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#42.車を持たないことにする

車、いつか必要になるかもとドキドキしながら暮らしてきましたが、ゼロウェイストを志し、今後も持たないと決めました。

わたしが普通自動車免許をとったのは、大学時代。
しばらくは実家の車を乗り回していましたが、就職して都会に越してからは完全に身分証代わりでした。
移動は電車が確実で便利、バスにすら乗らない日々。周囲にも車を所有している人は少なく、持っていても普段使いというよりは週末のお出かけ用というかんじ。

そして実家の近くに戻り住み、子どもが二人産まれた今も、まだ車は持っていません。車通勤できる職場なのに、雨の日も自転車で子どもを送り迎えしているのには理由があります。それは、夫が免許をもっていないから。
免許はあったほうがよかろうと自動車学校に通ったにも関わらず、どうにも実技で受からない。車の免許、取れない人もいるんだと、率直に驚きました。
高い教習代も無駄になりましたが本人はどこ吹く風。どうも初めから適性がないとわかっていたようです。

注意力のない夫がいやいや運転して事故でも起こったらたいへんと、わたしもすっかり諦めました。
で、もし車を買ったら、どこに行くにもわたしが運転しなくてはならないわけです。わたしは運転するのは比較的好きですが、方向音痴で道を覚えられません。
自力で運転しようとすると、渋滞だの道を間違えただの満車だのナビの到着予定時刻がどんどん遅れていくことだの、なんだか便利よりもいらいらすることの方が多かったような気がします。運転以外に何もできない時間が、刻々と過ぎていくのがもったいない。個室感覚でおしゃべりでき、渋滞すら楽しめる人とのドライブならよいのですが、いつもそうは言っていられません。
そして、これまで車を持たずにきた一番の理由は、経済的であること。
経済力の低い我が家が暮らせているのは、車をもたない恩恵が多分にあります。

それでも気持ちの落としどころにはずっともやもやしてきました。
車でショッピングモールに行く妹家族がうらやましくなったり(我が家はショッピングモールに用事などないのに)、どしゃぶり雨の日、子どもを乗せて無残なレインコート姿で必死に自転車を漕いでいる時、誰にも会いませんようにとうつむいたり。
子どももたまに実家の車に乗せてもらうと、ブーブ早いねー楽しいねーとうれしそう。わたしが子どもの頃はどこに行くにも車だったのに、我が子は車がなくては行けない山やキャンプなどに連れて行けず、機会を損失させているのではと思うこともありました。

わたしは、車をもたないのは経済的と自分に言い聞かせつつ、実際には現代家族の必需品(に見えるもの)をもっていないことに、引け目を感じていたのだと思います。

しかしゼロウェイストに出会い生まれ変わってから、巨大な資源のかたまり、きれいさっぱり欲しくなくなっていることに気がつきました。
さまざまな事情で車が必要な人がいるので、貴重な資源はそちらに回ってもらって、なしで済ませられる我が家がわざわざ余分な消費せずともいいやという気持ちです。そりゃわたしも不便だと思うことはあるけれど、これが合理的な選択だよね、と。

これもゼロウェイストの魔法でしょうか。
節約だ時短だコスパだと自分のことだけ考えていると追っかけているつもりで追いつめられますが、地球の共有財産である資源を消費しない、環境に負荷をかけないと考えると、たいていの不便が超越できます。
(わたしは環境活動家というわけではなく、どちらかというと合理的な選択をするのがとても好きなのだと思います)

できるだけ徒歩か電動自転車で移動し、大雨の日や子どもの通院など、やむを得ないときには無理せずタクシーを呼ぶ。
この辺りが、わたしのバランス。

たんにゼロウェイストという大義名分を手に入れて自己正当化しているように思えることもあるのですが、ただでさえ画一的な私の考えを、地球規模に広げてゆくのは爽快です。
暮らしというとつい自分のことだけに囚われがち。わたしの中のバランス、家族とのバランス、地球とのバランス…と右往左往しながら探っていこうと思います。

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