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兄弟dei,一切都会変好的!

兄弟dei、全てが良くなるよ!
(兄弟xiōngdéi xiōngdìのネット用語の方言)

張三堅 2022年1月28日 19:00

   この坎(kǎn 八卦の一つ、悪い状態)を過ぎれば、全てが良く、めちゃ良く、特大に良く、無敵に良くなる!
  偶然の機会があり、僕はこの本に目を通した。
僕が序文を読み終えた時、断固(毅然决然yìránjuérán)この本を皆さんに推薦しようと思った。
  僕はこの本で、一人の若い娘の強靭な生命力と生活への憧れを見た。
何より、彼女は楽観的な態度で、運命が彼女に与えた苦難に立ち向かうことができる。


(幸運も不運も運命であり、運命と絶え間なく言い争わなくていい。なぜなのかに執着せず、結果に迷ってコントロールできる過程を忘れないこと。今を生きて、自分に忠実で、力を尽くし、結果が良くても悪くても認めるのが、運命だ。最も恐れることは悪い結果ではなく、残念に思うことだ。)
認命👉順命


  ちょっと私見を述べさせていただくと、作者はここで“認命(rènmìng 運命だと諦める)”について言及した。
“認”の字は僕たちにとっては、認裁(认栽rènzāi 不運を受け入れる、失敗を不運とする)、認慫(认怂rènsǒng 負けを認める、自分ができないことを受け入れる)の意味があり、少し後ろ向き感覚みたいに聞こえる。
しかし、僕はこの本を読み終えて、全くもって気落ちしなかった。
だから僕はもっと、僕たちの人生は“順命(顺命shùnmìng 運命に従う、受け入れる)”であるべきだと思う。
  どうして“順”の字を使うのか?
それは運命が僕たちに与える何かが、たとえ沢山の喜びだったり、或いは沈重な苦痛だったり、僕たちにどれだけの苦難を経験させても、僕たちは平然と受け入れ、それに従順になることができるのは、それこそが僕たちの運命だからだ。
  僕たちは運命に従うと同時に、絶えず学び、絶えず努力し、自分をより良くし、運命が与えるいかなる打撃にも抵抗して、幸福感を高める能力を持っている。
  バスケットボールのスターのアイバーソンが、試合のたびに人生の最後の試合だと思って出場していると言ったことを覚えている。
だから僕たちも残りの人生をまるで最後の一日のように生きよう。


(信じよう。よりよく生きて、愛して、悟った、輝く素晴らしい日々、心に埋もれた温かい記憶は、いつの日か、あなたが孤独で無力だと感じた時、飛び出してあなたを助けてくれる。)
勇気を失わないで

  僕はずっと勇気とは人として重要な資質だと思っている。
勇気とは始めること表し、勇気とは直面することを表し、勇気は身を挺して立ち向かう(挺身而出tǐngshēnérchū 果敢に立ち向かう)ことができ、荊棘の道を切り拓く(披荆斩棘pījīngzhǎnjí 困難に立ち向かい克服する)ことができ、追い風で荒波を越える(乘风破浪chéngfēngpòlàng 困難を克服して前進する)こともできる。
勇気とは万里の長城の第一歩であり、勇気とは恐怖の敵であり、勇気とは暴風雨(暴风骤雨bàofēngzhòuyǔ)に遭遇しても歯を食いしばって持ちこたえる原動力である。
  一万回失敗してこそ一回の成功につながるのかもしれない。
  琪琪弗(本書の著者で若くして白血病の女性)が書いたように、“本当に勇敢なのは、恐れることを知らないことではない。失敗を経験して、苦痛の辛さを知って、前途は険しいことを知って、それでも変わらず引き返すことを考えず(义无反顾yìwúfǎngù 道義上後には引けない)、勇敢に前へ進む(勇往直前yǒngwǎngzhíqián)ことだ。”

  この本を読み終わって、僕は兄弟の大熊(dàxióng)🐻のことを考えた。
  その名のごとく、大熊は185センチメートル前後の東北の男だが、この男の顔はとても整っている。
一重まぶたで、鼻が高く、垢抜けた男前で、風流洒脱(风流倜傥fēngliútìtǎng)で、女の子に好かれる。
いつも彼は幅広のジーンズや、オーバーオールを穿くのが好きで──臀部と大腿部の筋肉が発達しすぎてて、だからスリムでストレートで身に沿うパンツは穿けないのだ。
  彼は友人の手に何かあるのを見ればすぐ、進んで持つのを手助けするタイプだし、一旦友人と他の人の衝突が発生すると、彼はきっと一番に友人に代わって前に立つはずだ。
彼をよく知らない人には、彼は恐ろしく、厳しく思えるかもしれない。
でも彼は友人に対しては永遠ににこにこ微笑んでいる。

