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9月の語学まとめ ー文法、読解、精聴、イマージョン

今月の棚卸しとして9月に取り組んでいた語学学習についてまとめる。自分の現在地と今後の見通しなどを整理しつつコンテンツの紹介も交えたい。

2024/09/30時点での各言語の勉強時間はこんな感じ。

ドイツ語  59:12
フランス語  59:02
ロシア語  20:55
英語  20:09
ポルトガル語 18:43


メインで取り組んでいるドイツ語とフランス語の目標を月50時間以上、実力が衰えない程度でカジュアルに接している英語、ロシア語、ポルトガル語の目標を月20時間以上として時間を配分していた。今日中にポルトガル語を1時間ちょっと勉強すれば今月の目標としては達成になる。今月はほぼ働いていないので、25日くらいの時点で仏独語は50時間に到達して安心してしまい、そこからは失速してしまったが、上限を設定せずに勉強していると、どうにも苦しくなってしまうので、これはこれでいいかもしれない。大切なのは継続なのだから、最大出力をどこまで上げられるかにこだわっていてもあまり意味はない。ここはロシア語でいう、Тише едешь, дальше будешь (よりゆっくりと行けば、より遠くまで行ける、急がば回れ)にならって、自分のペースに沿った語学学習を継続するのが吉かと思う。
次に教材や作品の紹介等をしながら具体的な勉強方法をいくつかに分けて記述する。

1、文法

各言語の土台として文法知識の積み上げを行なっている。一般に想像される「勉強」のイメージに一番近く、机に向かって教材を読み進めたり、ドリル感覚で練習問題に取り組んだりした。各言語で以下のような教材を用いた。

ドイツ語:『ドイツ語練習問題3000題』
フランス語:『フランス語の冠詞』
英語:『英文解釈教室』
ロシア語:『ロシア語一日一善』
ポルトガル語:『会話と作文に役立つポルトガル語定型表現365』

各教材について具体的に見ていく。

『ドイツ語練習問題3000題』 (ドイツ語)

実際に数えたわけではないが、ドイツ語の練習問題が3000題載っている本。全34課で、各課が文法の要点、基礎問題、発展問題、応用問題の4ページで構成されているオーソドックスな問題集。ドイツ語1冊目としてはちょっとハードルが高いかもしれないが、一応基礎の基礎から段階的に進めるようになっている。現在私は第28課にいるが、25課を超えたあたりから急に難易度が上がったような気がしていて、中級者にとってもそれなりにやりごたえがあるのではないかと思う。長文読解の問題に関しては、すべての文を和訳して理解度をチェックしている。独訳問題も多いが、基本的には基礎問題や長文に出てきた文型を雛形にして文を作っていくように誘導しているので、無理なく進めるようになっている。長文に出てくる通貨はマルクだったりするので、教材の古さは否めないが、着実に実力をつけるならやっておいて損はない。


『フランス語の冠詞』 (フランス語)

題名どおり、フランス語の冠詞についてまとめた本。旧版の発刊が1978年で、しかもこの本は、1932年に著者が自費出版した『現代仏蘭西語に於ける冠詞の用法』を改訂したものであるから、相当古い書物ということになる。しかし、時の試練に耐えた本というのはそのゆえがある。著者は外務省で仏訳をする仕事をしていたが、フランス語の冠詞に関する疑問は当時の文法書を調べても顧問のフランス人に尋ねても解消しないことが多かったらしい。そこで自分でやるしかないと決心し、手探りで冠詞について何か言えそうな文例を採集していき、それが本書の基になった。外交という業界柄、一つの語のちょっとしたニュアンスの違いが国際問題に発展しかねないデリケートな作業が求められるからか、著者のフランス語に対する眼差しはとても鋭く、自分が読んでいたらおそらくは流してしまいようなところにもしっかり注意を払って、そのニュアンスを汲み取ろうとする姿勢が全ページからうかがえる。一般的な文法書のように、ある体系だった冠詞の機能を述べるのではなく、あくまでも著者の経験から冠詞に対する深い洞察が展開されており、非常に勉強になる。その性質上、結論がまとまっていない箇所もあるが、かえってそれが潔く、あとは自分でも考えてみてくださいね、と言われているようで、自分で文を解釈するよい刺激になっている。


