫/囁き。世界の果て/精神の奥底。
 
ある時期の彼が酷く危うく感じられたのは、結局のところ、彼が調停者としてあまりに多くのものを引き受けたからなのかもしれない。
 
実際ゼロ年代以降のNINE INCH NAILSの作品は、勿論それぞれ毛色が異なるとはいえ、90年代期の異なる様式や方法論を驚異的な構成力でもって纏め上げる、偏執的なまでのミクスチャー感覚は減衰している。2005年作の『With Teeth』においてはNIRVANA/FOO FIGHTERSで知られるデイヴ・グロールを招いてかつてのエレクトロニックな要素を後景に退け、肉体的なバンドサウンドが追求された。そして2007年作『Year Zero』と2009年作『The Slip』においては『With Teeth』期の荒々しいギターロック路線にノイジーなエレクトロサウンドを加える形で差異化が図られた。このように作品ごとにフォーカスするべき点を明確に設定する姿勢は、あたかもこの世の全てを飲み込もうとしたかのような90年代の諸作とはあまりに遠い。NINE INCH NAILSの音楽性の変遷と並行してトレント・レズナーの職業作曲家としての需要が高まったのも恐らく偶然ではないだろう。


そして彼のミレニアムを跨いだ変化には、成熟というよりもむしろ一種の諦めの気配が漂っている。ドラッグ依存からの回復。ボディメイキング。ゼロ年代以降のトレントのこのような志向は、自らの限界を認めることと同義だったのではないか。己の身体と向き合い、一人の音楽家としてどう末永く生き延びていくか、そのような逆算的な考えが彼の変節からは透けて見える。
 
前書きが長くなった。今回取り上げるのは、トレント・レズナー及びNINE INCH NAILSが野心的な調停者であった時代の最後の作品、『The Fragile』だ。
 
本作の評価は決して高いとは言えない。1999年当時のPitchforkでは10点中2点という、ほぼ当てつけに近い屈辱的点数が与えられ、NMEでも10点中5点と極めて低い評価にとどまった。2000年前後のニューメタルの流行もあってか、そのあまりに長大かつ高密度な作風は商業的にも敬遠され、全米アルバムチャート初登場一位に輝くも翌週は15位に転落し、売り上げに対する不満からレーベルのインタースコープがツアーの資金を出し渋ったほどだ。
 
今作の批評的商業的評価が低迷した理由に、前作『The Downward Spiral』のあまりにも大きな成功と、それによって極限まで高まった次作への期待、5年に及ぶ長期のインターバルがあることは間違いない。90年代における最大の名盤の一つとも目される『The Downward Spiral』。ストーナーロックの匂いすら感じさせる乾ききったグランジサウンド、精密極まりないエレクトロニクス、インダストリアルの枠をはるかに超えた実験的音響を携えて、どこにも行けないまま堕ちていく、そんな病んだ精神の軋みをこれでもかと刻み込んだこの一枚のレコードは、まさしくトレントのキャリアの全てを変えてしまったのだ。そうして5年の歳月を経て届けられた次作の『The Fragile』は多くのオーディエンスに『The Downward Spiral』と大きく方向性の変わらない、冗長で纏まりに欠ける作品として受け取られ、長らく日の目を見ることがなかった(実際前述のPitchforkが本作のリマスター盤に8.7の点数をつけたのは18年後の2017年のことだった)。

 
実際、表面的に2作の類似点は多い。ニューウェイヴをルーツとするシンセサウンドでもってMelvinsからの流れをくむグランジサウンドのヘヴィネスを増強し、さらにそこにミュージックコンクレート的な実験音響で彩りを添えるという全体のサウンドデザインの方向性から、錆び付いたような独特のアコギサウンドの挿入やノスタルジックなローファイさを湛えたクラシカルなピアノ演奏といった目に付くディテールに至るまで、作曲面での大まかな特徴や手癖のようなものは大きく変わってはいない。



これは単なる焼き回し、音楽性の停滞という以上に、前述したトレント・レズナーの貪欲な調停者としての資質が基本的に一貫していたからだと言える。HR/HM的な文脈において敬遠されてきたエレクトロニクスとヘヴィネスの関係を一つの画期とすらいえるレベルで更新し、掠れる音、鞭打つ音、ぶつかる音、その他さまざまな雑音をオルタナティヴロックの手法に自然に溶け込ませ緻密かつポップに組み立てたその姿勢は、相反する対立項をものともしない彼のバランサーとしての資質を雄弁に物語っている。少なくとも90年代まではトレントの作曲におけるアティチュードは一貫していた。
 