  僕たちは長年一緒にバスケットボールをやってきた仲間で、彼のバスケットボールの技術は筋金入りなので、僕たちはコートのインサイドとアウトサイドを駆ける絶妙なる組み合わせだ。
しかしテーブルに着いて酒を飲んで世間話を始めると、何でか分からないが最後には生きるか死ぬか命懸けになってしまう。彼の負けず嫌い精神は負けを認めない僕とぶつかって、解決には一つの言葉しかなくなる。
それは“きりがない”だ。
  僕は彼の肩に習慣性脱臼があるのを覚えている。
常々コート上で、ボールをシュートして、突然肩を庇って僕たちに“ちょっと待って、肩が脱臼した。”
それから無表情で脱臼した肩を戻して、“いいぞ!続けよう!”と言う。

  ある時僕たちは何人かの気の合う兄弟と一緒にビーチハウスでバーベキューをしに行って、食後に名札剥がし(撕名牌sīmíngpái チームに分かれて背中に貼った名札を奪い合う韓国バラエティ「ランニングマン」のゲーム)大会を企画した。
その結果やってる途中で、この兄ちゃんの小指が折れた。
彼は、“ちょっと行ってくる。”と言って、小一時間後、大熊は包帯を巻いた小指で戻って来て、僕たちとゲームを継続した。
  仕事のために頻繁には会えず、後日の集まりで、彼は服薬のために酒が飲めないと僕に言った。僕は言い逃れだと思って、どんな軽いビョーキが飲酒に影響する?と聞くと彼は、“三堅、僕は重症筋無力症になった”と言った。
  重症筋無力症は、多くの人が知らない病気だと思うが、ホーキングの筋委縮性側索硬化症に似ている。
それから特にスポーツ好きな若者においては、病気になる確率は極めて低いと言われている。
  “どうしてそんな病気になる?”
彼は、ある時北京に年次会に参加しに行って、友人とずっとパーティをしたり、飲んだり、ステージに上がったりして、その上彼はみんなの気分にとても気を配って、絶対にがっかりさせなかったことで、極度の疲労をもたらした。
家に帰った後はずっと微熱で、はては二ヶ月近くも続いた。
その間に呼吸困難になり、視力はぼやけ、目は斜視の状態で、数十段の階段を降りるのでさえ半時間かかった……
  こう言った症例は特に少ないため、最初は病院でも検査で病因を突き止められなかった。
このため大熊は深センの病院を巡って、むしろずっと脳卒中の治療に準じていた。
三番目に鍼灸に行った時、顔中に刺したのは針だ。
中国医学医は食い違いを感じて、“あなたのこれは脳卒中ではないはず、重症筋無力症かもしれないので、早急に大病院で全面的に検査をしに行きなさい。”と言った。
  診断が出た後、病院はすぐさま入院を勧めたが、集中治療室でなければベッドはなかった。
大熊は集中治療室の入り口に立って、いくつか重症患者の光景を目にした。
心の抑圧が彼にそこから逃げ出すよう急き立てた。彼は心の中で自分も集中治療室に入ったら、もう長くはないと思った。(いかなる集中治療室の患者も見下す意図はない)
  重症筋無力症の治療には三つの方法がある。
一つは大量のホルモン治療によるものだが、例えば短期で太ったり、脱毛したり、骨粗鬆症など、副作用があるのだ……
病気になって彼の心はすでに大きな打撃を受けていたため、彼はさらに自分を病人のようには見せたくなかった。
健康的な外見は彼にとっては一種の精神面での激励だった。
  二つは血液交換だが、効果を維持できるのは一ヶ月の間だけである。
  最後に大熊が選んだのは最も保守的な中国と西洋の医薬の連携治療法で、服薬が生活の一部になり、たとえ食事しなくても薬を飲む必要がある。
  これ以外では(除此之外chúcǐzhīwài)、自分で運動を頑張って、毎日家の近所の公園をジョギングしている。
10メートルに一つの街灯は彼の目標で、数メートルから数百メートルさらに3キロまで。
彼も自分が遠くまで走れないと分かっていたが、街灯を走り過ぎるごとに、彼は自分が一つの成功を収めたと考えた。
一度一度と頑張ることが、生きてさえいればきっともっと良くなると、彼に信じさせた。
  3キロを走りきった時、彼は自分の状態が回復して、話す言葉にも力があると感じた。
  今回の大病を経験して、彼の性格も徐々に穏やかに変わっていった。
沢山のことを手放して、病気で眠れずに寝返りを打っていた深夜に、彼は天井を見て、ずっと半生を思い返していた──自分の体を大切にせず、あまりにも勝手気ままで、沢山の月日を浪費していた……
僕の記憶に深く刻まれている言葉、“生命の厚みを生き抜くのは人生の長さよりもっと有意義だ。この社会のために貢献し、生き甲斐があれば、たとえある日突然逝っても後悔しない。”
それから彼は教育業界に従事し、子供が進歩して成功するたびに彼を大変喜ばせた(倍感欣慰bèigǎnxīnwèi嬉しくてほっとする、大喜び)。