英文解釈教室 (英語)

英文解釈の名著にして古典、受験教材としても時々言及されるが、これほど英語の力がついたと思わせてくれる参考書もそうそうない。基本的には和訳問題を繰り返していく形だが、解説がとにかくすばらしい。英文に直面したときに脳内で展開される(されるべき)思考の流れがきれいに説明として言語化されており「どう考えるべきか」という読解プロセスで一番重要な点を突き詰めて考えられる。解答が提示されていない読者の視点から解説をするという、基本的でありながらなかなか難しいことをさらりとやってのけている。読解とは推論の連続であり、自分の仮説の検証を文法知識を用いて実証していく作業なのだということがよく分かる。ボキャビルをひたすらやったけど、英語が読めるようになった気がしない、という人は本書をやるといいかも。英語に限らず、読解力を高めるためには和訳が一番と私が考えるようになったのは本書の影響が大きい。


ロシア語一日一善 (ロシア語)

 本書はロシアの文豪、レフ・トルストイが箴言集として残した Круг чтения 『文読む月日』のなかから500編を抜き出して対訳付きで載せたもの。露文解釈の教材としてこれを使用した。箴言というのは、時代を超えて伝えられているものである一方、箴言を残した人物の思想や当時の社会情勢を踏まえないと本当の意味は理解できないことも多い。しかもトルストイが意図をもって配置した箴言であるから、トルストイの本を読んでその思想に馴染んでいないとちょっと教材としては難しいかもしれない。世界史に燦然と輝く偉人の言葉もあれば、名もなき民衆の知恵から出た言葉もあり、警句集としても味わい深い。問題形式になっていないので、解説は望めないものの、ロシア語という枠を超えて言葉について考えるきっかけを与えてくれる。私は訳例と自分の和訳を比べたりすることでロシア語の底上げをした。


会話と作文に役立つポルトガル語定型表現365 (ポルトガル語)

ポルトガル語で一つの語や言い回しを取り上げ、それを用いた例文を載せたもの。例文集という趣。作文に使うことを想定してか、日本語との対訳よりになっていて、例えばセクション216では、indignar-se com… enfurecer-se com… revoltar-se com… ficar escandalizado com… をすべて「〜に腹を立てる、憤慨する」として、例文がいくつか挙がっている。確かにこれら4つの表現をまとめて「憤慨する、腹を立てる」とざっくり日本語で捉える方が作文能力の向上に役立つとは思うけど、私個人の問題意識としては、これらの語を文中で見たときに全部「憤慨する、腹を立てる」って日本語に置き換えることではなかった。詳細は省くが、私はこれらの表現のニュアンスの違いに興味があるので、この4つの表現を辞書やAIを使ってどのよう表現の差があるのかを調べたりした。(日本語でも、はらわたが煮え繰り返る、業を煮やす、怒髪天を衝く、逆鱗に触れる、をすべて「怒る」とか「むかつく」にまとめられたらそれは違うってなるだろう)語や表現にこだわって、語感を探究する、そのためのたたき台として本書を参考にしている、といった感じの使い方をしていた。


2、読解

原書を読んでいく勉強。外国語の勉強方法として読書はよく挙がるが、いきなり古典文学に行くなというアドバイスもまたよく聞かれる。私は語学以外の趣味が読書ということもあって、原書で読みたい海外文学作品はいくらでもあるから、レベルとしては最高と言われている古典作品に取り組んでいる。著作権が切れたものの方が教材として利用しやすい上にお金がかからないというのもあるが、基本的には読んでみたいと思ってみたものを読むのが一番だ。難易度なんてものはやり方しだいでいくらでも調整できる。個人的に挫折しないコツは「邦訳を参照する」「通り一遍の読書の仕方にこだわらない」あたりだろうか。
現在の読書リストを進度を含めて下に記す。

ドイツ語:ヘルマン・ヘッセ『車輪の下』(進捗率64%)
フランス語:ジャン=ジャック・ルソー『孤独な散歩者の夢想』(進捗率86%)
英語:ルートウィヒ・ウィトゲンシュタイン『青色本』(進捗率28%)
ロシア語:イヴァン・ツルゲーネフ『ルーヂン』(進捗率7%)
ポルトガル語:マシャード・ジ・アシス『ドン・カズムッホ』(進捗率54%)