だとすれば『The Downward Spiral』と『The Fragile』の間にある違いはいったい何なのだろうか。結論を先に述べれば、それは90年代前半と後半の間にある時代的差異に他ならない。順を追って説明しよう。
 
まず『The Downward Spiral』が制作された1992年から1993年の状況を考えてみよう。アメリカ各地のインディペンデントなシーンから出発したグランジムーブメントが大きく花開き、かつFaith No More『Angel Dust』やAlice in Chains『Alice in Chains』、Rage Against the Machine『Rage Against the Machine』といったグランジ以降のヘヴィネス表現を追求した名だたる名盤がリリースされたのがこの時期だ。そして同時にAphex Twin『Selected Ambient Works 85-92』やAutechre『Incunabula』に象徴される実験的なエレクトロニカシーンが本格的に勃興するのもこの時期である。トレント・レズナーが当時成し遂げたのは、Depeche ModeやMinistryといった先人達のエレクトロニクスとオルタナティヴロックのサウンドの融合の試みを横目に見ながら、先に上げた二つの動向をよりポップかつ実験的に融和させ拡張することだったと言える。同作のリリース時衝撃をもって迎えられたのは、オルタナサウンドとエレクトロニクスが有機的に結合し、かつインダストリアルの枠組みをはるかに超えた種類の非音楽的な物音やノイズまでもが大胆に取り込まれることによって、比類なき感情表現の高みに到達していたからに他ならない。それはまさしく前人未到の境地であり、ロック史における一つのエピックであった。


翻って『The Fragile』の制作時期にあたる1990年代後半はどうか。ロック史最大の名盤の一つとも称されるRadiohead『OK Computer』を筆頭にSwans『Soundtracks for the Blind』、Beck『Odelay』、Cornelius『Fantasma』といったトレントが得意としていた折衷的美学を有した名盤が多く輩出されただけではなく、『OK Computer』が当時のトリップホップの潮流に深く影響を受けたことに象徴されるように、ロックもヒップホップ由来のサンプリングの手法を無視できない時期に入りつつあった。さらにTortoise『TNT』のリリースを初めとするPro-Toolsの導入と時期を同じくするポストロックの動向も無視することはできない。批評家の佐々木敦が指摘するように、制作におけるハードディスク・レコーディングの導入は「編集」や「加工」といったポストプロダクションの可能性を大きく切り開き、デジタル/アナログという区別を無化してしまう画期だったのだ。このようなロック周辺の表現の急速な拡張を前にして、トレント・レズナーは『The Downward Spiral』の時のような明確なアジェンダをもはや持てなくなっていたと言っていい。時代は彼に追いつきつつあった。

 

このような趨勢の変化に対して、彼は「自分の持てるもの全てで埋め尽くす」ことによって応えようとした。『The Fragile』の音楽性を語るうえで最も重要なのは、同作におけるプロダクションの常軌を逸した多彩さと稠密さだ。
 
特に稠密さについては、前作のオープニングトラックの「Mr. Self-Destruct」と「Somewhat Damaged」を比較すると分かりやすい。まずは前者についてだが、加工を施された打撃音とうめき声の往復がやがてデジタルなビートに転化していく冒頭の展開に表れているように、同曲を大きく特徴づけるのは時間的な構成である。その象徴的場面が1:45を過ぎたあたりから挿入される静寂パートだ。ベースリフの反復とともに囁き声が繰り返され、やがてノイズの高まりとともに再度激しいデジタルビートが再来する、囁きと絶叫、静寂と騒乱が見事にコントラストをなすトレントらしい展開である。対して「Somewhat Damaged」はむしろ各パートの空間配置とその時間的な微妙な変化にこそ真価がある。同曲は左右のボリュームが大きく異なるアコースティックギターのフレーズで始まり(左側のチャンネルの方が明らかに大きい)、そこに強烈なキックと複数のシンセ、ディストーションギターが重層的に絡み合いながら展開していく。冒頭の左右のアコースティックギターのアンバランスなフレーズは後景に退きつつ不安定さをリスナーの無意識に印象づけるわけだが、0:59でボーカルが入り左右のチャンネルのバランスが調整され、1:47に同パートが完全に消失すると、徐々に高まりつつあったヘヴィネスはここを境にして勢いを増し、ブレイクを挟んだ終盤、暴動的とすら言える壮絶なテンションに到達する。同曲で聴くことのできるのは、アコースティックギターの音量バランスの歪さを、各パートの精密なマリアージュと楽曲のテンションの高まりとともに徐々に後景に退けつつ、視界の外には追いやらない絶妙な調整感覚である。空間配置の微妙な歪さとその段階的解消を盛り上がりの一つの要とすることで自然に楽曲の暴力性をブーストする巧みさはそれ以前のNINE INCH NAILSには見られなかった極めて周到な仕事だ。