  病気の間に、彼女とも別れた。
その時の彼は、卑屈になって、女の子と交際もせず、女の子と話すこともなかった。
彼には一人の女の子に未来をあげる術がなく、責任を負う能力がないと思ったからだ。
そしてその時彼は天使に出会った。
  グループチャットで偶然いいねしたことで、大熊は自分の初恋の女の子に改めて連絡を取った。
ネット上で長い間連絡を取り合ってから、会ってみると、彼は十数年経っても、みんな全然変わってないと気付いた。
  ある日、女の子は大熊にプレゼントをあげた。それはメールアドレスだった。しかし、パスワードは絶対に渡さないで、彼に当てさせた。
大熊は初めて負けた──“彼らが付き合い始めた日”だった。
十数年離れていたが、女の子は毎年このメールアドレスに何通か手紙を書いて、日常生活と彼への思いを訴えていた。
読み終わったあと大熊は泣いた。世界にはまだこうやって気にかけて、十年忘れないでいる(放在心上fàngzàixīnshǎng しっかり覚えておくこと)人がいた。
  大熊は女の子に、呼吸はいつでも止まる可能性があって、今日が最後の日かもしれない病状を告白した。
僕は君が離れて行くのが怖い。僕はその日に直面したくないし、そんな君にも直面したくない。
  でも彼女は、たとえあなたじゃなくても、たとえ私が愛してない人と一緒にいて、彼がこの状態になっても、私は彼から離れないし、ましてやあなたなら言うまでもない。

  僕はこの話を聞き終わって、心に触れるものを言葉では形容し難かった。これこそ僕の心の中の愛情の姿なんだろう。
“たとえ彼が貧困だろうと裕福だろうと、健康だろうと病気だろうと、死に至るまで、ずっと離れない(不离不弃búlíbúqì)……”
  大熊が僕を結婚式に招待してくれた時、僕は特別にあらゆる事を押し退けて、彼らの愛情の証人になりに行った。
僕はホールの隅っこの位置に通されたけど、大丈夫、僕は最高のお祝いの気持ちを彼らに送ってやった。
  それから後は、相変わらず一緒に集まって、僕たちは酒のグラスを持ち上げ、彼は水のグラスを持ち上げた。
兄弟として、彼には酒を一滴も飲ませないと固く決意して、たとえ彼が飲みたがっても、僕たちは固い決意で彼を制止する。
先日彼はまだ生まれたばかりの彼の娘の写真を送ってくれた。この兄ちゃんはたったの数年で息子と娘が揃ったので、実に羨ましい。
  僕たちもさらに沢山交流して、お互いを激励し、勇気付け(打气dáqì)合うようになった。
未来のいかなる時でも、大熊に手助けが必要であるなら、僕は身を挺して立ち向かうだろう。
だからここで、僕が彼に一言言いたいのは、“兄弟、全てが良くなるよ!”
同様に最高の祝福を、僕たちの最も強くて張無忌(张无忌 金庸の武侠小説の主人公)が好きな琪琪弗に贈ろう!

  僕は親友との間で、一番重要な事は何か?と考え始めた。僕は“仁義”だと思う。
  まずは万事万物に慈しみ深い心で対峙する。
その次はたとえ君がいつどんな困難に見舞われても、僕は君をサポートする。これが“義”だ!
誰かさんの、良い時は、いちいち“老師(老师lǎoshī 先生)”と呼んで、“苦境に見舞われてる”時は、顔を見せないどころか、気配りと慰めのショートメール一通さえしない、みたいなことのないよう。
  運命が“不公平”だと僕たちが感じる時、僕たちもこの過程で成長し、多くの人や物事を見極めて、真心で接すること(真心相待zhēnxīnxiàngdāi 恋愛などで本心で向き合うこと)と口先だけの好意(虚情假意xūqíngjiǎyì)を理解する。
やっぱりあの言葉、みんな一緒に強く(坚强jiānqiāng)なろう!








  これでおしまいだと思った?
最後にまたみんなに僕が最近気に入ってる“偶然の出会い”という言葉をシェアしよう──期待しなければ失望せず、期待しなければ嬉しいサプライズにもなる。
僕たちは往々にして期待していない時に、本当の嬉しい物事に出会う。これは生きていることからの君への優しい慰めなのだ。

  僕の偶然の出会い👇


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