今回はそれぞれの作品を少し紹介してみようと思う。

ドイツ語:ヘルマン・ヘッセ 『車輪の下』 HERMANN HESSE „Unterm Rad“ 

「そうかそうか、つまり君はそういうやつだったんだな」(『少年の日の思い出』)でも有名なヘルマン・ヘッセの作品。とあるドイツの田舎の秀才が周囲の期待を背負って難関校に合格するが、次第に勉学への意欲を失くし、模範生から劣等生へと転げ落ちていく話。「車輪の下」というのは前に進む馬車から落ちてしまったものが行き着く先であり、いわゆる「レールを外れた」者の末路を暗示させる。ヘッセの自伝的小説で、主人公はヘッセと同じ神学校を退校するし、ヘルマン・ハイルナーという詩人を志す人物が同級生として出てきたりする。個人の自由を抑圧する教育制度を批判的に描いており、受験生は疲れたときなんかに読むとけっこうくるものがあるかもしれない。勉強というものは、自らの内発的動機でやるからおもしろいのであって、学歴とかお金とかのためにやる勉強ほどつまらないものはない。勉強をする喜びと従順であることの喜びは混同されやすい。この「ガリ勉」に対するヘッセの眼差しはなかなか辛辣だ。

„Das ist Taglöhnerei,“ hieß es, „du tust all die Arbeit ja doch nicht gern und freiwillig, sondern lediglich aus Angst vor den Lehrern oder vor deinem Alten. Was hast du davon, wenn du Erster oder Zweiter wirst? Ich bin Zwanzigster und darum doch nicht dümmer als ihr Streber.“

「そんな勉強は日雇い仕事みたいなもんだ」というのだ。「きみは、どの勉強だって、好きで自分から進んでやっているわけじゃないんだ。 ただ、先生やおやじさんがこわいからやってるだけだ。一番や二番になってなんの得があるんだ、ぼくは二十番だぜ。だからといって、きみたちがり勉家よりばかじゃないつもりだ」(伊藤正蔵訳)

フランス語:ジャン=ジャック・ルソー『孤独な散歩者の夢想』 JEAN-JAQUES ROUSSEAU “Les Rêveries du Promeneur Solitaire”

世界史でも習う社会思想家、ルソーの晩年の作品。『エミール』や『社会契約論』を執筆し、一度はその名声を轟かせたルソーだが、その思想がカトリック教会にとって危険とみなされ、弾圧の対象となる。世間から村八分にされたルソーが、孤独のなかでこれまでの人生を振り返りながら、自身の心境を綴った10の哲学的断章が『孤独な散歩者の夢想』だ。いわゆる「社会のなかで受け入れられて成功すること」を真っ向から否定し、一人になった自分の素直な気分に従って気ままに生きることを謳歌する様を強靭な思考で表現しており、おひとり様が浸透した現代には響くものがあるかもしれない。社会的な評価に惑わされず、自分にとって気分がよくなることをすることが幸福につながるということを見出したルソーの筆は、ときに偏屈に、ときにユーモラスに読者に訴えかける。

En méditant sur les dispositions de mon âme dans toutes les situations de ma vie, je suis extrêmement frappé de voir si peu de proportion entre les diverses combinaisons de ma destinée et les sentimens habituels de bien ou mal être dont elles m'ont affecté. Les divers intervalles de mes courtes prospérités ne m'ont laissé presque aucun souvenir agréable de la manière intime et permanente dont elles m'ont affecté; et, au contraire, dans toutes les misères de ma vie, je me sentois constamment rempli de sentimens tendres, touchans, délicieux, qui, versant un baume salutaire sur les blessures de mon cœur navré, sembloient en convertir la douleur en volupté, et dont l'aimable souvenir me revient seul, dégagé de celui des maux que j'éprouvois en même temps. Il me semble que j'ai plus goûté la douceur de l'existence, que j'ai réellement plus vécu, quand mes sentimens, resserrés, pour ainsi dire, autour de mon cœur par ma destinée, n'alloient point s'évaporant au dehors sur tous les objets de l'estime des hommes qui en méritent si peu par eux-mêmes, et qui font l'unique occupation des gens que l'on croit heureux.

