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The Another Friend

・虹ノ咲だいあは電車に乗っていた。

もう一人のだいあの事、ダイヤモンドアイドルの事、みらいの事。考えることはたくさんある。不安はある。けれど今の生活に不満はない。これは少なくとも秘密を打ち明けるより前にはなかった爽快感だ。何しろ、かつての自分は大好きなあの人の事でさえまともに視線を合わせることすら出来なかったのだから。

「……もうこんな時間」

今日は残念ながらプリチャンアイドルとしての活動は出来なかった。デザイナーズ10の会議があったからだ。デザイナーズ1の一色カレンからは毎週出なくてもいいと言われてはいるものの生来の真面目さから欠席することに躊躇いがちになり、出席している。

「あれ?」

終点で降りる快速電車。やけに人気が少ない気がした。この時間なら満員とまではいかなくとももう少し人がいてもいいはずだ。だが気持ちが悪いほどに人がいない。

電車が駅に停車する。ここを超えたらあとは2駅しか止まらない。いつもならここで大量に人がやってきて超満員の1時間が始まる。

「……」

しかしやはり人の姿はない。いや、正確に言えばひとつだけ……。

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(……メイドさんだ)

くたびれた様子のメイドが入ってきた。同時に電車のドアは閉まり、再び定期的な振動が体を揺らす。

(……綺麗なピンク色の髪。みらいちゃんみたい)

感想を抱く。奇抜なのはメイド服の方であろうにどうしてもそちらに先に目が行ってしまう。同時に、

(……何だか不自然な色。合成着色? ううん。まるでだいあみたいな感じ……)

その桃色の髪をつい凝視してしまう。すると、目が合った。

「す、すみません……」

小声で謝り、視線を外す。するとメイドは自分と向かい合う形で席に座る。こうして沈黙の空間が始まり、続いているとまるで世界には自分達しかいない、それ以外は作り物のジオラマなのではないかとそんな違和感が訪れる。

(……疲れてるのかな。でも、綺麗なピンク。今度作るコーデはあの色を使ってみようかな?)

いけないと思いつつまた視線は前方の桃色へと注がれる。よく見れば小さく髪を結ってある。それもまたみらいを彷彿とさせる。別段珍しい髪形でもないのだが、これはもはや性癖だろう。

夜の闇が混ざりつつある独特な夕陽の色に焼かれていく街並みが窓の外に見える。綺麗だと思う反面どこか不安や恐怖を催すノスタルジックな感覚が胸やけに近い形で五感を襲う。

(……ん、)

ポケットの中に入ったジュエルパレットが振動する。誰かフォロワーで配信が始まったのだろうか。会議中からマナーモードにしていたためもしかしたら誰かから連絡があったのかもしれない。そう思ってパレットを開いた。

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「……だいあ……!?」

画面にはすっかり姿が変わってしまった電子の親友の姿があった。マナーモードの影響かだいあは何か言いたそうに口を開閉しているがしかし声は聞こえない。

電車の中で迷惑になるかもしれないがしかしこのだいあと話せる機会はあまりない。少量だがマナーモードを解除してだいあの声を聴いてみることにした。

「……だいあ?どうしたの?」

「だいあ……!気を付けて……!!そいつは……!!」

しかし、そこでだいあの姿は消えてしまった。ジュエルパレットの電池が切れてしまったようだ。昨晩しっかりと充電していたが学校と会議とでバッテリーが消耗してしまっていたのだろう。

(……だいあ、なにが言いたかったの?そいつって?)

思い当たる節は一つしかない。正面に座る桃色メイドだけだ。

正面を見る。メイドの視線はどこを見ているのかわからなかった。かつての自分のように前髪で目線を隠しているのもある。確かにどこか怪しい雰囲気もあるがしかしそれだけで何か不穏な感想を抱いてしまうのはあまりに失礼だ。

