【おいたち04】突然アナウンサーへの道が始まることに
DJになるつもりだったのに(女子大に通いながら)アナウンス専門学校へ入学。
専門学校は、ほぼ3,4年生が在籍していたので、一年から入っていたのは
私のみ。やる気があると勘違いされ、先輩たちにとても可愛がられる。
発声・活舌・原稿読みに明け暮れ、夜は恵比寿の庄屋でアナウンス談義の日々。
そして、20歳の時、憧れのテレビ神奈川のお昼番組
「おしゃべりトマト」のアシスタント トマトレディとして、初めて番組にかかわる。
華やかな学生タレントの始まり~と思いきや、怒られることの連続。
アナウンス学校で自信がついたと思い込んでいた私。
ところがDJの癖がついていたせいか、音楽がないと全く話せない。
番組中、感想を話すときには、かわいい、おいしい、たのしいしか言えない
幼稚な言語。
先輩からの「女子大ブームだからできているだけ」と言われた言葉が
今更実感として心にしみわたる。
落ち込みつつも話し方、伝え方の大切さむずかしさに気付き、夢中になって勉強する。
努力したもののアナウンス試験は難しく、撃沈の日々だった。
有名大学でもない、容姿も普通、何のコネクションもない私は、一時試験に
通るのも至難の業。
そこで、「自分に出来ることは行動のみ」
と各放送局に突撃訪問することを決意。
当時は、インターネットのない時代。
マスコミ電話帳という(当時1万円位したような)テレビ局などの
住所が書いてある本を買い、北は北海道、南は九州まで訪問しまくる。
お金がないので、青春18きっぷか自分で運転していくという強行。
アナウンス専門学校の同期は、どんびきしていた。
さすがに地方局までやってくるという学生はあまりいなかったようで
必ず、アナウンサーの先輩方は会ってくださっていた。
アナウンサーの先輩方は、さすがプロで
「自分には何が出来るか」
「どんなお役目をしていきたいか」が明確だった。
就職活動旅(道中)に、アナウンサーの先輩方に言われて印象的だったのが
「その突飛な行動力を生かして、君自身がメディアになっちまえ」
という言葉。
今でこそ、ユーチューブなんていう自分メディアがあるけれど
めちゃめちゃ昭和な時代。
「わたしがメディアになる」という言葉は衝撃的だった。
そして、「血の通ったメディアになろう」と誓う。
試験では、「歯並びが悪いからアナウンサーに向かない」と言われることも
多々あり、よく落ち込んでいたが
あったが、「わたしがメディアになるんだ」と誓ってからきれいに読むことよりも
大切なことがあるはず・・・と確信するようにしていた。
(今は確信している)
合計47社受験。
そして、群馬テレビにはいる。
というのも、群馬テレビには車で行ったものの、ガス欠になり、受験する前に
ガソリン代を借金するという情けなさだった。
優しい人情あふれる会社。「私、ここで骨をうずめます」と思う。
<つづく>