ライブ会場に集まるファンの「リフレッシュ」と「エキサイティング」と。
好きなアーティストの応援の仕方って色々あるよね。
私は「筋肉少女帯」というロックバンドが好きでライブにも何回か行った事がある。
正確に言うと、筋肉少女帯のボーカルである「大槻ケンヂ」さんが大好きで、自身の名前「九条ゼロレンヂ」の”ヂ”の部分は大槻氏リスペクトでチに点々にしている。
今回は、以前「筋肉少女帯のファンクラブに入っていた」という話。
私はこれまで筋少のファンクラブに入っていたのだが、年一回の更新するタイミングで今年は更新しなかった。ただそれは、筋肉少女帯への熱が冷めたからではない。
ファンクラブ経由でライブチケットを購入すると「ライブ会場で最前列の席をゲットできる」だとか、多くのファンにとっては嬉しい側面があるのだが、いかんせん私にはこれが合わなかったのだ。
以前、とある回の最前列のチケットを手に入れる事ができた私は、日常の喧騒を忘れたくてライブ会場に足を伸ばした。ライブ自体は楽しかったし、不満な所がある訳ではなかったのだが、気になったのは自分と同じ最前列にいた他のファンの方々の姿。
私は「リフレッシュしたいなぁ」という気持ちでライブ会場に足を運んだので、ほとんど普段と変わらない服装で最前列にいた。(一応、ライブTシャツは着ていた気がする)
その一方でライブ会場の最前列にいるようなファンは全身バッチバチに筋肉少女帯グッズで固めて「エキサイティングしたい!」を目的にしている方々ばかりだったのだ。
無論、楽しみ方は人それぞれなので特に何かを言いたいとかは無い。
むしろ元気に楽しんでいるその姿はファンの鑑なのかもしれない。
ただ、私の視点では「ライブに来たファン同士としての温度感の差」が、どうにも気になってしまったのだ。
元々ファンクラブに入った理由は、コロナ禍で困っている筋肉少女帯の活動を助けたいという思いからだった。
いつだったか、何かのラジオ番組で大槻ケンヂさんが「ライブが次々と中止になっていて、スタッフへの賃金の支払いも大変になってきている」という話をしていた。
それならば僅かながらでも足しにして欲しいという思いからファンクラブの年会費を払い始めたのだが、今年の下半期の世間はもうコロナ禍アフターといった様相で、色んなアーティストのライブも声出しありで行われているようだ。
私はまた機会があれば筋肉少女帯のライブに行きたいとは思うが、最前列のような良いチケットはエキサイティングしたいファンが入手した方が良いと思った。私には「後ろの方の席でひっそりと楽しむ」ぐらいが丁度良い。
また、コロナ禍期間を乗り越えたのであれば、元々ファンクラブに加入した時の思いは達せられたようにも感じた。
そういった思いから今年はファンクラブの年会費を払わなかったのだ。
リフレッシュしたいファンと、エキサイティングしたいファンと。
好きなアーティストと、その人にあった距離感で付き合っていけると良いですよね。今夜は部屋着にした筋少のパーカーに身を包んで、こんな記事を書いております。
追記:この記事を書いた翌日の話。筋少パーカーを着たまま近所のコンビニに行ったら、レジ打ちのお姉さんがパーカーのロゴに反応してくれた。
時間にすればほんの十数秒の会話だったと思うが、まさかコンビニのお姉さんとこんな会話ができるとは思ってなかったので筋少ファンとしてはなんだか嬉しかった。
自分が大槻ケンヂ氏を認識したのは「人として軸がぶれている」(2007年8月発売)という楽曲がきっかけだったので、筋肉少女帯を聞き始めたのは2008年頃だった気がする。
筋肉少女帯の再結成宣言が2006年7月だったようなので私がリアルタイムで知っている筋肉少女帯は再結成した後からなのだが、上の世代にはやはり認知度が高いロックバンドなのかもしれない。
時折、トーク番組やラジオ番組で大槻ケンヂ氏が90年代のバンドブームの話(イカ天の話等)をしているが、私からしてみると神話の時代の話に聞こえる。もはや、歴史の授業である。
コンビニのお姉さんはそんな時代をリアルタイムで過ごした世代なのだろう。これをきっかけに再結成した後の筋肉少女帯の楽曲を聞いてみてくれると、現代筋肉少女帯のファンのひとりとしてはとても嬉しいと思った。
小さくも素敵な出会いに感謝します。
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