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開篇

プロローグ

張三堅 2022年1月16日 20:00

  ある考えを思い付いて筆を下ろして数日経ち今日になった。
その日の夜は寝付けずに皆さんと考えや思いを共有するのが待ちきれなかった(迫不及待pòbújídāi 矢も盾もたまらない)。
目を覚ましてから昔の人の名言“万事開頭難(万事开头难wànshìkāitóunán 何事も始めが難しい)”を実感した。
確かに難しい。この新鮮なアイデアを持った直後に病気になって、家で二日休養した後にやっと張三堅の最初の言葉を書いた。
  新型コロナウィルスが猛威を振るって流行し皆さんの活動範囲は急速に縮小した。
万巻の書を読み万里の道を行く(读万卷书,行万里路dúwànjuǎnshū xíngwànlǐlù)と言われるが、現在は国家の防疫対策に対応して“万里の道を行く”のは皆さんには少し難しいかもしれない。
大丈夫、決して大きな歩幅ではないが、僕たちのアイデアが方向を見つけてより遠くへ進み続けられると願おう。

  子供の頃お母さんは僕に読書を勧める時いつも僕に言い聞かせるのが好きで、「あなたがたとえ腰に万貫を巻くような大金持ち(腰缠万贯yāochánwànguàn)であっても、一夜にして丸裸(穷光蛋qióngguāngdàn)になるかもしれないが、たとえ懐が寒かったとしても(囊中羞涩nāngzhōngxiūsè)、腹の中に詩書があれば、世界の果てに行くこともできる。運命が奪えないものは何か?それは人の知識と才能!あなたの腹の中いっぱいの詩書の神韻(shényùn 風格、気品)と文化の息吹は、あなたのボロボロの袖口から流れ出して来る。その知識はどこから?才能はどこから?それは読書から!」──同様の話を一度二度三度と繰り返し強調した。
  子供の頃の僕はそんなことはないと思って、戸外での運動を好んでいて、全然大人の忠告を聞き入れなかった。
この耳辺の風(耳旁风ěrpángfēng 馬耳東風)はバスケットボールがゴールに入ったあとネットに触れる時の“シュッ”という音みたいにすぐに消えた。
  今思い返せば自分には本当に欠けてるものが多すぎて、補填すべき知識も多すぎる。
このアカウントを作った本意は僕が読んだ本や見た映画は多いし、感じ取ったことや感想を含めて皆さんと共有して交流できるようにするため、またより良い読書を自分に促し、良い循環を実現するためだ。
それでは余談はさておき(言归正传yánguīzhēngzhuán)無駄話はこれぐらいにして(话不多说huàbúduōshuō)僕が最近読んだ本を一冊お勧めしよう。


公正<アメリカ>マイケル・サンデル 著 朱慧玲 訳


  表紙の一言目は“JUSTICE What’s the Right Thing to Do?”
  朱先生の翻訳では“公正,该如何做是好?(公正とは、どうすればいいのか?)”
本人の文化レベルは高くないが、それでもこの語句の翻訳を試してみたいと思う──“公正とは、どう行うのが正しいのか?”
  本書を読み終わってから再び証明されたのは学問の道に終わりはなく(学无止境xuéwúzhǐjìng)、永遠に謙卑な心を保ってこそ進歩でき、様々な物事は、決してごく簡単に正しいか間違いかで測ることはできないということだ。僕たちは皆より一層調和し合い、美しく、健康的な社会にしようと努力している。
  シンプルな英文のように見えるが、中華文字は博大精深(bódàjīngshēn 思想や学識、文化などが幅広く奥深い)で、正確な翻訳には確かに深厚な言語への基礎が必要だろう。
だから朱先生が翻訳した“どうすればいいのか?”は作者の精神をより一層正確に伝えており、先生にいいねしたい。

