嘘の日記「佇む」

中学一年の夏のこと。知人の別荘へ何泊か遊びに行った。標高が高く、多湿で、真夏でも肌寒い別荘地だった。針葉樹が天を刺すように立ち並び、私有地を囲う深緑に苔むした石塀やその奥の小径を様々なキノコや植物が控えめに彩っていた。近所には古い教会なども建っており、私はこの地が大好きだった。

そこを訪れて二日目の朝方、私は借りた赤い自転車のかごにカメラを入れて、ひぐらしの鳴き始めた別荘地をゆっくりと巡っていた。辺りは靄が立ち込めて、まるで御伽噺の世界に入り込んだようだった。厳かに並ぶ針葉樹の隙間から、古式ゆかしい洋風建築がちらちらと見える。私はお気に入りの建物をいくつか周ろうと、のんびり漕いでいった。あらかた巡ってふと、舗装されていない脇道の奥に、古い和洋折衷の館があるのを見つけた。木造で丸太を縦に並べて作られた玄関の脇にバルコニーが付いた、窓の多い家だった。だいぶ年季が入っているようで、バルコニーも屋根もやや朽ちた感じの色合いである。窓は古民家や記念館によくある、向こう側が陽炎のように揺らぐ、古いガラスが使われているようだ。電気はついておらず、どの窓にも垢じみたレースのカーテンがしんと下がっていた。

廃墟好きの私はこの建物に強く惹きつけられ、自転車を止めて、カメラを手にその周りを歩いてみた。一周する手前、バルコニーの脇を通る瞬間、私はぎくりと固まってしまった。カーテンの奥に人影がある。見間違いかと思い何度か瞬きをしたが、人影は消えることなくカーテンの奥に佇んでいた。
朝っぱらから怒られては堪らない。ゆっくりと木の影に身を隠しながら、私は目を凝らしてその人を観察した。アイボリー色のリブニットを着た、初老の男だった。カーテンを透かして、何を見ているのだろうか。男は両手をだらりと下げて、じっと立っている。表情はわからない。
なんだか胃が冷えるような不気味な心地がしてきて、一刻も早く帰りたくなった。自転車は陽が高くなってから取りに行くことにして、私はゆっくりと後退り、小径に出ると走って帰った。
肩で息をしながら帰り着くと、ちょうど別荘の主がバルコニーに出てきて、煙草を吸うところだった。汗だくの私を見て主が寄ってきたので、古い家のこと、窓辺に佇む初老の男のこと、自転車を置いてきてしまったことを話した。すると、あそこに人は住んでないよという。もう20年ほど前に持ち主に売られて、買い手もついていないらしい。嘘をつくような人ではないので、私は心底怖くなって、しばらく別荘地をひとりで歩けなくなった。
自転車は主が気を遣って捕りに行ってくれた。あの初老の男は何だったのか、そして何を見ていたのか今でも分からない。朝靄が見せた幻だったのかもしれない。また夏が来る。私の記憶の別荘に、男はまだ、カーテンの奥でじっと佇んでいる。

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