僕は自分の生活のあらゆる場合における魂のありようについて考察してみるに、僕の運命の種類の組合わせと、その組合せが僕に感じさせた幸不幸に対する平常の感情との間に、ほとんど比例がとれていないのを知って、いまさら非常に驚かずにはいられないのである。僕の短かった反映の変化に富んだ期間は、その当時に僕が感じたようには、親密にも、永続的にも、なんら楽しい思い出を残さなかったのである。そして、それとは反対に、僕は自分の生活のあらゆる悲惨の中にあって、やさしい、しみじみした、こころよい感情に満たされている自分をつねに感じたのだった。そしてこの感情は、僕の痛む心の傷に有効な鎮静剤をそそいで、心の苦痛を快楽に変えたかに思われたし、また、この感情の愛すべき思い出は、僕がそのとき受けていた災厄の思い出から分離して、ただひとりで僕のところにもどってくるのである。僕の感情は、いうなら、僕の運命によって僕の心の周囲に圧縮せられ、もう外部に向かって発散しなくなった。彼ら人間の尊重する対象物ーこんな物は、それだけでは何の価値もないのだが、そして、人から幸福だといわれている人間の唯一の専念になっているのだが、このような対象物のほうに、僕の感情が発散しなくなったとき、僕はますます生きていることの甘美を堪能したような気がする。ますます、実際に生きたような気がする。(青柳瑞穂訳)

英語:ルートウィヒ・ウィトゲンシュタイン『青色本』 LUDWIG WITTGENSTEIN “Blue Book” 

20世紀を代表する哲学者、ウィトゲンシュタインの作品。ウィトゲンシュタインはオーストリア出身だが、この『青色本』はケンブリッジでの講義がもとになっており、英語で書かれている。この本はこのように始まる。

What is the meaning of a word?
Let us attack this question by asking, first, what is an explanation of the meaning of a word; what does the explanation of a word look like?

語の意味とは何か。
この問題に迫るためにまず、語の意味の説明とは何であるか、語の説明とはどのようなものかを問うてみよう。(大森荘蔵訳)

「語の意味とは何か」
語学をやっている人間ならば、このような疑問が思い浮かばない日はないのではないか。ある外国語の文を読む。分からないところがある。ここのこの語の意味は何だろうと思う… このプロセスを四六時中やっているわけだから。もちろん、ウィトゲンシュタインは具体的な語の意味とは何かを問うているのではなく、一体全体「語の意味」とみんなが呼んでいるものは何かということであり、問われた側はそんなこと言われても意味は意味でしょ、くらいしか答えられない。そこでウィトゲンシュタインはこう提案する。「語の意味の説明とは何であるか、語の説明とはどのようなものであるかを問うてみよう」
語の意味を説明するときのプロセスを観察すれば語の意味なるものの実体が見えてくるのではないかと言っているのだ。
『青色本』では、このようにして思考を一歩ずつ進めていく。難しく感じる哲学の問題に対して、考えるための武器の使い方を実地で見せてくれる。ウィトゲンシュタインは『青色本』のなかで自分の哲学的思考を展開させており、その洞察力には圧倒されるばかりだ。この本を読んでいると、自分が外国語を理解するときのプロセスが言語化されているような箇所に出くわすことが多く、語学が趣味の一個人としてはそこがとても興味深い。極限まで凝縮された思考を堪能できる。

ロシア語:イヴァン・ツルゲーネフ 『ルーヂン』 И. С.  Тургенев. «Рудин»

口では威勢のいいことを言うけど、実際に行動することはない。いわゆる「口だけ」の人、ツルゲーネフが描く『ルーヂン』はまさにそのような人物だ。高邁な思想や革命への意欲を持ちながら、社交の場では理想を語るけど、その薄さは徐々に露呈していく。弁が立つことは優れた資質だが、それだけでは誰にも相手にされない、いわゆる説得力というものはそれ以外のところから出てくるものなのではないか。ツルゲーネフの時代のロシア社会にはそんな知識人がたくさんいたようで、社会から必要とされない『余計者』として彼らを描いた。SNSの浸透で一億総批評家社会とも言えそうな電脳空間では、令和のルーヂンが今日も跋扈している、そんな気もする。まだ第1章しか読んでいないので、具体的な感想は書けないが、コメント欄などで大口たたいてる手合いを想像しながら読むとおもしろいかもしれない。