第一章 正当な事をする

  2004年の夏、ハリケーン“チャーリー”がフロリダを席巻し、大西洋に至った。22名の命を奪い去り、110億米ドルの経済損失をもたらすと、これにより反価格詐欺法に関する論争を引き起こした。
  一部の人は“他人の困難と苦痛を利用して儲けようとするのは間違いだ” “危機的局面にあって、人々が逃げ出す時、或いはハリケーンのあとに家族のために生活必需品を求めた時、高額な請求をされるのを、政府は手を拱いて傍観(袖手旁观xiùshǒupángguàn)してはいけない”と思っている。
  別の人々は“市場によって生み出される売値価格は、決して詐欺ではなく、欲深或いは恥知らずな行為でもなく、ただ自由社会の中で物品とサービスの分配を獲得する方式なだけである” “これらの過大な価格反応が本当の自由な取引だ”と思っている。
  このことから道徳と法律の境界が一体どこにあるのか?を検討できる。我々は法律で全ての人が道徳的に高尚な人になることを強制できない。
人は個人として、道徳が低い或いは道徳的に中庸であったり、また或いは道徳的に高尚な人になることを選択できる。
一人の人がどの程度道徳を失えば法律的に制裁を受ける必要があるかは、我々が法治国家となって以来、あらゆる世代の法律家によるたゆまぬ努力を経て定義されたものだ。
  僕は大多数の人は道徳的に高尚な人になることを願っていると信じるが、色々な要因のせいで道徳的に欠陥のない人になるのは難しいかもしれない。
昔の人は“誤ち知りて改めれば、焉(これ)より大なる善はなし(知错能改,善莫大焉zhīcuònénggǎishànmòdàyān 過ちを犯しても改善できれば素晴らしい)”と言い、我々は人が道徳において自分の不足を絶え間なく是正し改善するのを認める必要がある。
もちろん他者を傷付けることのない状況下では、全ての人に選択の自由があり、法律が武器になるのは最後の防衛線であり、人の道徳の高低を裁くツールではない。

「制御不能の電車」

  仮にあなたが路面電車を運転していたとする。前方に5名の作業員がいて、まさに軌道上で工事をしているのが見えて、あなたは止めようと試みるが、ブレーキが効かずにできなかった。
突然あなたは右側に脇道があるのを見つけた。そちらにも1名の作業員がいて、あなたはその人を轢き殺せば、他の5名の作業員が助かると気付いた。
  聞きたい、皆さんはどんな選択をする?
  同じく制御を失った電車で、電車は今まさにこの5名の作業員に衝突しようとしている。ホームの上であなたは傍に逞しい人が立っていて、彼を突き落とせば電車の前進を阻止できると気付いた。彼は轢かれて死ぬかもしれないが、5名の作業員は助かるのだ。
(あなたは自分が線路に飛び降りることを考慮したが、自分が小さすぎて電車を止められないと気付いた。)

  皆さんは一体どんな選択をする?
  同じ様に一人を犠牲にし、5名の命を救っている。
どうして人を線路に突き落とすことは、列車のハンドルを動かすことと比べて、より人を納得させられないのか。
だから僕たちが考えなければならないのは、全部同じ結果をもたらしたように見えても、具体的な過程と備わった条件が全く違うということだ。

「アフガニスタンの羊飼い」

一人のアメリカ海軍士官が2名のアフガニスタンの羊飼いを見逃した──彼のその“善良な行動”のせいで19名の戦友が全員犠牲になった。
  この将校は一生を悔恨と懊悩の中で生きていたが、彼自身は運良く生き残っていただけだった。
僕は彼にもう一度選択の機会を与えれば、きっと2名の無辜に見えるアフガニスタンの羊飼いを射殺するだろうと思う。
  残念なことに人生はやり直せず、我々には未来を予見する能力もない。

第二章 最大の幸福の原則/功利主義

  1884年の夏、四名のイギリス船員が南大西洋で小さな救命艇に取り残され、生命の深刻な脅威にさらされた。彼らは若い船倉の下男(彼は孤児だった)を殺害して食べることを迫られ、生命を維持し最終的に助かった。
この出来事がジェレミ・ベンサムの功利主義を導き出した。
  興味深いのは、この功利主義は我々がよく知っている“小我を犠牲にして、大我を完成させる(牺牲小我,完成大我xīshēngxiǎowǒwánchéngdàwǒ 小さな犠牲を払って大きな成果を得る)”という概念に少し似ていることだ。

