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道徳がきらいな人に捧げたい、準備5分でできる授業作りから所見まで全て公開します。

ある時アメリカ人のALTに笑われた。
「道徳の授業って何?」
「道徳を教えるなんておかしいでしょ?」
と。

みなさんはどう感じるでしょうか?
実は、私は賛成派。
そう、私は道徳がきらいです、、

用意された発問カードや登場人物のイラスト
「この時〇〇くんはどう思った?」と気持ちを考える発問
あたりさわりないことを言い合い、先生がまとめて完成する板書
「これからは、相手の気持ちを考えてみんなと仲良くしたいです」という振り返り。

そんな道徳の授業を見るたびに、どこか気持ち悪さを感じていました。
価値観って、もっと多様で一人一人が自由に見つけたらいいと思うからです。

ALTが笑ったのも、アメリカは多様性を重んじる文化だからこそ、日本の一つの価値観を教えようとすする道徳には違和感を感じたのだと思います。

もちろん、そうならないように、多くの学校で道徳の授業を工夫し、授業の形も変わってきました。昔は、道徳の授業はこうするものだという謎のセオリーがあったけど、だいぶ授業のあり方も多様になってきました。

ただ、授業で行うと、どうしても1つの正解を共有しがちになってしまいます。
本当にこれでよかったのか、価値観を押し付けてないか、と毎回不安にもなる。
それに、毎回教材が違うため、しっかり教材研究をするには、時間も足りない…

だから、こんなことリアルでは言えませんが、
「道徳という教科なんてなくなればいいのに...」
と私は思ってます。

もし「なんてことを言うんだ」という方や
「道徳が好きだ」と言う方は、今すぐそっとこのページを閉じてほしい。

これは、私と同じような「道徳ぎらいの先生」に向けた実践紹介です。

自分の価値を押し付けたくもないし、準備もかけたくない。
でも、どうせやるなら子どもたちにとってプラスαの授業にしたい
そう思ってる方に向けた記事です。

さて、今でこそ準備5分の授業をしていますが、
以前はしっかり教材研究や板書計画をしていました。

ある研究会があたった年は、どの教科よりも時間をかけ、発問にもこだわり、学校の研究として協議も重ねていました。

しかし、その年の終わりに、
子どもからこう言われました。

「道徳ってきらいなんだよね」と。

あれだけ力を入れたのにどうして??
と面をくらいました。

理由を尋ねると

「だって、何か求められてる気がして...」と言葉をつまらせていました。

振り返ってみると、練り上げた発問、価値に迫るための問い返し、構造的な板書、毎授業のふりかえりカード。

力を入れれば入れるほど、そして発問を考えれば考えるほど、子どもたちは窮屈に感じていたのかもしれません。

おそらく研究会というプレッシャーも“圧“として伝わってしまっていたことを反省しました。

もちろん、これはただ私の授業力が足りないだけです。
本当にすごい先生方の授業は、伸び伸びと意見を引き出し、自然と深めていきます。そんなすばらしい授業をこれまで何本も見させてもらい、そんな授業に憧れていました。

ただ、何年やっても自分には届かないんじゃないかとも…

それと、研究を重ねれば重ねるほど、「この価値観は本当に正しいのか」という哲学的な壁や、「道徳心を教えられるほど、自分は良い人間なのか」という不安も感じていました。

そんな悩みを抱いている時に一冊の本に出会いました。

それが、「たった一つを変えるだけ」という本です。

海外の教育実践を翻訳したこの本の一説に、こんな言葉があります。

私たちは、ずっと勘違いしていました。
どんな発問がいいかと、教員は時には何時間も使って悩み考えていましたが、問いは先生が考えるものでなく、子どもが見つけるものです。
子どもたちが、自分で問いを見出せるようにすることのほうがよっぽど大事だということに私たちはようやく気づきました。

この言葉に当時悩んでいたことが、ストンと落ち
自分が感じていた違和感が雪のように溶けていきました。

「そうだ。発問を捨てよう」


そこから、発問のない道徳の授業に変えました。

「道徳に発問がない」なんて驚く方もいると思うし、授業が成り立つわけがないと反論する人も多いと思います。

でも、やってみると発問はマストではないことに気がついたんです。
子どもの問いを軸にすると、教師の発問は不要になります。

そして、発問を捨てたことで、一番変わったのは、子どもたちが道徳好きになったことです。

「道徳やりたい!」「道徳楽しい!」
と今はみんなが大好きな教科の1つ。

急な予定変更で道徳がなくなると、
「えーやりたかったのに!」
「道徳楽しみに学校に来たのに最悪」
「お願い先生、算数と変えて」
と今では、そんな声が上がります。

さて、前置きが長くなってしまったけど、ここからは実際に行っている発問のない道徳の授業作りを紹介します。


まず、授業の大まかな流れはこれ。

①自分の問いを見つける(事前)
②グループで問いを出し合う(7分)
③みんなの問いを1つに絞る(3分)
④話し合う(30分)
⑤振り返る(5分)

