偽の日記「喫茶ロッソ」

土曜日
快速か各停かどっちに乗ろうと迷っていたら電車を3本逃した。
彼女も僕が時間にルーズだと分かりきってるし、別にいいや。こんなことばっかりしてるから時間の浪費がやめられないんだと思う。

結局快速に乗った僕は町田駅に着いたところで約束のキャンセルのメールに気づいた。時間にルーズすぎたか?
ただ、彼女がめんどくさくなっただけだった。彼女も彼女でかなり雑な性格。だから、こうやって気楽に付き合えるのかもしれない。

目的を失った電車は新百合ヶ丘駅を超えて、終点にひた走る。
よく考えると電車とかいう時速何十キロで走り回る巨大な鉄塊は怖すぎる。腕を蚊に食われた。
7月の暑さじゃない。地獄の地獄だ。

目的はどうやったら見つかるのだろう。
僕は20代前半のころからずっと探している気がする。気がしているだけなのかもしれない。
30手前になった今日も相変わらず見つけられていない。

彼女は水族館のスタッフだ。
肉体労働の日々で給料もそんなに良くないけど、毎日楽しそうに生活している。この間、釣りで珍しい魚(海のパンダ)を釣り上げた時は子どものようにはしゃいでいた。
そして、彼女のイルカショーは子どもたちに夢を与えている。

僕はと言うと、平日は朝から晩までディスクに齧り付くように働いて、仕事以外の日はSNSを無表情で更新しているだけ。
そんな頻繁に更新しても何も変わらないのにしてしまう。来るはずもない郵便受けをこまめに確認している気分だ。
同期は少なくとも僕よりは充実した日々を送っている。スクロール。

時間にルーズだけが特徴の僕は目的を失った電車と下北沢駅をすぎた。
昔は新百合ヶ丘と下北沢までノンストップで楽しかったのになぁ…なんてしょうもないことを考え、どこで降りればいいのかわからなくなった僕はとりあえず新宿まで行くことにした。

新宿駅、いつ来ても人まみれ。あとみんな殺気立って怖い。
目的がない僕はテキトーに色んな路線のホームに行くことにした。
仕事で使うことはあるけどそこまで気にしたことがない電車。
矢継ぎ早にされるアナウンスを聞いていると初めて迷子になったときのことを思い出した。

何故だろう。あの頃の記憶と今の記憶が一致した。
新宿は出よう。仕事のことを思い出してしまう。

何となく乗った電車でしばらく走っていると寝てしまった。
起きた頃にはどこのどこだか全く分からない駅に着いていた。とりあえず降りよう。
あ、僕の特徴もう一つあった。散歩が凄い好き。

どうせやることも無いし知らない土地を散策することにした。田舎という程でもないが都会でもない。無機質に陳列するアパートとコンクリの川が異様に落ち着く。
そんなキッチリした空間を30分ほど歩いていたら突然、古臭い建物が現れた。

「喫茶 ロッソ」
と書かれた赤い看板が目立つ。無機質空間とこの(ほぼ廃墟だが)情緒溢れてそうな建物のコントラストが風邪をひいたときの夢みたいでちょっと気味悪い。
傍から見ればただの迷子、ダメ人間の僕。
ここは一つ勇気を出してドアを開けよう!

「いらっしゃい」

尻もちつくかと思った。失礼だが本当にやっているとは思わなかった。いや、やってなかったら不法侵入になるし、いてよかったのか!?
店には少し茶色い(元からその色なのか…?)エプロンをしたおじいさんがいた。

とりあえず、会釈だけして席に座ろう。
ほぼ廃墟の喫茶ロッソは本当に営業しているのだろう。実はもう廃業していて、迷子の僕がたまたま迷い込んでしまったのか。変なことばっかり考えてしまう。

「ご注文はお決まりでしょうか?」
「アッ、じゃあコーヒーとフレンチトーストで」
「はい、ありがと」
あれ、いきなり感謝された。おじいさんは笑顔でキッチンへと消えた。
姿勢はキッチリしているけどかなりの年齢だと思うおじいさんが一人でやっているのかな。

間もなくするとコーヒーとフレンチトーストがやってきた。うまい。これはうまい。
しばらくおじいさんと話した。年齢は82歳。
35のときに脱サラして妻と喫茶ロッソを立ち上げたという。妻が亡くなったあとはずっと独りでこの店を続けてきたという。

「実は今日で閉店なんだ」
おじいさんは突然そう言った。
いつからかお客さんが来なくなり、毎日コーヒーと本を読む日々だったらしい。
そして、最後の日に僕が来たらしい。

目的もなくさまよい続けた先には予想外の巡り合わせがあった。

おじいさんは「私はできることを仕事にする人だった。この喫茶店は死んだ嫁が提案したんだ。好きなことを仕事にできる人だった」と幸せそうな顔で話した。

何故だか彼女に会いたくなった。
今すぐ会いたいと思った。

彼女とここにまた来たい。来たいが今日で閉店してしまう。それはおじいさんが決めたこと。僕には何も出来ない。
僕には…



僕はスマホのカメラを起動し、おじいさんの笑顔とコーヒーの写真を撮った。
おじいさんの優しさと温かさを永遠に保存しておきたい。インスタに#喫茶ロッソ と撮った写真を投稿した。
「ご馳走様です!明日、彼女と一緒に来ますんでそれまで待っててください!」

僕はまた無機質な空間を歩き出した。

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