25本目 中間甘味食

デビステのてんぷら 25本目 (週刊PONTE vol.26, 2019.5.13)

なぜ我々人類は、オレオのクッキー部分を取り外して食べてしまうのか。
ジャグラーがついついペットボトルをシングルスピンでトスしてしまうように、オレオを前にした我々は無意識にクッキーを剥いでしまう。

本当にクッキー部分だけを食べたいのであればココアクッキーを買えばよく、クッキーとクリームの組み合わせがお好みなら、最初っから普通に齧って食べれば良い。わざわざ挟んであるのになぜ剥がすのか。

その理由を考えてみたところ、この不可解なオレオ分解行動の根底に流れるのは、もったいない精神、ではないだろうかと思い至る。一口で食べてしまうのは、すぐになくなってしまうので惜しい。なので、二口で食べる。二口で食べるのも、惜しいので、三口に分ける。チビチビ食べる。さらに、もったいない精神が暴走すると、単調に食べ進めるだけに飽き足らなくなってくる。クッキーをわざわざ剥がすのは、できるだけ複雑な工程を踏むことで、擬似的に時間がかかっているように自身を錯覚させているのではないだろうか。

ヤンヤンつけボーとかねるねるねるねとかもぎもぎフルーツとかに対して、「つけとけよ!」「練っとけよ!」「もいどけよ!」というツッコミをする者はいない。これらの、あえて手間をかける系のお菓子が根強く市場に生き残っていることからも、前述の説の有力性が伺える。

食べたいのだが、食べ終わりたくないのである。その相反する欲求と欲求の板挟みの末に生まれたのが、この、手間をかけて食べるという妥結点なのだ。ややこしく言うと、オレオを食べるという幸福Aと、その幸福Aの可能性を所持しているという幸福B、の2つが存在していて、できるだけ幸福Bを増幅させるために、幸福Aを先延ばしにしてしまうのだ。
好きな食べ物は最後まで残してしまうし、デートの前日はなかなか眠れないもの。ジャグリング道具も、カタログを広げながらアレコレ迷っている状態が一番楽しかったりする。

人間とは、2つの幸福というクッキーに挟まれながらも新たな甘みを見出す、オレオのクリームのような存在なのである。

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きんまめ:ジャグリングサークルジャグてっく元部長。くらいしか経歴がない。デビルスティックをやっていました。ピザを作る工程がジャグリングになったりする世界だから、お菓子の食べ方から生まれるジャグリングもあるかもしれないと言い訳しながら書いています。好きなジャグラーは特にいません。

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