ポルトガル語:マシャード・ジ・アシス『ドン・カズムッホ』 Machado de Assis “Dom Casmurro”

ブラジル文学の傑作としても評価の高い作品、特に文学上の技法の点からいってかなり革新的で、いわゆる「信用できない語り手」が主人公。この小説は幼馴染に不倫された男の話なのだが、いったいどこまでが現実で、どこまでが主人公の妄想なのか、そのあたりを疑いながら読むことで、多様な解釈ができる。事実認識の段階から読者の間で解釈が分かれるようになっており、果たして妻は夫を裏切ったのか、裏切ってないのか、で論争になるほどらしい。この作品を読み始めてだいぶ経っていて、進度としては半分をちょうど過ぎたくらいだが、個人的にはもう一つハマらない感じで、苦しい読書にはなっている。でも後半から一気に面白くなる可能性もあるからもう少し粘って読んでみようと思う。


3、精聴

youtube 等の動画のなかから一つ選んで、その音声を徹底的に聞き込む勉強法。気持ちとしては動画全体を完コピするくらいまでやり込む。そのやり込み度からして、動画にはきちんとした字幕がついているのが望ましい。基本的には1フレーズずつ聴いていって、動画の話者と同じスピードで話せるようになるまで繰り返す。どうにもつっかかったり、ワンテンポ遅れてしまう場合、きちんと発音できていない箇所がある可能性が高い。いったん速度を落としてみるなどして、聞き取れていないところ、発音できていないところを突きとめる。自分がつまずいているところが分かったら、そのフレーズをYouglish というサイトで検索する。Youglish では自分が検索したフレーズをyoutubeの動画のなかから探してくれるので、そのフレーズが他の文脈でどのように用いられているかが分かる。聞き取れないフレーズでも、Youglishに提示された動画を10〜15くらい聴くと、だんだん聞き取れるようになってくることが多い。まさに自分の耳が上達した瞬間をここで味わえる。全体のフレーズを話者と同じスピードで言えるようになったら、スマホ等の自動音声認識機能で自分の発音を試してみる。何度やってもスクリプト通りに文字起こしされない場合は、発音が間違っている可能性が高いので、発音の仕方に気をつけて矯正を行う。そうは言っても機械の音声認識は目安に過ぎない(自分の母語だってきちんと認識されないことの方が多い)ので、あまり神経質になる必要はないが、同じ音がいつまでも認識されないようなら、その音を自分にとっての苦手音認定をして、集中的に発音矯正に取り組む。もちろん一朝一夕で発音はよくならないので、ことあるごとに発音に意識を向けてみる、という感じだ。自分はこの音が聞き取れないんだという認識で日々ターゲット言語を聞くだけでもだいぶ変わってくる。

現在フランス語の精聴で使用している動画。10年前のものだが、内容としても構成としても語彙の明快さとしても、そして日本語の訳の自然さとしても抜群によい動画。こういう動画としても教材としてもすぐれているものは少ない。

ドイツ語では生活リズムの話についての動画を精聴に使っている。朝型人間を「ヒバリ」夜型人間を「フクロウ」にたとえる。タイトルの直訳は「なぜ私たちは間違った時間に起きるのか?」

4、イマージョン

イマージョンとは、そのターゲット言語の環境に身を置いて言葉を習うことで、例えば現地で生活することもイマージョンだし、スマホの設定をターゲット言語に変えることもイマージョンと言えるかもしれない。これほど曖昧な言葉もなく、その混乱ぶりで一本の動画が作れてしまうくらいだ。


