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入管闘争ってそもそも…

                京成サブ 
 ごぶさたしてます。去年の「国葬」めぐっての雑感以来ですが、その後の運動状況の停滞を少しばかり吹き飛ばすうねりがこの数カ月の入管法改悪反対の闘いでした。ここでは法案の問題など中身については、既に認識済みだろうとの前提で、街頭闘争の局面だけ見ていくと、画期的だったのはまず5月7日の高円寺デモ。大雨にも関わらず2千~3千人くらいは集まったようで、これは残念ながら行けませんでした。行った仲間に聞くと、2011年4月の反原発高円寺1万人デモの熱気に少しだけ近かった感じで若者や有象無象も多かったと。
 そこはやっぱり高円寺のノリは健在だったかと。
 5月は国会前も数千人単位の抗議行動は毎週のように続き、2015年の安保法制以来といえるほど、若者の比率が高かった印象です。街頭デモでは、5月21日の国連大学前から表参道~原宿~渋谷のロングコース(2時間)をサウンドデモでやるというので、張り切ってサウンドカーのすぐ後ろ(外国人が踊りまくっている)についてノリノリでデモったのですが(沿道反応は抜群)、さすがに寄る年波か足腰よれよれ。思えば20年前(2003年)の5月のイラク反戦サウンドデモ(規制を突破して広がった。出発地点500人くらいが、飛び入り参加多しで1500人くらいに)のときも、「もう年だなあ」なんて同世代同士(まだ50前後だったけど)でつぶやきあっていたのに、その20年後にまさかこんな局面になるとはね。結集は2千から2500人くらい。老若男女、多国籍、多文化。

 最終局面の法務委強行採決の午前中(6月8日)は、国会前さすがに数百人規模だったけれど、このときは、神奈川シティユニオンを中心にした移住労働者が多く参加して、「不屈の民」や「インターナショナル」(日本人参加者は日本語で唱和)を大合唱。年配の活動家らは、「インター歌うの久しぶりだなあ」と感無量、そういえばここ何年も、街頭ではほとんど歌わないのは何か不都合な理由があるのか。「沖縄を返せ」「座りこめここへ」ばかりではもううんざり。なんでこんなに歌が不在なのか。

 さてこの間、よく話題になるのが、8年前のシールズとの対比。考えてみると、当時のシールズとその周辺(応援団?)に共通していたのは、ある意味、60年安保闘争型の「国民運動」(「国民なめんな!」のコール)であり「戦後民主主義」守れ型の運動で、全共闘―新左翼は触れない、ないものという共通了解があったような雰囲気。おまけに反対する主体も、漠然たる市民(国民)であり、マイノリティ不在であったことも60年に通底する。しかし入管は、マイノリティたる主体は存在し、今回動いている若者たちも(所属や、個々の問題意識はどうあれ)、1968年以降に問われた課題に否が応でも直面している。(まさに60年からの68年は、2015年からの2023年へと)。

 そこで入管闘争を語るときに、忘れちゃいけない(というか誰も話題にもしない)のが、華僑青年闘争委員会のいわゆる「華青闘告発」(70年7月7日)です。
 それに先立つ1年前、当時、高校1年で高校生も激動のうねりの渦中で「活動家見習い」のようだった小生が、友人と野次馬半分で行ってみたのが、あの新宿西口フォークゲリラ。毎週土曜日、今も同じ形である西口地下広場(正確には「通路」)で5千人前後が歌をうたい、無届けデモなど敢行したのだが、その隅の方で、「出入国管理法案粉砕!入管体制解体!」を掲げてハンスト座り込みをやっていたのが華青闘と支援者たちでした。座り込み・ハンストはその後、早朝に機動隊による一斉排除があり、そのときの暴力は(早朝で人が見てないこともあったが、差別意識も多分にあったと)凄まじいものであったという。この事態を、発信したのは、諸党派には「軟弱な連中」といわれたフォークゲリラべ平連だ。その頃は、秋に控えた佐藤訪米阻止、沖縄「返還」、大学立法、ベトナム反戦がメインで、入管はまだまだマイナー課題。党派でも、華青闘に近い毛沢東主義のML派や、第4インターが比較的熱心だったくらいの印象でした。

 そして1年後、華青闘は入管を二の次、三の次課題でよしとしていた新左翼に愛想をつかし、日比谷野音の7.7集会(全国全共闘と全国反戦の8派共闘主催)で「訣別宣言」を発したのです。新左翼諸党派、諸戦線は、自己批判とともに入管を(しばらくの間は)本腰を入れます。東京入管闘という8派+ノンセクトやべ平連も加わった大衆運動組織が各地、各大学につくられ、こちとらもあちこち参加しました。ところが71年の春ごろから三里塚強制代執行、沖縄返還協定調印がメインテーマとなって、またも入管は二の次、三の次、あげくは、6月15日も全国全共闘、全国反戦の返還協定調印阻止集会(明治公園)で、対立が深まっていた中核派と解放派が全面ゲバルトで、ついに八派共闘は崩壊。東京入管闘も党派都合で分解、崩壊の道を歩むのです。一体、1年前の総自己批判は何だったのでしょうか。その後は、三里塚闘争や沖縄闘争での大弾圧、爆弾フレームアップ、連合赤軍、内ゲバ激化、諸党派の分裂・再分裂・崩壊などが相次ぎ、いつしか沖縄闘争も後景化、いわゆる新左翼「冬の時代」に入ってゆくのでした。
 しかし一方、消耗しながらもシコシコ活動を続けていたハミダシ高校生たち周辺では、入管の実態や歴史のみならず、在日朝鮮人の戦後闘争史、強制連行の記録、関東大震災の朝鮮人虐殺、南京大虐殺などなどを学びながら、それぞれのコースに散っていったのでした。

指紋押捺拒否闘争 1985年

 こちとらも高校の文化祭(71年)に、付け焼刃でしたが、「入管体制とは何か」なんて展示もして、亜紀書房の『告発・入管体制』(東大法共闘編)、三一新書の『われらの内なる差別』(まだ現役早大生だった津村喬[たかし]著)三省堂新書の『出入国管理』なんて本を、夢中で読んでいたのでした。ちなみに総会屋雑誌の『現代の眼』や『構造』、創価学会の『潮』のほうが、『世界』や『朝日ジャーナル』(71年春に編集部総入れ替えでダメになる)よりはよほど、ためになったのです。
 その後、大学のサークルや自主講座、原理研究会・勝共連合との攻防、山谷や釜ヶ崎などの寄せ場、官公労の現場(指紋押捺拒否闘争との連帯)、韓国政治犯救援運動、光州蜂起連帯、金大中金芝河救援運動、虐殺された朝鮮人の遺骨発掘。外国人労働者支援、争議などなど、差別・排外主義とのさまざまな領域における闘いに、69~71の入管闘争の意義が生かされることもあり、それが地下水脈のように現在につながっている、とは言っておきたいところです。

☆「不屈の民」動画リンク集☆

"El pueblo unido jamás será vencido" - 09/02/2023

El Pueblo Unido in Russian

Francia: El Pueblo unido, jamás será vencido

'El Pueblo Unido jamás será Vencido', St Pancras Station, London, 4 November 2019

     

☆「インターナショナル」動画リンク集 ☆

May Day London 2022: The Internationale

Internationale - Russian (Интернационал)

陕西西安:国际歌

 ☆参考図書☆

『告発・入管体制』(東大法共闘編)(亜紀書房 1971年)
『われらの内なる差別』 津村喬 (三一新書1970年)
『出入国管理 現代の「鎖国」」宮崎 繁樹 (三省堂新書 1970年)


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