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「自分の部屋」がほしかった子供の話

私は一度も「自分の部屋」を持ったことがない。

より正確に言うと、”24歳で社会人になって一人暮らしをするまで「自分の部屋」を持ったことがなかった”になる。
会社の寮が、初めての「自分の部屋」だった。

一人暮らしを始めるまで、私はずっと実家に暮らしていた。

山梨に住んでいた頃は、まだ小学校低学年で、自分の部屋が欲しいと思うことはなかった。しかし、東京に引越してから、私はだんだんと自分の部屋が欲しくなった。

思春期を迎えたから?
エロ本を隠したいから?
勉強に集中できないから?

違う。いや、まあ、それも若干あるかもしれないけど、主な原因ではない。
両親の喧嘩が激しくなっていったからだ。

東京というところは、家賃がべらぼうに高く(少なくとも山梨に比べると高い)、小学校の頃住んでいた山梨のアパートと同じくらいの家賃のはずなのに、引っ越した先のアパートの部屋の数は、如実に減った。

なので、私だけでなく、両親も自室というものは持っていなかった。
ただ、なんとなく、リビングが父の居場所で、化粧道具や服がたくさんある部屋が母の居場所になっていた。

中学生になり、私立の進学校で良い成績をとるために、私はいつもリビングで勉強をしていた。広い机が、そこにしかなかったからだ。

私が勉強をするとき、父はテレビを見ていて、母は食後の皿洗いをしていたりする。リビングと台所はつながっているので、私は父と母にはさまれる形で勉強をしている。

私は静かな場所でないと集中できないというタイプではないけれど、時々、テレビの音が気になって、父に「音量下げるか、消すかしてもらえる?」と尋ねる。父はたいていその要求を飲んでくれるが、機嫌が悪いと「イヤだ」と言う。

すると、台所から母が来る。「娘が勉強しようとしてるのに、その態度は何よ」と、私をかばいにくる。もともと機嫌の悪い父はさらに機嫌を損ねて「うるせえな」と答える。そうやって両親の喧嘩が始まる。だんだんと激しくなっていく言葉に、私は耳を塞ぐ。

やがて私は、両親がそろっている場所で父に「テレビ消してもらえる?」と言うことはなくなった。喧嘩の火種になり得るとわかったからだ。
どんなに下品なテレビの内容より、父と母が汚い言葉を使って喧嘩をしているほうが、よっぽど聞いていて辛かった。

「自分の部屋」があったら良いな。そう思った。
「一人で勉強できるから」ではなく「この喧嘩から逃げるため」に。
本末転倒な話だけれど、そう思った。

両親の仲は、私が年齢を重ねるたびに悪くなっていった。
私は初めの頃は「喧嘩しないで、仲良くしようよ」と取り持つことができないか考えていたが、無理だと感じてからは完全に無視することにした。

無視とは、文字通り無視だ。もう、2人が何を言い合っていても、干渉しないこと。お好きに喧嘩なさってください、だ。
なにせ、関わろうとするたびに、自分自身が傷つく。不機嫌な2人に冷たくあしらわれるのは、子供心にくるものがあった。

私はウォークマンを買ってもらい、テレビや喧嘩から耳を塞ぐ手段を得た。

爆音で音楽を聞く。お気に入りはエミネムとマリリン・マンソンだった。あとはヘヴィメタル、デスメタル、とにかく激しいやつ。
勉強に集中するにはもってこいだ。なにせ英語なので、中学生の私では、意味なんか頭に入ってこない。ただ激しい音楽が耳を塞いでくれることが大事だった。

それでも、やはり喧嘩の内容は、時々耳に入ってくる。視界はシャットダウンしようがない。2人が何かを争っているのはわかる。ウォークマンの音量をあげても、ふとした間奏の合間に罵声が聞こえる。

私はそういうとき、トイレやベランダに逃げる。
できるだけ暗い場所にこもりたくなる。何も見たくないし、何も聞きたくない。叫び出したい気持ちでいっぱいだが、近所迷惑なのでしない。
私は黙って、抑えきれないなにかを、自傷で解決する

私は「自分の部屋」がほしかった。
でも、一人暮らしを始めたときに、わかった。
私はただ、安心して引きこもれる逃げ場が欲しかっただけだったのだ。

現在、私は、同居人と二人暮らしをしている。
「自分の部屋」はお互い持っていない。一応、2つ部屋はあるので分けられないこともないが、1つを作業部屋として、共同で使うことにしている。

今でも、時々無性に激しい感情に襲われることがある。嫌なことを思い出したりすると、自傷したくてたまらなくなる。

そういうとき、私は「こもります」と同居人に告げて、同居人がいない方の部屋で電気を消して、白檀のお香を焚いて、毛布にくるまって煙を眺める。
じっと静かに、時間をかけて、自分の中の嵐が去るのを待つ。
そうすれば、自傷という時間短縮ストレス解消術を使わずに済む。

今の私には「自分の部屋」は必要ない。
逃げ場を作ることができる環境にいるからだ。

ベランダで泣いていた子供の頃の自分に捧ぐ。泥水でした。

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