洋館の中で見つけた日記 67 【葬儀屋の理髪店】
20☓☓年。
研究所にて自分らしさを忘れてしまうP-ウイルスが流出した。
瞬く間にウイルスは蔓延。世界はポカンハザードに陥る。
ポカンから逃れるため、
古い洋館に駆け込んだ。
そこである日記を見つけた。
【葬儀屋の理髪店】
仕事を辞める1ヶ月前のことです。
前日は長めの残業。
だるい気持ちでリュックにスーパーで買ったものを入れて帰り道を歩いていました。
日が落ち、空はオレンジがかっています。
一般道の脇道にタイル舗装の歩行者専用道が目に入ります。
少し遠回りになりますが何気なく入ることにしました。
何度かペンキで塗り直したと思われる洋風の電灯が5メートル間隔で並んでいます。
すべり台とブランコだけの公園を横目に進み、2度曲がると住宅街に出ました。
新旧の一軒家が立ち並んでいます。
その中にある、一軒の民家。
入口は縦長の持ち手でガラス張りです。
その横には吊り下げ式で40センチくらいの理容室のサインポールが控えめに掛かっています。
頭を撫でました。
整髪ジェルで抑えても言うことを聞かなくなった髪のことを思い出します。
扉を引くと小さく鈴が鳴りました。
中は明かりが点いておらず薄暗く人の気配はない。
ホコリとシェービングクリームが混ざった匂いがして時間が止まっているようです。
ほどなくして奥から店主が出てきました。
ベージュのベストを着た初老の店主は背筋がピンとしています。
私は1メートル四方の玄関で靴を脱ぎ、高めの段差を1段上がり店内に入ります。
壁際や鏡の前にはガラモンやウルトラマンなど昭和のフィギュアが100体弱並んでいました。
中央のカウンターにはいつのものか分からない新聞が積まれています。横にリュックを置き、大きな鏡の前に座りました。
掛け時計の針は動いていません。
古いものに囲まれて視覚に茶色のフィルターがかかっているようでした。
店主は無駄なことを喋らず準備しています。ヘアエプロンをかけ終わりました。
「今日はいかがしましょうか。」
とても丁寧な口調でした。
「短めでお願いします。襟足と揉み上げは刈り上げてください。」
「かしこまりました。」
あまり話さない私に合わせて店主は静かに程よいスピードで髪を切っていきます。
首を傾けるために頭を押す際、エプロンを変える際、櫛を入れる際など、体に触れるときの手は柔らかく優しい。
私はその年に事業所を異動し、新しい環境で働いていました。
ちょうど社内評価の時期で、もやもやした気持ちを抱えていました。
店主に好感を抱いた私は友人や家族に相談をすることのなかった悩みを訥々と話しました。
店主は話を急かすことなく、且つ髪を切る手を休めずに静かに相槌を打ちます。
一通り話し終えてから店主は言いました。
「大変ですね。でも頑張らなくていいんですよ。
頑張らないで休んでもいいんです。」
私は悩みを受け止めてもらたことに安心しました。
そして店主は普段客に話さないことを語ってくれました。
「私はね、こっちに来て何度か仕事を変えて生きてきました。
この店を持ってから付き合いのある葬儀屋の社長に人が足りないから手伝ってほしいと言われたんです。
それから一緒に葬儀の仕事をやってるんですよ。
この仕事はね、24時間どんなときも電話が鳴れば呼ばれた場所に向かうんです。
この町は高齢者が多いでしょ。
いろんな方がいます。寂しい話ですが亡くなっても親族が来ない方もいます。
孤独死と言うのでしょうか。
そのままにしてはおけないから私たちはご遺体を引き取り安置します。
お金を払ってもらえないこともあります。
でも手をこうやって拝んで、感謝してやらせてもらっています。
お客様のお悩みとは関係ない話をしてしまいましたね。
なんだかお客様が入ってきたときに苦しそうなお顔をしてるなと思ったんですよ。
頑張らなくていいんですよ。
頑張らないで休みましょう。」
私は相談に乗ってくれたことにお礼を伝え店を出ました。
空はすっかり暗くなっていました。
家路につきながら店主の話を思い返します。
店主は私に頑張らなくていいと言ったが葬儀の仕事はどんなときにも駆けつける大変な仕事だろう。
遺体を引き取って安置する仕事を責任を持って頑張っている。
その仕事を感謝してやっているとはどういうことだろうか。
お金と仕事と責任がキーワードだろうか。その上に生きるということがある、ということだろうか。
正直今の私には分からなかった。
そういえば店を出たときにサインポールが動いていなかったことを思い出した。
扉の横に吊り下げられた40センチくらいの理容室のサインポール。
それは何年前から止まっていたのだろう。
長い人生、少し休んでクリアな頭になれば答えが見つかるかもしれない。
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