個人的には「机に向かって教科書や単語帳で勉強する」の対極としてこの語は用いられている印象がある。イマージョン(immersion)はもともと「浸すこと」という意味であり、いわゆる「英語のシャワー」を浴びるような大量のインプットを行うことが念頭にある。私としてはこのシャワーを浴びるイメージで、youtube 動画をイマージョン学習として捉えて学習に組み込んでいる。まずは具体的なやり方を記述する。


ipad のスクショ 左にLingQ、右にOneNote

私は主にipadで学習しているのだが、まず自分が学習に使いたい動画をLingQという有料学習プラットホームにインポートする。そうすると動画を文字に起こしたものが、テキストとしてLingQ内に現れる。LingQでは、新しい単語や一度チェックした単語を一覧で表示できるので、まずはその一覧を表示させて(左側の画像の右下)見たことある単語や新出単語をインプットする。文脈においてではなく、語単体でまず馴染んでおくようすれば、動画を見ていて全くの初見という語は無くなるので、分からない語が出てくるたびに動画を止めて辞書を引くという作業が減って、イマージョン(没入)しやすくなる。ipad の右側の画面にはOneNoteというメモ系のアプリを起動させて、動画のリンクを埋めこみ、そこで視聴する。youtube内で再生してもいいが、こうすると新しい表現や覚えておきたフレーズなどをすぐ下に書き込めるので便利だ。その他、辞書アプリなどはスワイプですぐに出せるようにsplitmodeにしておく。視聴のポイントとしては「なるべく動画を止めず、分からないところは想像で補う」ことで、どうしても気になるのであれば動画をとめて辞書に行ってもいいが、最大限自分の推測で内容の理解に努める。インプットの密度を最大化することがイマージョン学習の肝だからだ。

次に9月に視聴した動画で各言語ごとのおすすめチャンネルを紹介する。

ExpertlyGerman (ドイツ語)

ExpertlyGerman はトムさんが運営するyoutubeチャンネル。数あるドイツ語youtuber の一人だが、男性の語学 youtuber はけっこう珍しい。最近フォローしたばかりチャンネルだが、日常的な話題からドイツ語の語彙に特化した動画を多く投稿している。上の動画は出産・育児に関するドイツ語の紹介。「帝王切開」をドイツ語でなんというか? 答えは der Kaiserschnitt。 Kaiser 「皇帝」と Schnitt 「切ること」という語から成り立っているあたり、日本語の帝王切開はドイツ語からの直訳らしいが、調べてみると「ラテン語 sectio caesarea をドイツ語に訳す際に、caesarea (切開する)を誤ってローマの将軍カエサルと訳したことからとも、カエサルが帝王切開により誕生したことからともいう」(大辞林)とあったりして、語源的には曖昧なところもある。普通に文を読んでて「帝王切開」という言葉が出てきてもこういうふうに調べてみようと思わないだろうが、こうやって語にフォーカスする動画を見ることで、その語の周辺知識が増えていき、立体的にドイツ語、ひいては言葉そのものを広い視野で認識するきっかけにできる。

Piece of French (フランス語)

Piece of French はエルザさんが運営するyoutubeチャンネルで、フランス語学習者向けの動画を投稿している。上の動画は「なぜ私のフランス語しか理解できないのか?」フランス語を少しやると分かるのだが、学習者向けに話されるフランス語とネイティブが手加減なしで話すフランス語とでは、かなり違う印象を受ける。ガチのフランス語はただ単にスピードが速いというだけではなく、スクリプトと付き合わせて聞いていても音が消えているようにしか感じられない箇所が多い。この数ヶ月、このフランス語のリスニングに対しては絶望的な気持ちになっていたのだが、ネイティブのフランス語が聞き取れない原因は複合的であることがこの動画でよく分かった。この動画を見ただけで聞き取れるようになるわけではないが、どういう点に気をつけて聞けばいいかがクリアになり、この動画のおかげで長いこと躓きの石になっていたフランス語の聴解能力は一皮剥けた感じだ。エルザさんの声質は特徴があり、この艶っぽい美声を聞くのをいつも楽しみにしている。

The Daily Show (英語)


The Daily Show はアメリカの政治風刺コメディ番組。政界の動きを皮肉ったり、有名人をインタビューしたりしている。私はあまりアメリカ社会や文化に詳しくないのだが、そうでなくてもちゃんと笑える。上の動画は『サピエンス全史』などの著者であるユヴァル・ノア・ハラリ氏が新しい本(Nexus)を書いたということでその内容を話しているところ。正直、ハラリにこんなユーモアのセンスがあるとは思ってなかった。あるいは司会のジョーダンの手腕によるところが大きいのか。11月の大統領選挙までは、アメリカの時事はかなり盛り上がると思われるので、The Daily Show は引き続きおもしろいネタを提供してくれそうだ。大統領候補の「マクドナルドでの勤務経験」をネタにした回などは、ずっと笑い通しだった。マクドナルドが政治のネタになるあたりがいかにもアメリカらしい。

And yes, it is ridiculous that Trump is asking to see Kamala's burger certificate.

