見出し画像

Bring Me The Horizon『POST HUMAN:NeX GEn』レビュー

※某所にて没になった原稿をこちらで公開しています。問題があった場合は削除しますのでその時はご了承ください。

人類補完計画発動もネオ東京崩壊も今は昔。そう、21世紀の最初の四半期が早くも終わりつつある2024年5月24日、延期に延期を重ねていたBring Me The Horizon4年ぶりの新作である『POST HUMAN:NeX GEn』がついに配信リリースされたのだった。

2000年代を席巻したニューメタルから第三世代エモにまたがる諸々の音楽的エッセンス。そしてこれらの影響下にある若い世代のプロデューサーの音響的実験の数々。新作を構成するのは概ねこの二つの要素で、バンドの出世作『Sempiternal』から本格的に始まったエレクトロニクスとヘヴィネスの融合というトライアルはここに来て一つのピークに達したと言っていい。さらにアルバムに詰め込まれた夥しい数のアイデア——それはオルタナティブメタル由来のヘヴィなアンサンブルに加えられた変則的なエディットであったり、爆音の中突如インサートされる聖歌隊的コーラスであったりする——も明確に彼らの音楽的な飛躍を物語っている。Y2Kからハイパーポップに至る20数年の時代とシーンを跨いだ試行錯誤の現時点での集大成が、この55分19秒の大作『POST HUMAN:NeX GEn』なのだ。

さて、今作の主な参照元となったLINKIN PARKやMy Chemical Romanceといった一連のバンドは2000年代に絶大な人気を誇った一方、長らく批評筋からは忌み嫌われてきた。考えられる理由の一つとして、ここでは1996年の米国電気通信法の改正を挙げることができるだろう。というのも法改正以降に急速に進んだ地方ラジオ局の統廃合のさなか、前に挙げたようなバンドが商業的に華々しい成功を収めた一方、新人バンドを支えてきた草の根の宣伝網が脆くも崩壊していったからだ。メインストリームへの階段を駆け上りながら、一方でインディペンデントなシーンを踏み台にする白人男性中心のセルアウト音楽。商業主義的で白人至上主義的で男性中心主義的で......とにかく従来の物の見方からすればこれほど受け入れがたい代物もなかったのだろう。

しかしながらどんなに邪悪な産業的プロダクトと論難された音楽であれ、Bring Me The Horizonはこれらをフェイクと退けることも、あえて皮肉っぽく演じることもしなかった。言うならばこれはかつて作品から感じ取ったリアリティは決して裏切ることはできないという、一リスナーとしてのあまりに率直な態度表明であったに違いない。このような彼らのアティチュードは、アルバム制作に大きな影響を与えた100 gecsやunderscoresといった若い世代のアーティストとも強く共鳴するものだろう。新作において極めて重要な役割を果たした新鋭メタルコアバンドPaleduskのDAIDAIや、インタールードの制作に関わった現代ブレイクコアの鬼才Sewerslvtについても勿論そうだ。マーク・フィッシャーが「未来の喪失」として論じ、サイモン・レイノルズが「レトロマニア」と名付けた、全ての文化物が過去の再生産でしかなくなる終末的で厭世的なヴィジョンは、美意識だけは均質ではいられないという意味で半分は間違っていたのかもしれない。

とにかく、何事にも完全な終わりなどありはしないということだ。NeX GEn、来るべき世代はクィアや人種的マイノリティを巻き込んで、過去と現在を行き来しながら前時代のそれとは全く異なる美学とコンテクストを今も磨き上げ続けている。その長い道のりの果てにきっと証明されるに違いない。21世紀は20世紀の注釈でも影でもない、人々が現実に生きた一つの歴史なのだと。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?