  それでは快楽の城という物語を見てみよう。罪のない一人の子供の権利を侵害することで、街全体に幸福をもたらすとしても、道徳的には受け入れられない。
それは封建的な迷信の社会で、童男童女(神に仕える少年少女)を天に捧げて引き換えに村の天候が順調であること(风调雨顺fēngtiáoyǔshùn 気候が作物の成長に合っている)を祈るのと似ている。
  我々には金銭或いはその他の価値あるものを用いて一人の命を測ることはできないし、一人の苦痛の大きさを値付けすることもできない。


(心と道徳の力は筋肉の力と同じで、使用することでしか向上しない……)
👆これは僕が気に入った一節👆


  “満足の得られない人になるのは、満足している豚になるよりましで、満足した馬鹿より不満を抱いたソクラテスの方が良い。もし馬鹿や豚が異なる視点を持っていても、それはただ単に彼らが自分自身の偏見に固執しているだけだからだ”(ジョン・スチュアート・ミル)



  「聖アニーの女学生」という物語は面白いので皆さん一読の価値がある。フフフ〜
  ジェレミ・ベンサムは死後においても、依然として最大多数の人の最大善(最大多数の最大幸福the greatest happiness of the greatest number 幸福とは人間の求める善であり,それは快楽を求め,苦痛を避ける合理的行動によって達成しうる。個人の合理的利己的行動に政治的な干渉がなければ社会は自然に調和して全体の幸福に寄与しうる。)を促している。
  それから後はバスケットボールの神マイケル・ジョーダンの話なども……みんな早く本を読もう

  最後に根気よく全部読んでくれた皆さんに感謝しよう。僕もお気に入りの書籍や映画を共有し続けます。
  僕が不適切な句読点を使用しているかもしれないのに耐えてくださった皆さん、初めての試みに多大な容赦と多大な理解を示してくださり感謝します。





  ……

  ……

  ……
  これで終わりだと思った?
  もう一つ話を紹介したら、皆さんに笑いものにされそうだ。なぜなら音声テキスト化の技術を知らなかったので、僕は昨晩4時間で1929文字をコツコツと打ち込んだが、最後の瞬間になんと保存されてなかったのだ。僕の感情は青天の霹靂のようで、見てないふりをしかけた。今まで自分がこんなに愚かだと思ったことはない。
  しかし僕はこの張三堅という名前の面目を保つため強くあらねば!僕は幸い保存されていないのはたった1929文字、1万字じゃないと自分に言い聞かせた。
僕の気分は少し上がった……
  頑張るぞ!






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ラジドラ翻訳も一息ついたので、次の勉強の素材は、張三堅のエッセイにしました。日本語にすることで一人称や言葉のチョイスなど翻訳する人によってキャラ付けされてしまうのはイヤなのですが、個人的解釈はできるだけ排除して、一般的30代男性の文章っぽく訳せたらいいかなと思います。
一応テキストエディタ段階では改行も同じだけ開けたんですが、noteに持ってくると勝手に段落化仕様のせいで、行間は雰囲気だけになりますがご了承ください。
でもまあwechatの自動翻訳でほんのり理解してたのより、結構雑然としてるなとか気付いて楽しいです。同じ様に楽しんでいただけたら嬉しいです。あと、日本語なので時差も1時間ですw
回来了以前の元記事はアカウントごと消されてるのでリンクの貼りようがなくてすみません。

初回の内容は道徳心について深く考察なさってて、自分の置かれた状況をどうにか納得しようと考えを整理しようとしてるように感じる記事でもありましたね。文面から垣間見るひととなりが、大変興味深い。

とりあえず、現在までで発表済みのを隅々まで理解しながら訳して最新に追いついたらまた何か考えます。

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