jhのコピー

秋山道男さんの事。

秋山道男さんが9月19日に亡くなられた事を今日知る。

秋山さんの事を知らなくても、秋山さんの作ったものは、ある程度の年齢の方なら目にした事があると思う。

俳優としてはピンク映画からNHKの大河ドラマまで出演している、プロデューサーであり、編集者であり・・・無印良品全般のプロデュースとか、アニメ『おでんくん』の声優とか・・・ よくわからない存在だった。

秋山さんと僕がどういう関係だったかというと、すごく薄い関係ではあるのだけど、秋山さんは一時期「天象儀館」という劇団にいた、そのあたりは
ウィキペディアを見ていただくとして、

その「天象儀館」が映画を作ると言う事になりシネマ・プラセットという製作会社を作る。

僕は、そのシネマ・プラセットにいて、簡単に言えば、そんなつながりで、秋山さんの製作物のお手伝いをしていたのだ。

仕事が無い時代のアルバイトだけど、辛い時代だったからこそ思い出が詰ってる。

一番の思い出は「チェッカーズ」の仕事。もうチェッカーズさえ、{誰?}という時代だろう、チェッカーズは1983年から1992年まで活動したグループ・・・

秋山さんがチェッカーズのデビュー当時のコンセプトの全てをプロデュースした。

35年も前の話になる。

さらに4年前、2014年にこんな記事を書いていた、すべて秋山さんのプロデュースの仕事だ。

全く関係ないが、秋山さんの事務所で使っていた会議用の大テーブルを貰ってきて自分の部屋で使っていた、あまりにもデカくて持て余していたけど、それなりに大きいのは便利だった。

これも、そのうち必要なくなり、捨てるのに苦労した、秋山さんも捨てるのに苦労して、僕にくれたのだろう。

もうひとつ、大きな仕事は、おそらく1985年のチェッカーズカレンダーだ。1月~12月までの12枚、1週間ほど大きなスタジオにこもって撮影した、

どんな撮影だったかの記憶がないが、こんなに金かけるんだって言うぐらいタイヘンだった記憶はある。

小泉今日子さんとの撮影もタイヘンだったけど、それはまた別の時に・・・

なんだかんだ若かった頃仕事をした方が亡くなっていくのはつらい。

順番がそこまで来ている気になる・・・

秋山さん作詞の音楽でお別れ!


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?