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映画駄話#1 『ロッキー』シリーズ

ふと、何にもしっくり来ない時に
なんだか色んなことに意味を見出せなくなってしまい、ファジーな気持ちで過ごしたこの夏休みであった。何をしていたかと言えば、とにかく映画を観た。いまや最高の暇つぶし供給プラットフォームでのひとつであるAmazon Prime Videoからめぼしい作品をかたっぱしから観ていったなかに、『ロッキー』シリーズがあった。そう、映画好きを自称しながらも、これまでちゃんと通って来なかったのだ。なんとも恥ずかしい話である。

1作目の『ロッキー』を観終わったからこそ言いたいことがある。ここ日本におけるスタローンのパブリックイメージって、バラエティ番組のパロディ(例のラスト、「エイドリアーン!」のとこね)なんかのせいで、どこかネタ寄りに曲解して伝わってる気がする。
それと所謂「スポ根もの」が苦手だったために、表層的な先入観でボクシングを題材にした映画は自分に刺さらないとまで思っていた。これも今となっては情けない話である。フタを開けてみれば、なんという活力と暖かみに溢れたドラマではないか。

*ロッキーという男
世界中で語り尽くされた超メジャーなこのシリーズの中身について、今更用意する言葉もない訳だが、とにかくロッキーのキャラクターに一発で心惹かれた。亀や犬に話しかけ、ひとりの女を一途に愛する優しく繊細な男であり、語り口も朴訥としていてジョークが好きななんとも愛すべき男である。2で子供達と一緒にフィラデルフィア の街を走るロッキーが好きだ。3でソリッドに削ぎ落とされた肉体と獣の目を取り戻した「ver.2」のロッキーに惚れた。師と友の死を乗り越え、口数も減り、まるで修行僧のようなある種の不気味さをたたえたロッキーも最高にカッコいい。5やザ・ファイナルでは第一線を退いた姿が描かれるが、何をしていても、何を喋っても、これまでの生き様が滲み出てくるようで胸がギュッとなる。「ザ・ファイナル」ではまさかのカムバックという展開だが、それも彼の中に残っていた「獣」を追い出すために必要なプロセスだった訳で、自分の生き方に愚直な彼らしい終わり方だったように思う。

*「証明」の物語
すぐさま続けて『クリード チャンプを継ぐ男』を観た。終始胸を熱くする内容だったのは言うまでもないが、涙腺が崩壊したのは物語終盤。ロッキーが問いかけ、クリードが答えたあの言葉である。ロッキーの問いかけはかつての師、ミッキーに自身が投げられかけた言葉だった。この見事な円環に打ちのめされ、まるで自分にも同じことを訊かれているような気さえした。

いったい、自分は何を通じて何を証明したいのだろうか?いま、ずっとそんな事を自問自答している。

そう、オレはいま、だいぶ拗れているのだ。

[ロッキーやスタローンについてはまだ喋りたい気がするから、続く気がする]

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