すごくシンプルだけど、毎回同じパターンで行っています。

ここからは、それぞれを詳しく紹介します


①自分の問いを見つける

「問い見つけ」は家でします。つまり予習。

そうするメリットは2つある。
まず1つは、読解の差。

道徳の授業は「全員が物語の内容をつかむのがむずかしい」という問題点がある。

そのため、多くの学校では、授業の冒頭で、読み聞かせをしたり、相関図やイラストを貼ったりして読解力の低い子も理解ができるような工夫が行われてきた。

しかしこれも、そこに時間がかかりすぎてしまうという問題があります。
分かっている子にとっては、退屈な時間にもなってしまう。

そこで、家で予習する形にすれば、読解にかかる個人差を埋めることができます。
自分のペースで読むことができるため、全員が同じ土台に乗った状態で授業がスタートできるんです。

もう1つのメリットは、
問いを持つことで「授業の参加意欲」を高めることができること。
問いは、「知りたい」「聞きたい」「学びたい」という意欲につながります。
そこで、予習では、”みんなで話し合いたい問い”を見つけてくることを課題にしています。

ただし、問いを見つけられない子もいます。
特に慣れるまでは、「どんな問いを作ったらいいのか」と悩む子もいるでしょう。

そこで、「問いづくりシート」を子どもたちに渡しています。
このシートは、本の実践を参考に、道徳バージョンにアレンジしました。

このように問いを、5W1Hで分類しています。
また、道徳のこれまでの発問を分析し、
5つのパターン(変化、比較、価値、理由、方法)に分類しました。

例えば、「ロレンゾ」なら、「だれが一番本当の友だちといえるのか」と比較することに焦点を置いたり、「窓ガラスと魚」ならこの後主人公はどうしたらいいのか?」と方法を吟味したり、泣いた赤鬼なら「本当の友情とは何か?」と、価値について語り合ったり、と問いを変えるだけで授業の流れも変わります。

そして、このように分類してあげることで、子どもは問いの目を持って教材と向き合いはじめます。この問いの目を、私は道徳で一番大事にしていきたいと考えています。

その理由は、道徳心とは、「フック(引っかかり)」だと思うからです。

普段の生活の中でも、「これって本当にいいのかな?」「なんであの子はこんなこと言ったのかな?」「この場合どうしたらいいんだろうか」と、様々な場面で、フックを見つけて、思考する子が道徳的によりよく生きられると思うのです。

だからこそ、教師が発問を捨てる。
そうした方が、子どもたちの問いの目道徳的フックが育っていきます。

②グループで問いを出し合い、しぼる

授業は、グループ学習からスタートします。
一斉のあいさつは時間がもったいないので、
用意ができ次第、グループであいさつをして始めています。

やってみて驚いたのは、子どもたちは早く話したいので、
「先生もう始めてもいい?」
と授業開始よりも早くスタートしています。

グループ学習をする目的は、みんなの問いを作るためです。
1時間の授業で扱える問いは1つだけ
その1つの問いを決めるために、まずグループで「自分の問い」を出し合い「グループの問い」を決めます。

そうすることで、読めば分かるような問いや、本質とズレた問いはグループの話し合いの中で精査されます。

また、友達の解説を聞くことで、内容の理解も深まるので、教師が読み聞かせをしたり、イラストを貼ったりする必要もありません。

つまり、予習と前半のグループ学習を取り入れることで、子供が自主的に学ぶようになり、教師の負担も軽減できます。

グループで決めた問いは、ロイロノートに書いて各班1枚提出しています。

「提出の共有機能」を使えば、それぞれのグループの問いはタブレット上で比べることができるからです。

提出した各班の問い

時間は、ここまでだいたい7分。班は3〜4人なので、1人1分程度で出し合い、3分程度で比べて決めます。初めは時間がかかるけど、慣れればこれくらいの時間でできるようになります。

