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映画駄話#2 僅少な人生でオッサンが最期に発するスパーク

【この記事は、2015年に私が投稿した某ブログを転載・一部編集したものです】

少し前の話になるのだが、米ドラマの「ブレイキング・バッド」全シーズンを観た。最初はブラックユーモア風で笑えるのだけれども、どんどん救いのない展開でとことん悲惨な方向に進んでいく運命に翻弄される人々の姿に完全にヤラれてしまい、貪る様にしてTSUTAYAに通った久々のドラマ。
(個人的には「バーン・ノーティス」以来)

それと殆ど時期を同じくして今更ながら観たのが、言わずもがなの黒澤明監督の名作「生きる」。

両方観たことがある人にならすぐわかると思うが、両作品には「うだつのあがらない中年(壮年)の男性が癌と診断され余命僅かだと知る」という共通項があることに気付いた。

そこで、2人の主人公はそれぞれどんな行動をとっていくか。志村喬演じる「生きる」の渡辺さんは、色々なしがらみを持つ公務員としてとある仕事を全うしようと奮闘し、ブライアン・クランストン演じる「ブレイキング・バッド」のホワイト先生は優秀な科学者としてのスキルを生かしドラッグマフィアとしてのキャリアを積んでいく。

※全くの余談だが、この俳優2人は日米を代表するゴジラ俳優である。

どちらも最初の登場はパッとしない、どこにでも居そうなオッサンである。前者は善行、後者は悪行と全く正反対の行いをするのだけれども、案外本人達が感じていることは同じなのではないかと強く感じたのである。具体的に書いているとキリがないので要点だけにすると、これら2つの物語は善悪関係なく「自分は生きている」という感覚を必死につかみとろうとした残り僅かな時間の記録だったのではないか。ホワイト先生は最後の最後でそんなセリフを自ら残したし、渡辺さんの場合は生きていながら冒頭に「この男は死んでいる」とナレーションされてしまってるしわざわざ説明しなくてもわかりきっていることなんだろうけど。

「ブレイキング~」はそんな小難しいこと抜きにエンタメとして楽しめるし、同時に現代アメリカの深刻な社会問題を痛烈に描写している一筋縄ではいかない強烈なドラマ。逆に「生きる」は古い映画ということもあり、現代の感覚で観るにはしんどい部分もどうやらあるらしい。自分は凄く感動したのだが・・・・

このまとめ↓なんかでは、主に公務員批判としての要素にフォーカスしてあまり良い評価をしていないと読めたけれども、このあたりはどちらかというと役所というわかりやすい舞台をデフォルメチックに用意しただけで本質はそこにないと個人的には思った。どちらかというと生き方とか死生観で考えるべき作品なのでは?

こっちの記事のほうが個人的にはしっくりきた。説教くさいといわれればそこまでだけれど、他にこの映画で楽しむべきは、志村喬や千秋実をはじめとした名優達の愛すべきキャラクター描写だと思う。

いずれにしても考えさせられたのは、人間、いつ死ぬかわからない。そんな不確かな時間をすごす中で、果たして自分はどれくらい「生きている」感覚を味わっているだろうか、そしてそれはどんなときなのかということを、自身でしっかりと分かっておくこと。そしてそれを絶えず実践していきたいなということ。死んだような感覚で毎日を生きていているならば、
それは実にもったいないということだ。

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