ただ、夕暮れで疲労が溜まる週末で前髪で目線を隠したメイド服の女性だけが近くに座っているというだけの話だ。

ところが、

「……これでやっと……」

「え?」

メイドは口を開いた。立ち上がった。電車の揺れを全くものともせずに軽やかな、しかしどこかぎこちない足取りでこちらに歩み寄ってきた。

「あ、あの……?」

「虹ノ咲だいあ……」

「え……?」

自分を知っているようだ。しかしそれも実はそこまで不思議な話でもない。自分で言うのもなんだが年末に史上最年少でデザイナーズ10入りを果たした人物であるという事で業界では有名人になったのだ。あれからそこまで時間も経っていないのだから自分を知っていてもおかしくはない。

「あなたは……」

質問の言葉。放つ唇をメイドの指がふさいだ。

「!?」

「何も喋らなくていいよ。僕は君の事なら何でも知ってる。虹ノ咲だいあ、桃山みらいが大好きで仕方がないミルキーレインボーのデザイナーズ10……」

メイドの顔が近くなる。そこで初めて気付いたがこのメイド、顔が自分にそっくりだった。自分と同じ顔をしただいあを見慣れているからかすぐにわかった。しかしバーチャルで生み出した人工的な存在であるだいあと違い、このメイドは現実の存在のはずだ。なら同じ顔と言うのはあり得ない筈だ。だが、現実に目の前のメイドは自分と同じ顔をしている。

「僕はね……桃山みらいちゃんが大嫌いなんだよ。君の事も嫌いさ。だからこれから僕は桃山みらいちゃんのところに行こうと思ってるんだよ」

「……みらいちゃんにどうする気……?」

「犯す」

「…………え?」

「レイプするんだよ。レイプ。中学生なら知ってるでしょ?無理やりセックスするの。気持ちよくなんてしてあげないよ。あの可愛いお顔を何度も何度も殴るの。殴りながら犯すの。無理やり子供も産ませるの。中学校は中退しなきゃいけないし、ときめきのピンクジュエルだっけ?そのジュエルの輝きをこの手で奪えるんだ。……ぞくぞくするでしょ?」

「……な……んで……」

「桃山みらいちゃんが嫌いだから。でもずっと僕の傍に置いておきたいんだ。一生僕の手で苛め抜いてあげるんだ。何人も何人も子供を作って、その子供の相手までさせて。心の底から骨の髄までその輝きを奪いつくす。当然だよね?友情って友達のためにあるんでしょ?で、虹ノ咲だいあにとって桃山みらいは友達。虹ノ咲だいあが喜ぶためなら桃山みらいの人生がどうなっても別にいいじゃん?」

「……あなた……」

思考がまとまらないのは疲労のせいなんかじゃないだろう。今自分が対峙している相手はまともじゃない。恐らく虹ノ咲だいあの人生で最悪級の出会いだ。そしてデザイナーとしてでもアイドルとしてでもない。人間としての本能が、自分が虹ノ咲だいあとして生きてきた全ての直感が告げている。この相手は絶対に自分の人生を狂わせ、否定する最悪の存在であると。

「でも、まずは君からひどい目に遭ってもらおうと思うんだ。だって例えば君を今から手足切り落として達磨にして脅迫すれば桃山みらいちゃんは躊躇いなく僕に身をささげてくれると思うんだよ。それって友情じゃん?」

メイドの指がこちらの腕をがっちりと掴む。爪が肉に食い込み、血が滲み始めてくる。握力と爪だけでも本当に腕をもぎ取られそうな気がする。

純然たる暴力に対する恐怖。理解できないものに対する恐怖。そして、それを与えてくるものでありながらまるで縋るようにこちらの腕をがっつりと掴む矛盾の恐怖が心臓をがっちりと掴んでいる。この腕を死んでも離しそうにないのは間違いないだろう。だが離してしまえば向こうは死んでしまうかのような妙な心細さも感じていた。

(……そうだ。この人……目が見えないんだ)

ここまで顔が近づいているのに視線が合わないのは相手が狂人だからじゃない。盲人だからだ。だからこの手を離してしまったら相手は自分を追えなくなるのではないか。

そう感じた時にはすでに動いていた。今まで生きてきた中で最大の力で相手を振り払い、虹ノ咲だいあは走り出した。この時間だ。たまたまこの号車に人がいなかっただけで他の号車には誰かいるだろう。その人の手を借りよう。