この間、先生は、各班を見て回りながら、どんな問いが多いか、予想していた問いと違う問いはないかを見て回ります。

そしてこの時にどんな板書にしようかを考えています。
問いによって、板書の構成が変わるので、その場で考える必要があるからです。

「そんなにすぐに思いつくの?」と疑問を持たれる方もいると思います。
たしかに、すぐに考えるのは大変です。
そこで、板書は以下のように問いとシンキングツールを対応してパターン化しています。
これを使えば、今日の問いは、
「変化」のパターンだから、主人公の変容前と変容後をまとめて、どこで変わったのかをまとめていこう。
「比較」のパターンだからX ,Y,Wチャートを使って、それぞれの違いを分析する板書にしよう。
「方法」のパターンだから座標軸を使って、立場の違いからメリットとデメリットを分類する板書にしよう。
と、ある程度の構成を練ることができます。

ただ、そこまで、板書にはこだわらないことも大事にしています。
完成した板書を作ろうとすると、教師が出過ぎたり、子どもに求めすぎたり、と板書を完成させることが目的になってしまうからです。

あくまで板書は、子どもの思考を助けるツール、話し合いをつなげるツールとして使っています。

③みんなの問いを決める

グループの問いが出揃ったら、みんなの問いを1つに決めます。
子どもたちが決めやすいように、似ている問いはロイロの比較機能を使って、グルーピングし選択肢を絞ります。ここでは、理由は聞かず多数決で決めています。
(本当はここも話し合えたらいいのですが…それには時間が足りません。)

といっても問いづくりに慣れてくると、各班からの問いはそんなに大きくズレません。ほとんどが似たような問いになります。なぜなら教材は子どもたちも考えられるように作られているからです。

ただし、もちろんこちらが予想していない問いに決まることもあります。
その時は、思いきって子供の問いに任せてみると、思った以上に話し合いが深まったり、結果としてこっちの問いの方がよかったと気付かされることがたくさんあります。

そんな時は、授業の終わりに
「今日みんなが決めた問いは、予想していなかったけど、いろんな意見が出て広がったし、新しい発見があったね。先生も勉強になったよ」
と子どもに伝えています。素直に感じた感想をフィードバックすることで、子どもたちの次の活動にもつながっていきます。

④話し合い

問いが決定したら、その問いをテーマに話し合います。
この時注意していることが2つあります。

それは、一部の人だけで話し合いが進まないことです。そして、話し合った結果、価値について考えが深まったり、広がったりすることです。

そして、そのための仕掛けとして使っているのがスパイダー討論です。
スパイダー討論とは、みんなを蜘蛛の巣のように繋げていく討論の方法です。
これは、最高の授業という本の実践を参考にしました。


スパイダー討論では、3つの役割が重要といわれています。
まず、話し合い活動が公平に行われるように司会者、記録者を作ります。

司会者は、全員の発表が公平になるように調整したり、残り時間を考えて進行します。記録者は、発表者を記録したり、司会者にアドバイスをしたりします。

ここまでは、「特別活動」のイメージに近いと思います。

そして、特別活動と違うのは、質問者を作ることです。
「本当にそう?」「もしこうだったら」「それって誰にでもできる?」など意見に対して質問をします。
そうすることで、ただ意見の出し合いで終わることなく、子どもの質問をきっかけにクリティカルな話し合いができます。

また、質問者は授業中質問しかできません。そして質問できるのは2回までです。
こうすることで、質問者になった子はこれまで以上にみんなの話に耳を傾け、考え続けます。

そして、子ども目線で生み出された質問は、教師が考えるよりもいい問い返しをすることが多いです。

もちろん、うまく質問が出ない時もあります。
ここはもっと聞きたいとか着目してほしいという時は先生が代わりに質問します。ただ先生も質問者と同じように1授業で2回までと決めています。

スパイダー討論の方法は、別のnoteにもまとめています。

そして、もう1つ工夫していることがあります。
それが、「授業の分析ツールの活用」です。
「equity maps」というアプリを使っています。

有料のアプリですが、使い方は簡単で、発表した子をポンポンと押していくだけで糸のようにつながっていきます。

これを、記録係に任せています。

また、このアプリは誰が何回発言したか、どれくらい(時間)話したかというのも自動でデータ化してくれます。

結果を見せると
「あーおれ、喋りすぎだわ、、」
「○○ちゃん、意見言えなかったんだ。私ばっかり話しちゃった」
と全体の公平さについて振り返ることができます。

また、このように、時間や回数の公平性をAIが判定して授業の評価もつけてくれます。


これを授業後に見せると
「次はみんなで緑を目指そう」と子どもたちは「みんなで授業を創る」という意識に変わっていきます。

実際に、これを取り入れてから、おしゃべりな子は、ここだというところで意見を言うようになり、おとなしかった子は勇気を持って意見を話すようになりました。
可視化されるので、メタ的に自分を捉えたり、周りを配慮したりする姿が増えました。

