秋田五城目鍛治。

「ちょっと待ってな。おめさんにやるがね」 

木でできた古い道具箱を漁る男は 
限定解除の試験場で知り合った。 

大工を職業にしていたその男は 
どこかの家の納屋を建て替える時 
出てきた鉈(ナタ)をもらってきた。 

野宿を始めたばかりの俺に 
その鉈をくれるらしい。 

「あったあった!今、刃付けてくるわ」 

まっ赤に錆びたその鉈に刃を付けるため 
グラインダーを回す。 

グラインダーからドラゴン花火のような 
火花が散らかる。 

荒削りに付けられた刃だけが 
ピカピカに光る鉈をその日もらった。 

その鉈はずいぶん長い間いろいろな用途に 
使われていたようで、みねの部分はかなづちで打たれたのか 
デコボコだった。 

柄のカシメはぶっ飛んでいて、釘を通して 
押さえてるだけでカタカタしていた。 

しかし見かけとは裏腹に切れ味はとても良く 
重さもあってなんでもぶった切ることができた。 

枝を払い、薪を割り、ワイヤーを断ち、 
鎖までもぶった切る。 

野宿の時はいつもサイドバッグに 
入れていた。 







「ここ、いいですか?」 

800km走り、関西のバイカーズミーティング会場にたどり着いたら 
もうすでにテントでいっぱいだった。 

「ああ、ええよ」 

大阪から来たその男は場所取りで仲間よりひと足早く 
サイトに来て、ブルーシートに寝転んでいた。 

テントを張り、切り株に鉈をくっ立てる。 

「ちょ、兄ぃやん、そら危ないわ!」 

「なかなか便利だよ」 

クーラーボックスの中から道中で買った冷たいビールを差し出す。 

「新潟のフロストブルーです。今夜はよろしく」 

その男とはすぐに打ち解け、楽しい夜が始まった 

男の友人も次々に到着して、 
男たちが持ち込んだたくさんのご馳走を皆でつついた。 

「兄ぃやん、ナタ持っとるから「ナタ兄ぃ」や!」 

それ以来、関西以南で「ナタ兄ぃ」と呼ばれている。 






その鉈は鞘がなかった。 
いつもむき出しのままベルトに挟んでいた。 
そのうちベルトが切れてきた。 

その年のシーズン最初の野宿は山形の油戸漁港だった。 
日没前、ぶらぶらと海岸を散歩して 
浜辺に流れ着いたウレタンの板を拾った。 

その夜、テントの中でそのウレタンを折り曲げ 
ガムテープでグルグル巻きにして鞘を作った。 

危なくなくなったがでかい鞘のため 
ベルトに挟むことはできなくなってしまった。 




仕事帰りにアウトドアショップに立ち寄る。 

ショーケースの中に格好のいい革の鞘に収まった鉈があった。 
手にとってみたらなかなかいい。 

(ベルトに通すループもあるし、鉈も入れ替えだな) 

そう思い新しい鉈を手に入れた。 




5月は十和田。 
当時はそう決めていた。 

ゴールデンウィークで3,000km走り、 
5月は結局6,000km走る。 

真新しい鉈を腰に下げ十和田に向う。 

明るいうちに薪を広い、夜の準備をする。 

ビールを1本飲み終えたところで薪に向かって鉈を振り下ろす。 

ところがまったくと言っていいほど刃が立たなかった。 
何度も何度もやってみるが、思った通りに割れなかった。 

あのボロく、まっ赤に錆びた何でもぶった切る鉈が懐かしくなった。 

それから新しい鉈を使うことはなく 
コンテナに入れっぱなしになった。 




出張の帰りにSAに立ち寄ると、 
耳障りなアナンスが延々と繰り返されていた。 

「4月1日より高速道路利用料金は通常に戻りますのでご注意ください」 

スタンドの袖看板の3ケタの数字は日に日に上がっていく。 
ガソリン代の高騰は留まる所を知らない。 

(今季は宿代削って野宿で行くか) 




野宿道具の入ったボックスから「ぶった切れるほうの鉈」を取り出す。 

ガタついた柄は酷使しただけありヒビが入っていたが、 
樫の木で作られたその柄はとても気に入っていた。 

いつか来るであろう「この日」のために、何軒かの鍛冶屋のHPを 
ブックマークしていた。 

そのうちの一軒「秋田五城目町鍛冶」 

ブログに書かれた道具に対する誠実さを感じ、 
メールを打ち、鉈を送る。 

鍛冶屋からの返信で、割れた柄の交換は以前と同じ 
同じ樫材を使ってくれるとのことだった。 

またコミ(柄にささる部分)は現状より 
柄の角度がついていたらしく、 
前の持ち主が仕様を変更したのか、 
それとも素人修理により角度を間違ってしまったのか。 

見たところ後者のように思えたのでコミの角度に合わせ 
本来の姿に戻してもらうことにして、 
鞘はベルトを通す穴を発注した。 

数日して最後の仕上げに入ったとメールが届く。 

この鉈はいったいどこから来たものなのか。 

素性を知りたくなった。 



鍛冶屋にメールを打つとしばらくして返信があった。 

刻印は「善之助(花押)」「安来鋼(やすきはがね)」 

新潟は三条の日野浦刃物製。 
稲善商店から善之助銘で出たもの。 

鋼材は安来鋼と刻印があるので、 
おそらく「黄紙2号」または「黄紙3号」。 

硬度よりも欠けにくさを優先した角鉈。 

切れ味からそのへんの鉈とは違うと思っていたが 
明治創業の由緒ある鍛冶屋が作ったものだった。 



宅急便の箱を開けるとそこにはみちがえる鉈が顔を出す。 

間違いなく自分の寿命尽きるまで使える。 

甦った鉈を手に取り思う。 





2012年 

秋田五城目町鍛冶で甦ったこの鉈は 

枝を払い 

薪を割り 

ワイヤーを断ち 

鎖はもとより 

この世の憂いに、日常のしがらみまでもぶった切る。

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