嘘の日記「スクランブル」

処方された薬のせいなのか性欲の減退を感じていた。ただの杞憂か。
服用後に酒とたばこをやると目の前が揺らめいているようになった。しかし、こういった初めての経験は有意義ではある。

性的な感度が低下していた。恋人との行為の最中に状態が悪化し、中断をせざるを得なくなっていた。胃が荒れている。
翌朝、逃げ出しように恋人の部屋から出て、土曜の日暮れを迎えつつある渋谷スクランブル交差点の灰皿が設置された場所にいる。手すりに腰を掛け、背後に車と人が行き来している。

行為の曖昧な終了は自信の喪失を招く。日常を浮遊するように生活して心躍らせてはならない道理が確固として存在しない。
ひとりで楽しむ方法はいくらでもある。
耳に突き刺したイヤホンでシュガーベイブを聴いていた。

灰皿置き場の数メートル先にある少し開けたスペースがある。そこには20人越えの学生が密集していた。学生の一人がスウェットを着ている。「青学テニスサークル」
傍らから声が聞こえた。
「お茶の水一年のハシモトアヤカです。アヤカって呼んでください!」よろしく云々。インカレサークルのようだ。
挨拶を受けた男子学生は「さっきアカちゃんて言えわれてたのが聞こえた」とアヤカのほうを見ずに言った。
心が躍っても顛末は結局は無為だった。愉快と不愉快のカタログを見ているだけだ。常にひどく困惑した気分でいるようで落ち着かない。

ここは新入生歓迎会のコンパの集合場所なんだろう。何故か嫉妬を感じた。女性は慶應の学生ともっとも肉体関係を結びたいらしい。有名大学が羨ましかった。
モレスキンの手帳を開き、昨日小説から抜き書きしたものを読んだ。青いインクのボールペンで書いた文字。
『殺意と殺人の違いは?思念は移ろい、行為は残る。行為に導いた情念はとうに消え失せ、ことによると正反対のものにすり変わっているかもしれないのに、行為の結果は厳然と残る』

灰皿置き場の前にあるタバコ屋で買い足した。たった数メートル。
そのわずかな距離で所持品検査を受けた。リュックの内容を調べられた。あれは本当に警察なのだろうか。
奴隷は買主に従う限りは幸福で、買主は狭い世界であれば奴隷にとっては完璧な存在として君臨できる。
テニスサークルの集団は渋谷の街に消えていった。


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