Дмитрий Колезев (ロシア語)

ドミートリーさんが運営するこのチャンネルではロシア国内外の政治や歴史を解説している。上の動画は「いかに外交員たちはロシアに影響をもたらしたかーリューリクからプーチンまで」で、ロシア外交史といったところ。ロシアの youtuber が出す動画は骨太のものが多く、情報量としては気軽に見られるものではないので覚悟がいるが、ピョートル一世の外交政策の功罪やプーシキンを始めとするロシアの文豪たちはだいたい外国に滞在した経歴があるなど、なかなか興味深い切り口で語られており、今までにない視点でロシア史を見ることができた。これ一本で解像度がぐんと上がったわけではないが、異文化を理解するのって結局こういう思いもよらなかった視点から物事を考えるってことを積み上げていくしかないような気もする。今のロシアが抱える西側諸国に対する複雑な感情もこういった歴史の延長線上にあると考えると、少し納得できる部分もあるかもしれない。

Portuguese with Leo(ポルトガル語)


Portuguese with Leo はレオさんによるポルトガル語やポルトガルの文化について発信しているチャンネル。レオさんはもともと観光ガイドとしてリスボンで働いていたが、コロナ禍によって産業が壊滅的な影響を受けたことがきっかけで、ポルトガルやポルトガル語について解説するチャンネルを開設し、現在に至っている。ポルトガルのポルトガル語を学びたいのなら押さえておくべきチャンネルだ。上の動画は、google でよく検索されているポルトガルに関する質問に答えていくもの。なかなか際どい質問が並んでいる(ポルトガルは貧しいの?ポルトガルはスペインに属しているの?等)が、ユーモラスに回答を返しており、ポルトガルについておもしろおかしく学ぶことできる。学習教材してもかなり有益だが、Quando é que Portugal ganhou o Mundial? という質問だけは禁句のようです。

まとめ

外国語を使って何をしたいかによるが、外国語を上達させたいならほんとにいろいろなことをしなければならない。とりあえず Duolingo やっとけばok、なんてことはなく、今の自分に必要だと思う勉強を自分が目標とする状態から逆算してするべきことを見積もらなければならない。私の場合は、原書を読んだり、海外のyoutuberの言っていることが理解したいので、外国語で読めるものと聴けるものをとにかく増やしたかった。結果としてインプット重視の学習スタイルになっている。2024年は新規でフランス語とドイツ語を実験的に同時に始め、早いものでもう四分の三年が過ぎてしまった。フランス語は前述のように聴解力が上がった感覚があり、どんなに早口のフランス語でも(まだ分かるわけではないが)絶望的な気持ちにはならなくなった。もともと文字として認識できる語彙力は膨大にあった(これはポルトガル語の知識のおかげだ)ので、それが音として結びついて爆発的に聞き取り能力が上がったのだと思う。それに比べるとドイツ語はちょっと停滞しており、文法的な知識はだいぶ固まって形容詞の変化とかも自然とできるようになってはきたが、やはり基本的な語彙不足が目立つ。ドイツ語が聞き取れないところは大抵その語彙を知らないことに起因しているので、めげずにせっせと語彙を積み上げていくしかないだろう。
本当はやってみたい学習法はもっといろいろある。ディクテーションとシャドーイングもまだやっていないし、作文や日記を使ったライティングの練習も一度やってみたい。お金があれば検定試験徹底対策とかもやってみたいし、AI相手の会話の練習方法とかも開発してみたい。ドイツ語の諺にあるように、Man lernt nie aus.「学ぶことに終わりなし」の状態だが、ひとまずは「ターゲット言語で書かれた原書が邦訳を参照せずに読めること」を最優先にして10月も学習を継続したいと思う。あとどのくらいやるつもりか、だって?とりあえず3年はやらないと効果も成果も失敗も成功もあったもんじゃないので、あと2年ちょっと(2026年末まで)は最低フランス語とドイツ語は継続したいかな…

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