役割を分担しながら、みんながみんなのことを考えて自分の考えを伝え、それが授業になる。
きっと、子どもたちが「道徳を楽しい」という理由はここにあるのだと思います。

⑤ふりかえり

ふりかえりでは、プリントに、授業の自己評価と、この授業で考えたことを4つの項目にまとめています。4つの項目は、

・他者理解・・・考え方は1つではないと気づく
・人間理解・・・人間の弱さが分かる
・価値理解・・・大切にしたい価値が深まる
・自分理解・・・自分の変化に気づく

と価値について、どの視点で広がったり、深まったのかを分類しています。
こうすることで、同じ価値項目の授業をしたときにも、どの視点が変わったのかを子ども自身が振り返ることができます。



ただし、このふりかえりは、「全て書く必要はないし、1つも書けなくてもいい」と伝えています。

道徳の授業は、毎時間全員が価値の変容が起こるわけではありません。
むしろそこを目指しすぎると、価値の押し付けが起こる危険性があります。

そこで、道徳の授業では、自分で問いを見つけ、みんなの問いに対して考えることができたら十分。さらにその中でどれか1つでも価値について考えるきっかけになれば最高。くらいな気持ちで捉えています。

といっても、いつも1つも書けない子はほぼいません。それだけ、学びが主体的になっているからだと思います。

そして、ふりかえりカードを見ながら、
「おっ、この子は自分理解が深まったんだな」
「おー、他者との違いに気づいたんだ」
とそれぞれの成長を見とることをこちらも楽しんでいます。


教師の役割

ここまで、読んでくださった方の中には、「先生は子ども任せで何もしていないのか」と思った方もいると思います。

教師がすることをまとめると、こんな感じです。
授業前
・教材を一読し、どのような問いが出るかを大雑把に予想する。
グループタイム
・グループタイムでは、板書をパターンからある程度考える。
話し合いタイム
・パトローラー(集中が切れている子や話しを聞いていない子に声をかける)
・板書ディレクター(話し合いが円滑に進むように意見を構造的に板書する)
・コーディネーター(司会者のサポートをしたり、意見をつなげる)
・オーディエンス(相槌やリアクションで話しやすい安心感を作る)
・質問者(ここはと言うポイントを問い返す。(2回まで))
授業後
プリントにコメントは入れない。
※コメントを入れると、先生にコメントを書いて欲しくていいことを書こうとするため。

このようなことを意識して、授業を作っています。
授業準備はそこまで必要ないですが、予測ができないので、授業中の役割はこれまで以上に大変かもしれません。結果として私自身うまくいかなかった授業や時間内にまとまらなかったこともたくさんあります。

ただ、一方で、事前に用意していたこれまでの授業では、引き出せなかった子どもの考えや経験を聞くことができたり、子どもたちと一緒に考えたりする時間が増えました。子どもたちと一緒に学ぶという楽しさを感じています。

所見

最後に、道徳で頭を悩ませる所見。
この授業のパターンやふりかえりシートを活用すると、
所見も割と簡単に作成できます。

例えば、4つの項目を見ながら

他者理解なら
〇〇の授業では、〜の問いを抱き、〜について話し合いました。
友達の考えを聞き、〜の考えもあると考え方を広げていました。

人間理解なら
〇〇の授業では、〜の問いについて話し合いました。
主人公の行動について考える中で、〜と考え、自分も勇気を持って行動したいと言う思いを抱いていました。

価値理解なら
〇〇の授業では、〜の問いについて深く考えていました。
様々な意見を比較しながら、本当の〇〇は〜だと思うと自分なりの価値観を深めました。

自分理解なら
〇〇の授業では、〜の問いについて話し合いました。
これまでは、〜だったけれど、これからは〜をしていきたいと、今までの自分と比較しながらこれからの生き方について考えていました。

と、このように所見を作成することができます。
(道徳の所見なんて、なくなればいいんですけどね…)

最後に

これは、今年担任した子が感想に書いていた言葉です。
「道徳の授業はみんなでつくるから楽しい」と。

道徳の授業が「先生から与えられる授業」から「自分たちで創る授業」に変わった結果でした。

相変わらず、「道徳なんてなくなればいい」という思いは変わりませんが、
授業の形を変えることで、私も「授業は楽しい」と思えるようになりました。

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