今回はオープニングトラックを例に挙げたが、プロダクション上の多彩さと稠密さは1時間44分23曲に及ぶ作品全体に共通する特徴である。リスナーの無意識に伏流するアンビエンス。音量バランスや録音の質のコントラストの生む鮮やかなラウド感覚。IDMを通過してより緻密さを増したエレクトロニックなアレンジメント。当時のトレントがエイドリアン・ブリューやクリント・マンセル、ドクタードレといった精鋭中の精鋭を集め、自分が持てる全てを投入したマキシマリズムの極みのような音像は今日においてもオーパーツ的な魅力を放っている。


一体何が彼をそこまで駆り立てたのか。もしかすると誰よりも優れた音楽的調停者であり折衷主義者であったトレントには、来るべき新世紀の、収拾のつかないカオスが既に見えていたのかもしれない。ジャンル間交配。多様式主義。ポストジャンル。絶えざる衝突と結合が織りなす順列組み合わせ的混沌。実際に2020年代の今日において、各々の作り手がとるべき明確なアジェンダは消え失せて久しいと言っていいだろう。このルール無用の荒野においていかに表現の根拠を見出すかという問いは、さかのぼれば前述の90年代後半的状況に繋がりうる。あるいはこう言い換えてもいいかもしれない。どんなパターンの組み合わせも選べるとして、それを他ならぬ自分が選ぶべき理由はどこにあるのか。
 
ここで一つの比較対象を上げよう。言わずと知れたジョン・レノンの名盤『ジョンの魂』である。このThe Beatles解散後初のソロアルバムは「原初療法」という精神的なダメージの根源を過去へと探っていき、叫ぶことによってその傷を癒すという治療を受けたことに端を発している。日常生活の内部では決して発されることのない、不定形の叫びにこそ内面の発露と癒しの契機を見出す、ある種の内面主義によって、例えば『Mother』のような曲はクラシックたりえているのだろうし、その後の作り手のインスピレーションの源であり続けているのだろう。


ただ、例えば今回取り上げた『The Fragile』がリリースされた1999年においてさえ、「叫ぶこと」にそのような自己開示のニュアンスをナイーブに持たせることは難しい。NINE INCH NAILSとも隣接するジャンルであるメタルにおいて、叫ぶことは時代的変遷を伴いつつ、歌唱の一つの技法として確立されていた。あるいはパンク/ハードコアといった領域においてもそうだろう。確かに大音量で声帯を震わし何らかの表現上のニュアンスを込めるという意味においては一貫しているだろう。しかしその歴史的パターン性において「他ならぬ自分自身」の表現としては弱いと言わざるを得ない。
 
そのような時代に、トレント・レズナーが選んだのは、自分自身が選ぶことのできるパターンの全てをやり尽くすことだったのかもしれない。どんな選択肢も取りうる中で、それでも残る自分自身の痕跡に全てを賭けたのかもしれない。「俺は自分の魂をこのレコードに注ぎ込んだんだ。人々がそれに関心を寄せてくれたら嬉しいと思った。けれどこれを本当に気に入ってくれる人が果たしているかどうかは、自分ではもう全然わからなかったな」とは本人の言葉だ。
 
前半で述べた通りこのアルバムの評価は決して芳しいものではなかった。その後のNINE INCH NAILSの変節も本作におけるある種の挫折によるものかもしれない。だがそこには一つの達成が間違いなくあったのだ。世紀末に放たれたNINE INCH NAILS『The Fragile』は、ポピュラーミュージックにおける最高の独白表現の一つに他ならない。

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