東京·台東借地人組合

不思議と 本当の母に包まれてるような 落ち着いたような 気持ちになったり
お金も 住むところも全て奪われて無くなるかもしれないという
不安と動悸に襲われたり
これはたぶん私が ガンの時以来向き合う死というものに近いんだと思う。

別れは死である。
時間の経過は死である。
死ぬことを意識することである。

逆に言えば私は子供の頃からずっと死についてばかり考えていたくせに
本当に本当の意味で死と向かい合ったことというのはそれほど多くなく、 のほほんと呑気に生きてこれたのかもしれない。
それはそれでひとつの生き方だ。
明日死ぬからと言って
ドキドキしても
いつもどおり深く考えすぎないように 
お花に水をあげても同じことだ。

今日は三つの動きがあった。
MさんのF訪問と報告、
借地人組合の入会、Hとの二つ目の一般媒介契約。


F興業は 結局紙の明細では貰えなかった。

 Mに対しては柔軟な姿勢を見せたと言うが
私は全く信用しない。 Fは私の家の健康状態や家族人間関係を想像することができる人ではない。

一つの家系をたたむと言う重たさまで想像できる人間ではなく目先のヒステリックな 幼稚な老害だと私は認識している。


譲渡承諾料その他は この辺一帯は全て一律 坪11万円だという。

高い。 それもいつご機嫌で覆るかわからない。


借家人組合の N村さんは まっすぐで熱心な人のようだが
初対面で 信用に足りるかわからない。
借地に関する知識は足りないように見えたが、スポーツ選手ならではの独特の本能的な勘の鋭い人に見えたので意外と本質をついてるのかもしれない 。
この人は文字面ではない部分を見てるんだ。 でも 借地のやり取りは文字面のやり取りが重要になってくる。

そもそも私は借家人組合のブログを書いていた N さんに会いたかった。
その本人が出てこなくて 自分でも 借地にあまり詳しくのないという奥さんと
N村さんが来たことにどうしてだろうという部分がある。
N さんに連絡を取ったが電話に出ない。
組合に入った目的は色々な 弁護士などの 優遇面を得られるということだ。
資料は持ち帰って結局 Web のスキルが0 、 添付ファイルどころかメールのやり取りができない 。
スマホで写真を撮って 言ってくれれば原本を手放すこともないのに持ってった。


そして電話がいつも通じるわけではない 入会金と一年分の組合費は
先払いで現金だった。
奥さんはともかく来るや否や書類と入会金しか出さなかった。 挨拶も無しなのでちょっと非常識な印象があったけれど まあストレートな人なのかもしれない。



Nさん(夫)の 知恵を拝借したくて入会した。
私がお話ししたかったのは奥さんじゃないN内さんだ。 


結局のところを私は不安で仕方がないのだろう。 
そして信じたいけれど誰も信じるのが怖い状態なのだろう。
どいつもこいつも嘘ばかり言って自分の利得ばかりだ。
嘘という自覚もないのかもしれない。


とにかくもう私は騙されるのは嫌だ 。他人に利用されるのは嫌だ。
自分で自分の身を守れるような最低限の知識武装をしたい。
知らないから騙される 人が良いから騙される バカだからナメられる。

夜、Mさんから 大阪のお土産のお礼のメールが来る。


H不動産は 他の大手みたいに逃げはしなかったけれど 特にめちゃくちゃ熱心というわけでもなく形だけの一般契約という感じだった。

借家人組合と報告に来た M さんが 衝突した時は
ヒヤヒヤしたけれど、こういう場面でこそお互いの本性が見えると思って見守っていたけれど
両者ともやり方は違うけれど 借家人つまり私側を守ろうという意思が見えた。
私が見ている前だから演技だったかもしれないけれど。

明日は朝から不用品回収会社。
私は耐えられるかとても不安だ。

魚たちも心配だ。
時々雨が降ってくれるから干上がっていることはないと思うけれど室内の熱帯魚も心配だ。
新幹線に飛び乗って帰って一度確認したい 衝動に駆られたけれど
オートフィーダーその他できることはすべてしてきたから 順調にいっていればみんな元気なはずだ。

早く会いたい早く帰りたい、
いや帰るのはこの家だ、
大阪の家だろうか?

私の魂この家に帰ってくる気がする。

でもここは手放す。

私はどこ行くんだろう

ここを手放してもう故郷はなくなる 
だけどここにはいられない 

そうかこれは通過儀礼なのか

みんな一人で生きて一人で死んでいく
その通過儀礼の一つなんだと思った

私に足りないものは覚悟だ だけど私は覚悟をする勇気がない

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