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8ミリ、古い自主制作映画の事 。

8ミリ映画ってなに、の人が多いだろう、8ミリビデオさえ理解されない時代だと自覚している。

1972年、「ゴッドファーザー」を見て映画監督になりたいと思い、1970年代の終りに8ミリで映画を作り、勝手に映画監督になった。

もちろん、こういう監督になりたかった訳ではない。それでも自分で撮影して、編集して、1本の作品を作り上げる喜び、スピルバーグだって、最初は8ミリ映画だったのだ。

前に書いたけど、40年ほど前に作った「古い自主制作映画」の音を入れ替える作業をしていて、やっと3本の作品が完成した。

1本目。

「おまけ・THE・ムービー」はコマ撮りのアニメ、霜田さんと言う方がコレクションしていたグリコのオマケを使って撮影した、これはほとんど霜田さんの作品といってもいい、なんでも撮りたかった頃の1本。
今見れば雑な1本。
評価されるような作品ではない。

2本目

「VINYL HOUSE」は当時でも珍しかった白黒の8ミリフィルムを10本だけ手に入れる事が出来て、何を撮ろうか、けっこう考えて作った作品。

これは、あまり撮りたかった事が伝わっていないけど、この、分からせようとしない感じが、当時の感覚だった気もする。

当時の自主制作映画界の雰囲気なんか理解できないと思うけど、今のように、まったくお金がかからず、スマフォ1台で1時間でも2時間でも撮影できる時代ではなかったので、出来るだけ切り詰めた表現・・・

まあ、そんなに真剣に考えてたわけじゃないけど、フィルムは高価だったし、特に、この作品は白黒フィルム10本という制約の中で撮ったので、ムダに撮影する事は出来ずに大変だった。

今もPFFという自主映画の賞があるけど、当時、そのPFF、「ぴあフィルムフェスティバル」に応募した。

1979年の「ぴあフィルムフェスティバル」のパンフレットをみると、入選はしなかったけど「その他審査の対象になった作品」の中に、
「VINYL HOUSE」が入っていた。

それはパンフレットを買って初めて知ったのだけど、大きな自信になった。

実験映画というジャンルがあって、なかなか見る機会がないかもしれないけど、寺山修司や大林宣彦なども撮っている。

どうしても、スタッフ、キャストが少ないと、劇映画思考の監督でも実験映画的な作風になりがちで、そうならないギリギリで劇映画を目指して撮影していたのだけど、今見ると、実験映画の要素が強い感じがする。

いわゆる劇映画のような映画ではない映画、こういう作品が評価されていた時代もあったのだと分かっていただけたらと思う。

1960年代から続いていた手持ちの16ミリカメラで自由に撮影する、ゴダール的な、ヌーベルバーグ作品に対抗するように、ちゃんと三脚を立てて、カッチリした画を撮りたかったのだと思う。

3本目

「花咲くオトメ」も、ちゃんと三脚を立てて、できるだけ劇映画のように撮りたかった部分と、大林宣彦のように、フィルムで遊びたいという思いが入り混じっている。

今思い出しても、大変だった撮影が思い出されるが、気持ちが画になっておらず、観客に伝わる訳がないという絶望感がある。

スタッフさえいれば大変でない場面も、苦労が絶えない。

ラストシーンは、電柱がそびえ立つ道を、女の子が歩いてゆく、それだけなんだけど、その道は、ひとが存在しないかのように、車も止まっておらず、
高い電信柱が天国に向かっているように撮りたかったのだけど、そんな思いは伝わらないし、何度撮り直しても、横から車が出てきてしまう。

ちゃんとした映画ならスタッフがいて、場合によっては警備員を雇って、撮影中の2~3分、車を止める事を、助監督になって初めて知った。

当時、8ミリフィルムは現像代を含めて、1本1500円ぐらい、1500円で3分しか撮影出来ない。

当時の僕のバイト代は時給520円ほどで、10分もカメラを回すと、2日分のお金が消えてゆく。

予算といえばカッコイイけど、生活費も使いつくし、底をついて、撮り直したくても撮り直せない状況で作り上げた。

1日食事を抜いてフィルムを買ったして、出演してもらってる霜田さんに、そうとう援助してもらった。

どうして、そんなに映画が撮りたかったのだろうと思う。

完成して、今度は「ぴあフィルムフェスティバル」に入選して、幸いにもそこそこ評価されたけど、評価されたことによって、より、ホンモノの映画が撮りたくなってしまったのも事実。

自信過剰だったけど、当時の審査員であった大島渚監督に、完全無視された事で自信を失い、40年間、自分でこの作品を見る事が出来なかった。

どう考えても大島渚好みでない事はわかったけど、のちに「戦場のメリークリスマス」を見た時、かなり実験映画っぽいと思った。

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今回、音やセリフを入れ替えた事によって、まったく別の作品になってしまった、前にも書いたけど、当時は著作権意識が低く、既成の音楽を使っていたので、youtubeにアップする事さえ出来なかった。

それで、今回は手持ちの著作権フリーのもの、ネットで探した同じく著作権フリーのものの中から、出来る限り、当時のイメージに近いものを選んだつもりだけど、どこまで選んだ所で、同じものにはならない。

作品は音楽に合わせて編集していたので、異常に黒い画面が長かったり、歩く場面が長かったりするけど、まあ、まあ。



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