「……逃げても無駄だよ……?僕は、君と桃山みらいの場所だけは分かるんだから……」

扉を開けて隣の号車に移る際に一度だけ振り返った。相手はまるでゾンビのようにたどたどしくこちらに向かって歩いて来ていた。確かに速くはない。だが油断していい遅さでもない。だからそれ以上は一度も振り返らなかった。

「はあ……はあ……」

走った。揺れる電車の中をひたすら全速力で走った。体中を流れ走る汗はじっとりとして気持ちが悪い。口からこぼれる吐息は疲労だけじゃない、確実な恐怖の色も混ざっていた。虹ノ咲だいあは今、全力で逃げていた。

「……はあ……はあ……!!」

やがて、電車は止まった。駅に着いたのだ。降りよう。そう思って開いたドアを見ると大量のサラリーマンが入ってきた。

「あれ……?」

サラリーマンたち、たまに主婦やランドセルを背負った子供、さらには自分と同い年くらいの少女まで当たり前のように電車の中に入ってきた。満員電車だ。これでは逃げようはない。しかし、逆に相手もこちらを追っては来れないだろう。安心と不安と恐怖と希望的観測が心をめぐる。

そのまま電車は出発した。汗びっしょりできょろきょろしながら尋常ではないほど息を荒くしている自分の姿は周囲の目を引いた。それに対して徐々に徐々に羞恥心を感じ、冷静になる頃には目的地である終点に到達した。

「あれ?虹ノ咲さん?」

電車から降りる。すると、同じ電車に乗っていたのかホームでみらいと遭遇した。

「どうしたの?すっごい汗びっしょりだけど」

「みらいちゃん……!!」

一瞬の躊躇はあった。だが、それも安心感に吹っ飛ばされた。気が付けばみらいに抱き着いていた。驚きの反応を示す相手も今は気にならない。やっと、心が落ち着ける。そう心が判断した時、訳も分からないままやっと目から涙は零れてきた。

ホームのベンチで座る事15分ほど。やっと落ち着いたところでみらいに事情を話した。

「わたし……怖かった。怖い人に追いかけられたことだけじゃないの。あの人、もしかしたらわたしがなっていたかもしれない存在だったから」

「どういうこと?」

「もしもわたしが男の子で、デザイナーを目指していたのに目が見えなくなって、それでもみらいちゃんが傍にいてくれたら……って」

あそこまで危険な形にはならないだろうがそれでも平常でもいられないだろう。それこそ場合によってはみらいを襲う可能性はあるかもしれない。虐待などはしないかもしれないがそれでもずっと自分の傍に置きたくなるかもしれない。

「わたしも、ずっとデザイナーズ10だってこと話せずにいた頃は勝手に孤独を感じて勝手に絶望を感じていたから。あのクリスマスの頃なんかどうにでもなっちゃえってそこまで心のどこかで思っていたかもしれない。だからもしもそれが……」

「こんな風に?」

「え?」

隣を見る。

赤い何かが見える。

見慣れた顔がある……二つ。狂ったような笑顔と何も映していない瞳。

赤い何かが見える。

「虹ノ咲だいあにゴールなんていらない。ずっとスタートしないでいいんだよ……?」

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「……っ!!」

目を開ける。そこは駅のホーム。それもさっきまでいた駅じゃない。デザイナーズ10の会議所からの最寄り駅のホームだった。

「……夢……?」

慌ててジュエルパレットを見る。時間もやはり会議が終わってすぐの頃合いだった。そもそもバッテリーもまだ残っている。ゆっくりと確かめるようにデザインパレットの方も確認してみる。そちらは相変わらず留守と表示されていた。

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「……本当に夢だったんだ……」

大きなため息をつく。少し下品かもしれないほどに安心感をあらわにする。既に感覚は現実のものに戻っている。恐怖の感情は過去になっていた。

「……本当に良かった。……でも、わたし、すごく幸せ者なのかも……。あんなことにならないでも、もしもクリスマス前までのままだったらわたしは一生アイドルとしてみらいちゃんと同じステージに立つ事なんて出来なかっただろうから……」

電車が来た。今度はちゃんと何人か人が乗っていた。だから安心して足を踏み入れた。明日またみんなと出会うために。




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